【真剣!野良仕事】[154=一緒に米作り、しませんか ⑥]

2011.5.16(月)
レンゲ田んぼの田植え、完了
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↑2011.5.7のレンゲ畑にて晴れがましくも、記念写真を撮る田んぼのメンバー。
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↑レンゲ畑で水路の確保。草が詰まっていて水が流れないので、大掃除。
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↑クワもシャベルも数が限られているので、両手で泥や草を取り除いていたら、なんと蛇をつかんでしまった。よく見るとマムシ。咬まれなくてよかった。
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↑この日、田んぼ作業を終え、苗を見に行ったら、しっかり成長中。ツンと尖った先に、器用に小さな水玉を乗せていた。
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↑2011.5.14日、飯島さんがレンゲを鋤き込んでくれた田んぼで、横一列になっての田植え。午前10時から田植えを初めて、1反の田植え作業が15:00終了。
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↑2011.5.14日、0.5反の田んぼは猪股さんが一人で4条植えマシーンであっという間に作業を終了。
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↑2011.5.14の15:52に後片付けを終え、畦にて全員集合。おつかれさま!


 労働歌に対して、ボクは誤解していたようです。
 どのように誤解していたのか。
 単調な作業をしていると、集中力が低下してきて眠くなったり作業の精度が落ちてきたりして、思わぬ事故を引き起こしたりする。そこで、歌を唄って作業をした方が能率も上がるだろうし、チームとしての連帯意識も確認できる。その連帯感を維持するためにも労働歌が必要なのだと、そう思い込んでいたのです。

 そして、5月14日(土)、とても気持ちよく晴れ上がった日でした。横一列になって田植えをしながら、機械による田植えが一般化する遥か以前は、田植えのシーンでどんな歌が歌われていたんだろう。そんなことを空想しながら案内ロープのマークに従って10〜12カ所を植え、後ずさって植えていく。こうした作業をするときにはやはり歌があるといいなあ、馬子歌のような、あまり抑揚のないのんびりとした歌がいいのかな、それとも、結構腰にくる作業なので、相撲甚句のような、四股を踏むどっしりとしたリズム感のあるメロディが似合っているのか、果たして実際の田んぼで、田植えの際にどんな歌を歌っていたのだろうと思いながら、そうか、芭蕉が田植え歌を句にしていたなあと思い出し、泥んこまみれの服で帰宅するとすぐに、久富哲雄先生の『おくのほそ道全訳注』と加藤楸邨先生の『芭蕉全句』を机の上において、ぱらぱらやりながら、確か、白河の関を越える前か後で詠んでいたはずと、爪の間に泥が詰まった指先でページを繰ってみると、ありました。

田一枚植えて立ち去る柳かな

 日光東照宮に参詣し、眩しさを眼底に焼き付けて那須野原を北上、那須湯本温泉の殺生石の異様を鼻腔に残し、西行ゆかりの地として心惹かれてきた遊行柳を間近に見ながら詠ったのがこの「田一枚」の句。植えて立ち去ったのが早乙女か、芭蕉本人か、解釈いろいろだが、芭蕉のはやる心は、もう間もなくすると風雅風流の地であるみちのくの入り口、白河の関。その期待が「立ち去る」という動きになって芭蕉の眼前に開けた風景に現れていると解釈した方がいいのか、そのあたりは定説がなく、自由に解釈していいことになっている。そこで、ボクは以下のように勝手に解釈している。
 田植えをすませて次の田へと移動する早乙女たちの明るい笑顔を目で追いながら、白河の関の向こうには、憧れ続けた鄙の里がある、もう少しで風雅の空と地が広がっているみちのくだ、関の向こうでも田植えの盛りだろうな、早乙女たちも華やかに歌を歌いながら田植えをしているに違いない、ああ、はやくそうした姿を目にしたいものだなあ。

 そして白河の関を越えたのが4月20日。関を越えたこちらでも田植えの真っ盛りで、古くからの知り合いであった須賀川の駅長、相楽伊左衛門等躬を訪ねた芭蕉は、6日間ほどとどまって、ここでも田植えの句をものした。

風流の初や奥の田植歌

 みちのくに入って初めての感動がこの田植え歌とは、ようようこの地に来た甲斐がありましたねと、しみじみと等躬に語っている様子が伺い知れる。今様に言えば、「さすが、みちのくは風景もいいし、さらに田植えの歌、素朴でとても心に響きますね。江戸や上方ではとうてい見聞きできないすてきな田舎ぶり、ああ、鄙っていいもんですね」。そんな印象を、おそらく一方的に語っていそうな雰囲気だ。

 そうだとすると、芭蕉が聞いた田植え歌が、さてどんなメロディーの、どんな歌詞で、どんなテンポで歌っていたのかが気になって仕方がない。田植え歌という限りは、ボクの中では労働歌そのものに違いなく、労働歌ならば作業労働中に歌っていたに違いないと思い込んでいた、のです。

 でも、昨年のNHKプレミア8「コメ食う人」という番組で紹介された中国の長江源流部の少数民族の棚田での田植えシーンにも、フィリピンのルソン島の棚田での田植えシーンにも、人は黙って稲を植え、鮮やかに手際よく田植えをすませ、泥で汚れた手足を田に引き入れた用水で洗い、畦道を伝って帰宅するおりに、なにか口ずさんでいるように見えるシーンがあったが、ボクが期待していたような田植え歌を歌っているシーンの紹介はなかった。

 日本でいうと江戸期の田植えシーンを思わせる東南アジアの原郷での田植えで別段の田植え歌を歌っていないとすると、ボクが勝手に思い込んでいた労働歌に対しての誤解を修正し、田植え歌は労働を終えた時点で歌われるに違いない。そう考えるのが自然なのではないか。そのように思い直したのです。つまり、労働歌とは、疲れを癒し、疲労回復のためのうるおいの音色。そうに違いないと。
 この考え方、ヘンですか。短絡すぎますか。

 この考えで「風流」の句を現代文に翻訳すると、
「憧れてきてみたはいいけど、やはり来てみないと分からないことってあるものだなあ。例えば田植え。みちのくでは早乙女らは田を1枚植えるごとに畦に腰を下ろして口ずさんでいる。江戸や都で見かける田植えシーンでは、数枚の田を植えてやっと休憩し、そこで歌なんかを歌っておしゃべりをし、すぐにまた次の田に移動しては田植えをしているようだけど、ここではやはりのんびりした作業風景で、早乙女らも陽気で開けっぴろげで、眺めているだけでとても和むなあ。この心持ちをこそ風流というべきで、なんとか門弟たちにも伝えたいものだ」

 いかがでしょうか、芭蕉さん。
by 2006awasaya | 2011-05-23 19:00 | 真剣!野良仕事


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