【真剣!野良仕事】[74=薫風コンサート ガムランの調べ 第6弾]

2008.5.19(月)
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↑このシーンを見た北習志野にあるバリレストラン「バリ・ケラトン」のオーナー夫人は「ああ、思い出すなあ、この雰囲気!」と絶賛。聞くと、ングラライ国際空港、バリの表玄関に当たる空港のある都市・デンパサール出身だとか。それにしてもさわやかな五月晴れのこの日、150名の方々が聞きに来てくれました。どうもありがとうございました。
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↑聖獣バロンが登場。自重80キロのバロンの縫いぐるみ衣裳を汗だくだくで踊り抜いたお二人の楽人。前日、搬入担当者はこのあまりの重さに、「ステージ、大丈夫かなあ。床が抜けたりしたら大変なことになる」と、補強の桟を何本か追加。その甲斐あって、2人の踊り手がダーン、ダーン、ダダ、ダーンと、歌舞伎でいう見栄を切る所作がありますが、その感情がピークに達するところで、激しく足を踏み鳴らすところが何カ所もあったが、ビクともしなかった。ホッ。
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↑終演後、深川バロン倶楽部のメンバー25名とおいしい野菜公園2007のメンバーとで記念写真。


薫風コンサート ガムランの調べ

 飯島農園の竹林で、5月18日(日)、深川バロン倶楽部による「薫風コンサート ガムランの調べ」が開かれました。この日のために、3カ月前から準備を進め、「雨が降ったらどうしよう」「駐車スペースを確保しきれなかったので、公共交通機関でお越し下さいとお願いしたはいいけど、果たしてこんな不便なところに来てくれるかなあ」と、メンバー一同不安を抱えて会場設営を進めてきましたが、開演2時間前の11:00から入場者が入り始め、ほっと胸を撫で下ろし、「よかったですね」「ほんとうにお天気にも恵まれて、いいコンサートになりそうですね」。
 深川バロン倶楽部の面々も、きちんと10:30に集合し、すぐにステージに楽器を運び出し、リハーサルを開始。聖獣バロンもステージ裏の竹やぶに移動。
 その模様は以下、順を追った写真で見ていただくとして、深川バロン倶楽部の皆様、それに当方の無理な注文を深川バロン倶楽部のメンバーに伝える役目を引き受けていただいた逸見さん、ほんとうにありがとうございました。

 追伸
 このメモを作っている最中に、おいしい野菜公園事務局で今回のイベントを仕切っていただいた事務局長からお礼の言葉がmailで流れてきました。
 ここに紹介させていただきます。


逸見幸生様

フルメンバーでの公演、素晴らしい舞台でした。我々一同、心から感謝しております。
観客と一緒に、ただただ感動しておりました。
それにつけても、お礼の気持ちを形に現すことができなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「深川バロン倶楽部」のお姉さま、お兄さま、皆さん輝いてました。
うらやましいかぎりです。
わが熟年集団『おいしい野菜公園2007』メンバー 一同、若い頃を思い出しながら、「負けたら あかん」と元気づけられました。
とにかく楽しかったです。
事務局担当として心からお礼申しあげます。今後ご迷惑にならない範囲で、またの機会を共有させて下さい。一日遅れのお礼で申し訳ありません。「深川バロン倶楽部」の皆様によろしくお伝え下さい。

坂本剛規



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↑コンサート前日の5月17日(土)に好人舍に搬入したバロンを会場ステージに運び出す。なんだか、日本の獅子舞のようにも、また、北米大陸の大型獣バイソンにも見えるなあ。日本の獅子舞は頭が重いが、このバロンは前部より後部が圧倒的に重かった。それにしてもキリッと立ち上がった尻尾の勇勇しいこと。惚れ惚れ!

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↑ステージに楽器類をセット。当初は楽器群をステージ左右に分けたが、ダンスのスペース確保や、お互いの音が聞こえにくいと言うことでステージ左に一群となる配置となった。

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↑ステージ奥から見たリハーサル風景。

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↑大きな空間でのリハーサル風景。

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↑開会の挨拶をする飯島代表。

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↑歓迎の踊り「パニャンブラマ」。女性7人による典雅で緩やかな踊りです。

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↑歓迎の踊り「パニャンブラマ」。花びらを蒔きながらの優雅なダンスでした。ステージを浄めると言った意味もあるんでしょうか。この踊りが終わると、ステージが実に生き生きとしてきましたので。

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↑仮面を付けて踊る「トペン」という踊りです。もともとトペンは仮面という意味だそうで、踊ってくれたのは本場バリ島のダンスの先生だそうです。

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↑『ワークショップをはじめます。一度ガムランの楽器に触ってみたい、音を鳴らしてみたいという方、ステージに上がって来てください』というアナウンスに、あっという間に20名が参加。

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↑影絵芝居の伴奏楽器「グンデル」による演奏です。二人が同じ旋律を奏でる静かな曲で、ボクにはDNAの二重螺旋がソプラノで歌ったとしたら、きっとこんな風に聞こえるんだろうと思って、聞いていました。竹林を渡る風まで薫香を漂わせるようでした。

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↑その楽器「グンデル」です。鍵盤の下に見える円筒形の部分は竹製の共鳴胴。鍵盤上に見えるバチは、鍵盤を叩く部分が円形で、バチ全体を人差し指と中指の間に軽く持って鍵盤を叩いていました。なんだかモーツアルトの音楽を聴いているようで、天国的な気分に浸っていました。

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↑第二部の始まりを告げるルジャン。女性6名による踊りで、神殿へ祈りを捧げにいくときの踊りだそうです。

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↑いよいよこの日のハイライト、バロンダンスです。中国のドラゴンダンスのようなアクロバティックな所作もなく、重々しく静かな舞踏なれど、大地を踏みしめて邪悪な神を叱りつけるようにも見え、圧倒的な存在感がステージ全体を支配していました。

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↑直径1mを超える大きな銅鑼を叩く逸見幸生さん。

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↑西洋のオーケストラでいうコンサートマスターに相当するのが、両面太鼓奏者。太皷を叩きながらリズム、緩急のテンポ、ダンサーとの交信を他の楽人に発信し、楽人全体を仕切っている、とても重要なポジションで、この公演では本場バリの方の参加です。このコンサートマスターと、終演後、会場の印象について聞きましたら、「いつも演奏する環境はクローズドのコンサートホールやコンクリートに囲まれた空間なので、このようなオープンエアの会場で演奏できて、ほんとうに嬉しかったです。バリそっくりの竹林だったことも、私にはとても気持ちよかった」とおっしゃってくれました。どうもありがとうございました。

追伸備忘-壱
 仕事部屋の本棚の奥に50ページ前後のA4モノクロコピーの束がある。ガムランを聞きに行ったおりの小冊子コピーで、オリジナルはひとに貸したまま帰って来ていない。そんなこともあるかとコピーをとっておいたものだが、今になってみるとカラーコピーにしておけばよかったと後悔している。いや、カラーコピーはまだまだ低価格では利用できなかった時代で、白黒がくっきり付くゼロックスか、たとえ全体が青っぽくなってしまってもグラデーションというか諧調が豊かな青焼きか、印刷屋さんの店先にたたずんでどっちでコピーをとろうか相当な時間、迷った覚えがある。ゼロックスにしろ青焼きにしろ、モノクロコピー代といえども現在に比べて目の玉が飛び出るほど高価だった頃で、それで店先で瞬時に決めかね悩んだのだ。
 小冊子のデザインは杉浦康平さん。雑誌『銀花』を見るようなレイアウトで、クリップで留めてあるそのコピーの一番最後のページをめくると、「楽舞夢幻ダルマ・サンティ舞踊団公演」となっていて、昭和57年(1982)10月6日(水)の国立劇場小劇場公演のガムラン解説を兼ねた小冊子であることが分かる。
 内容も、本棚にあるその他のガムラン本よりコンパクトでしかも読み応えがある。

 小冊子のページをめくりながらタイトルをあげると、
・「魂の呼応 音楽と舞踏」田村史子
・「音楽と舞踏」演目解説
・「ガムラン小百科[踊り・楽器・衣装・仮面]」田村史子
・ガムラン随想「飛翔する音」武光徹
・太陽の色「舞踏と衣装」菅洋志(写真)
・バリの歴史「蘇る大地」永積昭
・公演舞踏「パンジ物語、ババッド物語」松野明久、生田滋
・バリの社会「濃密なる世界」加藤剛
・世界観「循環する天地」吉田禎吾
・生活、宗教、暦「神がみの刻む日々」吉本忍

 結構すごい内容でしょ。当日はこの小冊子をぱらぱらとめくりながら、舞台に向かって右手奥に座ってじっと開演を待っていた。この日、ボクが聞いたプログラムは、ソロポック+バリス+マヌック・ラワ+トペン(ダラム・ドゥコット物語)となっていて、日本公演の2日目だった。
 公演日程は10月5日が初日、(翌6日の2日目を見たわけだが)、8-9日=ラフォーレ原宿、11日=宇都宮市文化会館、15日=滋賀会館、16日=神戸文化ホール中ホール、17日=京都会館第1ホール、20日=広島市青少年センター、22日=大分県立芸術会館、23日=武雄市文化会館、25日=鹿児島県文化会館、27日=那覇市民会館。このスケジュールを見る限り、西日本各都市を駆け巡り、急ぎ足でバリへと帰って行ったことが分かる。
 その後、バリからさまざまな舞踏団が毎年のようにやって来て、その大半は必ず東京公演を開いてくれるので、一晩だけ、聞きに行ったものだ。一度だけタガス・グヌンジャティ歌舞団の追っかけをやったことがある。ほぼ10年後の平成2年の夏、タガス・グヌンジャティ歌舞団の来日公演が東京・芝の増上寺、深川の今は思い出せないお寺の境内で催され、この公演はお寺や神社の境内での公演にこだわった公演だったように思う。その最終公演が和歌山県新宮市の渚の宮で、そこまで追っかけで聞きに行った。この会場がbaliそっくりで、黒潮に乗ってやって来たミクロネシア人たちがこの熊野の渚に船を乗り捨てて、さあ、お腹も減ってはいるけど、まずは陽気にやろうよと言っているようだった。

追伸備忘-弐
 小泉文夫先生の『人はなぜ歌をうたうのか』(冬樹社)に中から、[ジャワのガムラン音楽の特徴]という見出しで整理された文章があります。一言でガムランを説明するのは難しいので、西洋音楽との対比でこんな説明している。なるほど! なのである。
「合奏の仕方に特徴があります。たとえばその中にとくに重要なところがあると、西洋音楽の場合だったら、その音は重要ですから、原則として大きな音を出します。たとえば、バッハの音楽などで、フーガにおけるテーマは非常に重要です。下の方に、左手の小指を使って演奏しなくてはならないところにテーマが出てくると、そこのところをわざと強い音を出し、他の音を抑えながら演奏するという風に習っていますが、インドネシアのガムラン音楽では、重要な音は、重要だからこそ逆に、小さな音で演奏することが珍しくありません。
 それから、旋律の重要な骨組みになる音は、わざと遅れて出すこともします。他の楽器といっしょにポンと出すのでは目立ちませんから。ジャワの楽器はほとんど叩く楽器ですから、目立つためには変わった音で叩くか、ないしは遅れて叩くのです。そうすると、その音が非常に重要だということが分かるのです。」
 西洋音楽の考え方とインドネシアの音楽の考え方には、こんな基本的な差異があったんですね。先のコンサートでも、ドシャーンと大きな音で締めくくった直後に、小さな音で次なるメロディーを奏でていたケースが多々ありましたが、ああ、あれだったんだと納得。
by 2006awasaya | 2008-05-19 21:43 | 真剣!野良仕事


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