2013.3.26(火)
道しるべになってくれるか
↑今年も長ネギを植えてきました。右隣のトンネルはコーランを聞かせたタマネギです。
ネギを大量に輪切りにして納豆に混ぜ、鼻腔の奥をつつく辛味を楽しみつつ、涙をこらえ、掻き込むように食べる。ネバネバを箸で制御し呼吸を留めて掻き込むというスタイルも好きだし、第一、納豆とネギという取り合わせが好ましいなあ、好きだなあ。
芭蕉もネギが好きだったにちがいない。好き嫌いを口にする様は我儘いっぱいの子どもを見ているようで、ただそれだけで不機嫌な顔になっている芭蕉の表情が浮かんでくるが、それにしても、ネギを詠んだ句からは「ネギよ、おまえも、う〜ん、なかなかのものだな」という位置取りがうかがえて、好き嫌いというよりも好ましい姿とうつっていたのだろう。
とくに、この句を見ると、そんな思いがする。
今朝の雪根深を園の枝折かな
いつものように加藤楸邨先生の解説に拠り掛かって、句の表面を撫で回してみると、今朝方の雪で、菜園が深く積もった雪で覆われ、どこに何があるのか、まったく分からない。そうか、青く天を刺すネギを道案内にしていけばいいのか、とおっしゃる。
随分と深い雪。今年も雪はたびたび降ったが、幸いなことに、船橋では畑全体を覆うような雪はなかったから、芭蕉のようにネギを道しるべにして歩けなかったことが、ちょっぴり残念な気もする。雪国のかたから罵声をいただいても仕方がないが、どうかお許しを。
ネギの句がもう一句ありました。
葱白く洗ひたてたる寒さかな
こちらもネギをダイコンに取り換えてもカブラに置き換えてもいい訳ですが、ネギに思考を惹き付けられてほどけなかったんでしょうね。うまい、まずい、そういう味覚レベルの話ではなく、これはネギがもつ辛味に由来しているのだと思うのです。背筋を伸ばし、口元をすぼめるほどの辛味こそ、身を切る寒さとそっくりですものね。
ボクは店頭に並ぶ真っ白な葱よりも、引き抜いたままのドロを身にまとった泥葱のほうが、長持ちもするし、寒さに負けないたくましさを感じて好もしく思うのです。
で、昨年夏過ぎに植えたネギは最近、すべて引き抜いてさまざまに食べてしまったので、この秋用に植えてきました。
はたして、道しるべになってくれますかどうか。