【真剣!野良仕事】[111=冬瓜ドーム]

2009.8.22(土)

芭蕉の冬瓜句に異議あり
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↑緑のドームの内側をうかがうと、何とも立派な冬瓜!

 畑の仲間で、山形県の庄内ご出身の阿部さん。いつもご夫婦で畑に顔を見せては、仲のよさを見せつけてくれているんですが、今日は阿部さんお一人。
 で、周囲から、はて、今日はどうしたんだろうという視線を浴びている。

長谷川 おや、めずらしいですね、今日はお一人ですか。
阿 部 ええ、今日はふうちゃんに逃げられちゃってね。
長谷川 おやおや。真実は逆じゃないんですか。奥さま、いまごろ、だれかに聞かれて「今日は逃がしてやったのよ」なんて言ってるんじゃないんですか。

 そんな軽グチをかわし、ボクはオクラの選別をやったり、草刈りを手伝ったり。阿部さんは草刈りで午前中を過ごし、昼ご飯を食べてからはそれぞれの区画に行って自分勝手をやっていたんです。竹林同様、ボクの区画は雑草に覆われていて、まずはその始末。ふと見ればナスもトマトもいい成り具合。早速に収穫をしたり、草を抜いたり。この、あれやって、これかたずけて、疲れ果てて腰、ストンを落として空を仰ぐ。この時間がいいんです。

 阿部さんの区画はボクの区画からつい、眼と鼻の先。別段、大きな声をかけなくても十分に声は届く距離です。
 ボクが自分の畝に這いずりながら草刈りに熱中していると、声がかかります。

阿 部 ねえ、長谷川さんがカボチャでやりたかったのって、これじゃないんですか。うちはカボチャじゃなくて冬瓜でやってみたんです。

 息も絶え絶えで、這うようにして阿部さんの区画に行くと、逆U字型のパイプで組んだ高さ2mほどの緑の巨大な塊。その緑の塊の内部をうかがってみると、20センチは優にある冬瓜がざっと見で5つはぶら下がっています。

 そうなんです。キューリなのか、ゴーヤなのか、一見判別のつきにくそうな緑の葉と蔓に覆われたドームを覗き込むと、ドームの天井と側面からカボチャがたわわにぶら下がっている。そんなシーンを思い描いて、今年の春先、黒皮栗カボチャと青皮栗カボチャ、それに小型のカボチャ「坊ちゃんカボチャ」を植えて、逆U字のパイプを好人舍の資材置き場から引っ張り出してきて組み立て、新芽が伸びるとそのパイプに添わせたはいいのですが、その後の管理がうまくなくて、いま、阿部さんが立ち上げた冬瓜ドームのようにはいきませんでした。収穫が坊ちゃん5個だけとは! ああ、天を仰いで、悔しい!

 でも、来年は阿部さんに負けぬよう、頑張りますよ、再びカボチャで。

 ところで、食いしん坊の芭蕉のことです。きっと、冬瓜を詠んだ句があるに違いないと加藤楸邨先生の『芭蕉全句』をぱらぱらやったら、秋の句でありました。

冬瓜やたがひに変る顔の形(なり)

 楸邨先生の解説です。
「故郷に帰ってみると、折しも、冬瓜の時期である。昔美しかった人も久しぶりで逢ってみると、この冬瓜が見どころのないように、見る影もなくなってしまっている。自分もまたこんなに老い衰えてしまったことだ」というのです。
 個性もなにもない、なんの特徴もない、のっぺり顔の喩えとして、冬瓜を引っ張ってきたのです。
 直感しました。芭蕉も、解説の楸邨先生も、ご自分で冬瓜を作ったことはないんだろうと。きっと門弟から差し入れられた籠一杯の冬瓜を見て、まるで挨拶句のように「おお、立派な冬瓜だこと! この時期の細った食欲にはまことにありがたい」などと言葉では返したものの、心の中では「あれれ、どれもこれも、大きさといい、色といい、特徴のないのが冬瓜の特徴なのだな」と見たに相違ない。もしも冬瓜を実作していれば、あの芭蕉のことですよ、あの楸邨先生ですよ、ほんのわずかな違いも見落とすはずもなく、なかでも一番小振りな冬瓜を手に取っては、「もっと陽の当たるところに誘導しておけば、色も大きさももっともっといいものになったのに、まことに申し訳ない」など、見る影もない自分の喩えに、冬瓜を引き合いに出すことはなかっただろうし、むしろ、味わい深いまったく違った冬瓜句になっていたはずです。

山寺や斎(とき)の冬瓜きざむ音

 こちらは虚子先生の高弟、飯田蛇笏先生の句です。皮を剥いて煮炊きすると、果肉が透明になり、淡白な味わいに変貌する冬瓜を、開け放たれた寺の台所のすぐ近くで蛇笏先生、じれながら待っていたんでしょう。クドいようですが、もしも芭蕉が冬瓜を実作してさえいれば、絶妙な冬瓜句を残してくれたでしょうね。

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↑草刈りで一息入れる阿部さんです。
by 2006awasaya | 2009-08-23 21:49 | 真剣!野良仕事


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