【真剣!野良仕事】[206=三陸通信3●なにゆえ三陸?]

2013.8.1(木)

そもそもなにゆえ三陸なんですか?

■糸の発端■

 飯島農園の園主・飯島幸三郎さんは「海」への強い憧れを持ちつづける農業人で、ちょっと気取って「空海山」とサインしたりするオシャレ心も持ち合わせています。岩手県陸前高田市出身の水産学者・小松正之氏(政策研究大学院大学教授)とは3.11東日本大震災以前から交遊があり、東日本大震災直後、小松氏に次のような相談事を持ちかけたのだそうです。
「壊滅的な津波被害に見舞われた三陸沿岸の漁師さんたちに、海への恩返しというつもりもあり、我々が収穫した野菜を送りたいのですが、どうしたものでしょう。畑の仲間にも、同じような思いをいだいている方も多く、それで小松先生に相談した訳です」。
 すると、小松氏からは、
「陸前高田、大船渡ともに大きな被害があったところです。それぞれに知り合いがいますので、その方々の連絡先をお知らせします。そちらに送ってください。きっと喜んでもらえます」と。

 掻い摘まむと、このような経緯で、飯島さんと三陸の漁師さんとの付き合いが始まったのでした。

 さて、3.11東日本大震災の直後から、個別でボランティアに現地に入る方、支援物資を町会レベルで収集発送する方、勤務する企業内で支援チームに参加する方など、さまざまな立場と考え方で応援支援されてはいるものの、飯島農園の「畑の仲間」として支援できることはないのかと、小さな声を上げた女性がいました。
「船橋でも耕作放棄の田んぼや畑が目に付くようになり、こうした空き地を利用して、被災地へ農薬を使わない新鮮な野菜を送ることができないか」と提案したのです。
 飯島園主の賛同を得て、数人の有志で、「被災地も夏は暑かろう。気分も滅入っているに違いない。そんな鬱憤を発散してもらえるような、例えばスイカを作って現地にお届けできたらいいのになあ」と、スイカプロジェクトを組み、飯島農園の一画を提供していただき、スイカの苗を定植し、盛夏を迎える前に収穫。送り先については小松氏から連絡のあった、陸前高田と大船渡の漁師の皆さんへ、お正月の福袋のようなサプライズも味わえるようにと、段ボールの中央にスイカを据え、その周囲に白ナス、エダマメ、キャベツにトマト、オクラにニンジン、ジャガイモなど畑の仲間の自慢の成果を持ち寄り、畑のメンバーでもある阿部冨美子さんの絵手紙やハーブ畑を管理する吉本フジ子さん手作りのヨーロピアン匂い袋「サシエ」、ペットの豆本などを同封して発送したのでした。

 これが2011年7月下旬の第1便でした。さらに8月中旬に第2便、第3便と段ボールに梱包して発送。

 2012年に入り、昨年同様、野菜類を被災地へ届けようと、スイカ、メロン、夏野菜などに加え、竹とんぼ、豆本など、各メンバーの持ち寄った野菜以外の小物も段ボールに詰め、この8月中旬に発送したのでした。

 ところが、発送した直後から、「自分たちが送った野菜類が、はたして現地の方々に喜ばれているんでしょうか。ほんとうに現地の方々が必要とされているものをお送りできているのでしょうか。そのあたりを確認しないまま、一方的に送り付けて、はたしてよいものか」という自問問答がメンバー間で交わされ、これを受けて8月下旬に飯島園主が陸前高田・大船渡におもむき、津波被災地の現状を見聞しつつ漁業関係者と懇談。

 船橋に帰ってきて、その折の印象を次のように説明したのでした。

「野菜類をお送りした陸前高田の区長・伊藤光男さんに会ってきました。カキ養殖の漁師さんとも話してきました。いままでメディアで報道されていることと、現地で見たことには大きな違いがありました。私たちがお送りしたわずかな農産物も、とても喜んでいただけたことがわかりました。そして同時に、現地の漁師さんと直接、もっと時間を気にせずに話をする機会が欲しいなあと、強く思いました。そこで畑のメンバーを募って、もう一度お訪ねしていいかと聞いたところ、おおいに歓迎すると言われ、それで懇親会を企画したのです」と。

 さっそく、畑のメンバーを中心に、2012年11月3日(土)と4日(日)の1泊2日小旅行参加を募った次第です。
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↑昨年2012年の三陸へ漁師さんたちの話しを聞きに行くツアーのA4案内文です。とても盛況でした。

 出発日の1週間前に、「ちばコープ」「おいしい野菜公園2007」のメンバー22名を核とする総勢35名が飯島農園のサツマイモ畑に集合し、サツマイモ掘りに協力。後日、米袋に12kgのサツマイモを詰めた合計25袋と本年2月に仕込んだ味噌5kg樽4つを、当日の朝、マイクロバスに積み、11月3日(土)の6:30、15名を乗せて飯島農園を出発し、柏駅にて3名を拾い、総勢18名で常磐道、東北道を走りに走り、14:15、待ち合わせ場所とした岩手県陸前高田市の海辺に近い駐車場にて区長の伊藤光男さん、第八丸吉丸の吉田善春さんと合流。
 伊藤さんの案内で陸前高田の津波被害による現況をご案内いただき、陸前高田物産センターに立ち寄り、地場産品購入。つづいて東隣する大船渡市へ移動。こちらもまた津波被害は凄絶で、我々のマイクロバスに同乗された伊藤さん・吉田さんの説明を、ただただ謹聴するだけでした。


■はたしてお役に立ったのか■

 民宿海楽荘の新館大広間で我々18名を迎えてくれたのは以下の方々でした。

 伊藤光男さん(陸前高田市・区長)
 吉田善春さん(陸前高田市・第八丸吉丸)
 瀧澤英喜さん(大船渡市・三陸漁業生産組合長理事)
 遠藤誠さん(大船渡市・三陸漁業生産組合理事)

「2012年の夏、こちらに来たおり、さきほど陸前高田をご案内いただいた伊藤さんから、首都圏の方々が何を考えているのか、知りたいと思っているし、逆に、我らが何を考えているのか、聞いてくれることで、復興復旧に向けての我らの考えも整理できるということをおっしゃっていまして、それで仲間を募ってまいりました」と飯島さんが挨拶の口火を切り、「私ども畑の仲間を代表して、おいしい野菜公園2007の事務局を預かっている尾上清義さんからこの懇談会の趣旨を説明してもらいます」と、尾上さんを紹介。
 尾上さんの挨拶は簡明で、畑の仲間のこと、昨年今年と続けてきた支援応援の内容を説明し、「今後も、船橋で野菜を作り、津波被害の中で立ち上がろうとされている皆さまのお力になれるか、なんとも頼りない我々ですが、精一杯のことをこれからも続ける所存ですので、どうかよろしくお付き合いください。また、そうすることで飯島さんが築いてきた三陸のみなさまとの絆を強めることにもなるので、現地の実情を細大漏らさず見聞して帰りたいと思います。しっかり聞いて帰ります」と挨拶。

 続いて伊藤さんが立ち上がり、白髪をかき上げてから一礼。
「本日、みなさまのバスに同乗して陸前高田の中心部をご案内した伊藤です。やっと瓦礫撤去が済んだといった状態です。復旧も復興もまだまだこれからです。震災から1年半が経ち、まもなく二度目の冬を迎えるところです。みなさまから届けられる野菜類がそんななかで、なんとも嬉しく、ありがたく、私、区長をしていますが、仮設にお住まいの方々にひとつひとつ説明しながら配るんです。去年は我々が見たこともない、あれはなんというナスでしょうか、大きなグリーンの、白ナスというんでしたか、あれが珍しくて、こちらではお目に掛かれない珍しいナスでした。いっしょにレシピが入っていまして、輪切りにしてステーキのようにして食べるとウマイって書いてあったので、そのとおりにして食べたです。みんなうまい、うまいって。ほんとうにうれしく、おいしくいただきました。ありがとうございました。被災地ではこうした繋がりが嬉しいものなんです。飯島さんをはじめ、わざわざ三陸まで来ていただいて、ほんとうに嬉しい限りです」

 続いて立った吉田さんからは、震災直後の話が披露されました。
「自分はカキやホヤを養殖している漁師です。地震を感じて、すぐに船で沖に出ました。大きな波を二つ越え、沖へと逃げました。ものすごい波でした。津波の波です。考えるのも恐ろしい大きな波です。陸ではもっともっと恐ろしいことになっていたんですけど、筏もなにもかも流されていまに至ります」

 遠藤誠さん、瀧澤英喜さんもそれぞれ自己紹介をいただき、懇親会が始まりました。

 座を替えながら、津波の話をうかがおうと吉田さんの横に座り、あらためて挨拶を申し上げましたら、
「伊藤さんが挨拶の中で白ナスの話をしてましたでしょ。竹とんぼも喜ばれたですよ。オモチャなど、何もかもを失った子どもたちが喜んだと思うでしょ。あはは。そうではなく、大人たちが喜んでね。だって、子どもたち、遊びかたが判らないです。どうやって遊ぶものか。そう言えば教えなかったなあって。大人たちはそれで子どもたちといっしょに遊べたわけよ。いっしょに遊ぶのって、あの時以来ほとんどなかったもんで。今年いただいた野菜の中の竹とんぼ、嬉しかったなあ」

 この吉田さんの披露された竹とんぼのエピソードは、まことに意味の深い話でした。

 船橋にいて、あれは喜ばれるだろう、とか、こんなものはゴミになってしまうに違いないし、かえって失礼かもと憶測を巡らすことは、ほとんど意味のないことだったのです。ゴミとなって処分されようとも、考え過ぎて送らずにいることのほうが問題だと思いましたが、こうした点については余計な判断をする前に、まずは実行が先という理解が妥当だと思います。

 実はボクは趣味で豆本を作っていまして、被災地にも犬や猫が好きな方はたくさんいらっしゃるだろうしと、犬と猫の自家製豆本を数冊、スイカの脇にしのばせたのです。
 先ほどの吉田さんの話の続きです。

「竹とんぼのついでと言ってはなんですが、かわいいペットの小さな本が野菜といっしょに入っていましてね。うちの子が犬が好きなもんで、めざとく見つけて、わあ、可愛いって。夢中になって読んで、家族全員で回し読みし、いま、だれんところにあるか分かりませんが、あの本も嬉しかったなあ」

 この吉田さんは、飯島さんが最初にコンタクトした海洋学者の小松正之氏と同級生なのだということも、おしゃべりを聞くうちに分かりました。


■思いを引きずったままに■

 翌日の朝、囲碁の黒石を敷き詰めたような碁石浜に下り、さらに、碁石岬の突端を巡り、区長・伊藤さんの先導でふたたび陸前高田へ。前日、現地案内のために待ち合わせた駐車場にて、あらためてサツマイモとお味噌のお礼を言われ、お別れしました。

 この日も前日と同じく快晴。国道45号から284号を走り、東北新幹線の高架をくぐり、一関市街に入り、平泉の中尊寺へ。境内は大混雑。信仰と観光が同居する世界遺産で、金色堂を拝観して早々と帰途に就きました。
 この帰途のバスの車中で隣り合わせた秋山さんと、常磐線柏駅で下車するまでのおよそ6時間、今回の三陸行についてしゃべり続けました。

長谷川 印象に残ったことからおしゃべりしませんか。ボクは復興復旧が掛け声ばかりで、現地ではいっこうに進んでいないことに正直、驚きました。震災の年の10月中旬に、遠野のボランティアセンターから陸前高田市の長部地区へ、そして津波被害の甚大だった大槌町の赤浜地区と、瓦礫撤去作業の一員として、高校生の息子を連れて入ったことがあります。その折に見た風景と、今回、伊藤さんにご案内いただいた陸前高田の風景がほとんど変わりがなかったという印象が強く、復興復旧が思った以上に進んでいないと感じました。国があれほどの予算をかき集めても、こちらに使われていないという印象を持ちました。秋山さんは今回、どんな印象を得ましたか。
秋 山 僕は飯島さんが三陸行きのために配ったA4の案内文に、「被災された方々と腰を据えて話をすることが、なによりも大切だ」と書いてあったのですが、そのフレーズどおり、伊藤さんでしたか、現地の方とほんのわずかとはいえ、お話しすることができ、とてもよかったです。現地の方の話をしっかりと聞くということの大切さ、とでも言ったらいいでしょうか。
長谷川 まさしくそのとおりですね。ボランティアで現地に入っても、なかなか被災された方々と直接お話しすることは難しいと思います。質問すること自体がはばかられる。写真を構えてシャッターを押すことも憚られる。遠野では写真を撮れても、陸前高田の一本残った松の木も、大槌のひょっこりヒョウタン島のモデルになったと言われている沖に浮かぶ小島さえ、写真に撮って持ち帰れませんでした。写真を撮ることすら憚っているのですから、我々外部の個人がお手伝いできることは限られていて、道路脇の側溝清掃とか、津波に襲われた畑での瓦礫分別とか、ごく限られた作業を限られた時間で終えると、ボランティアスタッフリーダーの合図で、現場に一礼。ボランティアセンターのある遠野に引き上げる。現地の方々は現地の方々で、やることは山ほどあり、ボランティアスタッフはそうした現地の方々を気遣いつつ、黙々と清掃作業をする。個人レベルでの交流というチャンスは、むしろ成り立たなくてもよいのだという思いが強くあったので、ボクもいま秋山さんが指摘したフレーズに惹かれて参加したんです。
秋 山 それから、飯島さんたちが今回自分の畑から収穫して持ってきた農産品、おイモでしたか、「これ、私たちが作ったんです」と手渡せる農産品が、もちろんこちらでもお金を出せば買えるものでも、受け取る現地の方々には、やはり嬉しいのでしょうね、ありがたいのでしょうね。
長谷川 伊藤さんが宴半ばでこんなことを言ってました。「昨年、今年と畑で作ってくれたスイカやカボチャ、トマトやインゲン豆、いろんな品目の野菜を送ってくれて、ほんとうにありがたかったです。自分はそれらの野菜を自分の地区に配って歩くことが役割なので、いただいた農産品を被災家族に、これこれこういう人たちが送ってくれたんだよ、ありがたいことだなあと、健康具合や生活ぶり、困っていることはないか、チェックしながら手渡すのです。すると、受け取るほうも、まったくありがたいなあ、え?船橋かい、その農園があるのは。むかし行ったことがあるよと、話しがどんどん続いていくんです。手渡すモノがあり、そのモノにくっついているエピソードをきっかけに、話しがどんどん広がっていく。そういうごく当たり前の日常会話ができるってことが、無性にありがたい」っておっしゃっていました。
秋 山 そうでしたか。確かにそのとおりですね。過酷な状況ですものね。何もかもが津波で持っていかれて、陸前高田の市役所前に献花台が設けられていましたでしょ。みなさんも合掌してましたし、ぼくも手を合わせて。凄惨な風景のただ中で、しばらく頭の中がほんとうに真っ白でした。
長谷川 ぼくの中の凄惨な風景というと、空襲で被災した終戦直後の東京下町の写真なのですが、その記憶にある写真を見ているようでした。ボクは戦後生まれですから、実際にはそういった風景は知らないのですが、父も母もこの風景の中で歩き回り、暮らしたんだろうと。陸前高田でも気仙沼でも大船渡でも、建物の土台だけがある。間取りがわかる。ここが玄関で、ここは海が見える気持ちのいい居間だったろうな。ここは隠居部屋かな。床にタイルがあるからお風呂場だろうな。土台があって、家があったということはそこにきちんとした暮らしがあったはずでしょ。そうしたことを考えると、むやみに現地の方に話しかけて、心を乱すことにでもなったら、と。それで余計にボクは無口になる。

 帰りの車中で、印象に残っている部分だけを思い返してみましたが、ほかの席に座っているメンバーも、きっと同じような思いでおしゃべりを重ね、あるいは独り三陸の風景を回想していたに違いありません。

 もう一つ、秋山さんのおしゃべりを付け加えます。
 今回の日程中、予定していた大槌行きが、時間の都合でキャンセルされたことです。
 1日目の宿泊予定旅館「民宿海楽荘」に夕刻までに入るために、大槌行きはキャンセルとなりました。懇親会の席に、我々を迎えてくれる現地の漁師さんたちを待たせるわけにはいきません。このことは仕方ないとして、翌日、平泉の中尊寺拝観をキャンセルして大槌にまわるか否かの意向をメンバーに計ってもよかったのではないか、という点です。

秋 山 懇親会が終わり、それぞれ部屋に引け、懇親会で話された事どもを話題に、一献、傾けていましたよね。
長谷川 ええ、ボクはもっぱら川口さん、大村さん、景山さんと夢中でおしゃべりしていました。
秋 山 その席で、ぼくと神辺俊治さんはこの大槌行きキャンセルについて話していたんです。
長谷川 え!そのこと、まったく聞こえてきませんでした。
秋 山 神辺さんが言っていたんです。大槌に行けなかったこと、まことに残念だと。
長谷川 それぞれ、あそこに行って見たい、ここを見ておきたいという思いは、今回参加されただれにもあったでしょうね。例えば、いま運転を担当してくれている細谷さんは、「陸地に乗り上げたままとなっている第十八共徳丸をみなさんに見ておいてもらいたいから」と、中尊寺に向かう途中でもあるしと、気仙沼市に立ち寄ってくれましたし、ボクにも同様の思いがあって、陸前高田のあの美しい高田松原が、ワイドに引き伸ばされ、大きなパネルになって掲示されている「川の駅」があるんです。ちょうど気仙川に沿って満開の桜、その先の海辺には高田松原が横たわっていて、夢を見ているような美しい海岸風景が「川の駅よこた」にパネル掲示されていて、トイレ休憩を兼ねて立ち寄っていただきたいとお願いしたのですが、実現できませんでした。神辺さんの話に戻ると、世界遺産の中尊寺拝観よりも大槌をひと目、記憶しておきたいという思いが強かったのでしょうね。そうした「思いを残す」というか「思いを引きずる」、あるいは「後ろ髪を引かれる」という、残念無念を記憶することも、今回のサブテーマとして、おおいに価値があることじゃないでしょうか。


■無理なく継続する応援■

「懇親会を終えるにあたり、飯島農園に集う者を代表して、ひとこと、ご挨拶申し上げます」と、座を立ち、われわれ18名と現地から参加してくれた漁業関係の4名を前に、こう切り出した尾上清義さん。以下のような思いを言葉にして懇親会を閉じたのでした。
「地元のデパートやスーパーで被災地の物産市があると聞けば、行って購入し、さらに、体力に自信があればボランティアに参加したりと、さまざまなスタイルで、メンバー各人が被災地を支援応援していますが、それ以上に、畑の仲間といっしょに、できる範囲で応援支援を続けていくことが大切だと実感しました。『継続はチカラなり』の喩えをあらためて肝に銘じております。来年も再来年も、農産物を送り続けたいと思います」と。
 その挨拶姿を見上げる区長・伊藤さんの表情がなんとも穏やかで、こう言ってはなんですが、ステキ!でした。

 今年も2013年10月19日(土)〜20日(日)の1泊2日で「三陸懇親会」を企画しています。詳細は飯島さんにお尋ねください。
by 2006awasaya | 2013-08-01 17:40 | 真剣!野良仕事


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