2010.9.10(金)
稲雀
↑きれいにスズメたちについばまれた稲。
田んぼの稲穂が風に揺れている。ふたたびめぐり来たニッポンの秋。この豊かな風景の点景ともいうべきスズメたちが群れをなして飛んでいる。サラサラとモミがこすれ合うその稲穂を波と見立てたのか、サーファー気取りのスズメもいる。実に気持ちよさそうだ。思わずその乱舞に見とれてしまう。
急旋回をしながら編隊を組んだかと思ったら、数瞬後、フリータイムなのか、てんでんバラバラの、飛行そのものを楽しんでいるアナーキーなスズメたち。すると一転、なにを合図にしたのか、突然失速したように一斉にセフティネットと化した稲穂に落下。フリーフォールか。稲穂に身を預け、失神しているようにも見えるスズメたち。落下の快感に浸っているのか、表情は半眼のカタルシス。
そういえば先週の田んぼの草取りで気がついたことだが、カエルやイナゴ、クモもいたなあ。ああいった小動物を狙ってスズメたちは狩りをしているんだろうか。
そんなことが気になって、飯島さんに聞いてみた。
長谷川 先週来から、スズメが目につくようになったんですが、実をふくらませ始めた稲を狙ってのことでしょうか、それともイナゴや小さなカエルを狙って、狩りでもしてるんですかね。
飯 島 スズメたちは稲でしょうね。
長谷川 稲ですか。それなら稲の穂がまだ青い時期には姿を見せませんでしたが、スズメたちは未熟な稲には魅力を感じないんでしょうか。ボクたち、エダマメや生ラッカセイなど、未熟な野菜に結構魅力を感じて、おいしくいただいていますが、スズメたちは完熟派、なんですか?
飯 島 しっかり乾いた稲じゃないとつままないようですよ。どこの田んぼでも鳥害には手を焼いていますね。困ったもんです。
そうか、窒息しそうなほどの湿度と熱気に包まれた田んぼで、この夏われわれが草取りに励んでいたわけですが、その田んぼの脇の森で、スズメたちは息を殺してか、アクビを噛み殺しながらか、この実りの時期を、待っていたにちがいない。はやく稲穂が食べごろに乾燥するのを。
さて、閑話休題。
ここで、元禄の頃に戻ってみましょうか。元禄の文化人といえば、芭蕉ですね。実際に田んぼを作ったことのない芭蕉は、さて、スズメをどのように見ていたんだろう。
愛用の『芭蕉全句』(加藤楸邨)をパラパラしていたら、ありました。
稲雀茶の木畠や逃げ処
加藤楸邨先生の解説では「稲雀が熟れそろった稲の上に一面に下りて、稲を啄んでいる。追われるとさっと翔っては、茶の木の畠の間に下りるが、すぐまた稲の上に戻ってくる」と。
ちなみに、稲雀は芭蕉の造語ということです。
意外といっては畏れ多いのですが、正確に状況を把握して句にしているんですね。
でも、この半年、田んぼをしてきたボクには、傍観者っぽい、醒めた句に思えます。少なくとも生産者の目ではありませんね。毎年、ありがたくお米を弟子たちからいただく消費者の視点の句ですね。
一方、柏市の梅沢さん、俳号は野良爺という野菜生産者ですけど、梅沢さんの詠んだ句に、一層の親しみを感じます。
集団で稲穂をなめるニュウナイスズメ
ニュウナイスズメって、馴染みのない名前ですが、こちらは乾燥したお米を好むタイプのスズメではなく、お米になる前の胚乳をクチバシで吸ってしまう、そんなたちのよくないスズメなのだとか。
米作りって、さまざまな困難を乗り越えて、やっと収穫に至る。ただただ天に感謝するしかないのですね。
その収穫がいよいよ明日9月11日(土)。今夜は早く寝よう。