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【真剣!野良仕事】[212=三陸通信5●第2回三陸懇親会報告]

2013.11.10(日)
ひょうたん島表敬訪問
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↑女性陣は音感がいいのか、iPhoneでダウンロードした校歌を聞きながら、斉唱の予行練習。
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↑大槌湾に浮かぶ蓬莱島、通称「ひょうたん島」を正面に見る岸壁で、兼ねてからの飯島さんの念願だった「釜石小学校校歌」を歌う参加メンバー。
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↑デジタルズームで精一杯望遠にして撮った蓬莱島。ロウソク型の灯台も立ち直り、島へとつづく堰堤もほぼ完成していた。
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↑今年の三陸行には思わぬ参加者が。ボクがむかし勤めていた会社の若き女性とその友人です。ありがたいことにfacebookつながりで参加してくれました。掌にひょうたん島を乗せるなんて構図は思っても見ませんでした。やわらか頭って、かなかないいもんです。

 顔を合わせるたびに、飯島さんから「釜石小学校の校歌、知ってる?」「釜石小学校の校歌、井上ひさしさんの作詞だってこと、知ってましたか?」「あの校歌で勇気づけられたんだそうです、救援の手が入るまで、そして救援の手が入ってからも」「去年は行けなかった大槌ですが、今年はなんとしてでも行きたい。ひょうたん島をこの目で見たいんです」などなど、さまざまに問われ続けました。きっとボクだけではなく、視界にはいるほとんどすべての方々に、うわごとのようにおしゃべりしたに違いありません。

長谷川 それじゃあ、今年の三陸行きのテーマは「ひょうたん島を見ながら、釜石小学校の校歌を歌う」ということにしましょうか。
飯 島 それを前面に出して、はたして良いものか。これは飯島個人の思いなので、それを理由に皆さんを誘うわけにはいかないのではないでしょうか。もう少し考えたいと思いますが。
長谷川 物事には個人と組織があり、個人が抱いた思いを実現するためには、ときに論理的な整合性がとれなくても、平気な顔をして、突っ走る。言い出しっぺの個人が繰り返し繰り返し、初めてしゃべりような顔をして、その思いをしゃべりつづけていれば、しゃべり掛けられたほうも、それは以前に聞きましたと思う一方で、そうか、それほどまでに思い焦がれているのかと、心を傾けてくれるに違いありませんよ。そうした思いに賛同してくれた方々で大槌に行くわけで、強制もお願いもしていないのですから、とりいそぎ募集をしてみませんか。参加者が少なかったら、それはその時に新たに考えればよろしいわけで、とりあえず募集してみましょうよ。

 そんな会話があった数日後、飯島さんの思いをわずかに滲ませた募集のチラシを作りました。

 チラシのタイトルは「自慢の野菜をもって、話を聞きに行きますよ!三陸の漁師さん!」としました。もともとは「おいしい野菜公園2007」のT女史が音頭を取り、始めた飯島農園の被災地支援です。その後、さまざまなご縁で岩手県陸前高田と大船渡の漁師さん達と知りあい、三陸の漁業復興の一助になればとの共通の思いを抱いて続けられた企画です。夏には夏野菜とスイカ、冬には大量のネギを中心に、その他野菜とは直接関係ないながらも、こんなものでよろしかったらという品々を送ってきましたが、年に一度は現物を持参して届けるツアーを実施、今回は2年目の持参ツアーです。

 この三陸支援という本線に、参加する各人のこれまたさまざまな思いをぶらさげ、本線を太く継続することが大切なことで、そのためには個々の思いを前面に出しても、背面に裏張りしようと、脇を固めようと、それは各人の自由なはずです。

 飯島さんの思いは大槌湾にて、釜石小学校校歌を斉唱したいということですが、ボク個人の思いは、大きな大きな、夢のように大きな写真と再会したいというものでした。

 大震災の年の10月に、高校生の息子を連れ、当時ボランティアの拠点だった遠野から沿岸各所にお手伝いに入りましたが、その年の夏に妻が入った大槌町の惨状が記憶に残っていましたので、大槌行きのチームに加わり、大槌町赤浜地区で清掃作業をしてきました。その帰りがけにトイレ休憩で立ち寄った「川の駅横田」で見た陸前高田の、夢のように美しい写真にもう一度再会したいというのが、ボクの思いだったのです。畳一畳はあろうかという大きく引き伸ばされた写真には、震災前の、満開の桜堤とその背後に広がる松原が写っていて、もう40年以上も前のことですが、学生だった頃にあの松原で海水浴に興じたことがあっただけに、異常に懐かしい風景だったこともあり、この写真をもっとゆっくりと眺めることで、40年前のあの日のことを思い返したい、そんな思いでいたのです。
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↑東日本大震災の年の10月に訪れた大槌湾赤浜地区。目印だった赤いローソク型の灯台が根元から折れていた。

 震災の年の10月に見た大槌湾に浮かぶ「ひょうたん島」の写真を大きく掲げ、行程などの必要事項をしるし、その脇のスペースに「釜石小学校校歌」を添えて募集チラシを構成しました。

長谷川 これが三陸行きの今年のチラシですが、いかがでしょうか。
飯 島 倒れたタンクの脇に見えているのがひょうたん島ですか。赤いローソクの形をした灯台が、たしか、もう元通りの姿で再建されていたと思いますが、これでいきましょうか。大槌に入ってからその日に夕方までに大船渡まで戻るコースが、時間的には結構シンドイですが、トイレ休憩の回数を減らすとか、昼食時間をゆっくりとれないことなど、注意書きが必要になるでしょうな。その点、フォローをお願いします。

 そうして迎えた出発日前日までに、以下の野菜類を準備して三陸に向けて出発したのです。
【三陸の漁師さんへの持参目録】
1=無農薬サツマイモ(飯島幸三郎) 8袋
1=無農薬コシヒカリ新米(飯島幸三郎) 30kg
1=フローズン茹で落花生オオマサリ(松本伸一) 10kg
1=かがまずに使える竹製ロング靴べら(坂本剛規) 30本
1=和装巾着袋物(川口章子・大村悦子) 20袋
1=和装メモ帖(長谷川智昭) 10冊

 写真に掲載したように、大槌湾の岸壁で、移動中のバスの車内でiPhoneからダウンロードした釜石小学校校歌のメロディを参考に、景山さんの斉唱指導でなんとか声を合わせて車内で数回リハーサルを繰り返し、ひょうたん島を眼前にしつつ、歌うことができました。

長谷川 たまには恥ずかしげもなく、大きな声を張り上げて歌うってのも、これはこれでなかなか楽しいことですね。
川 口 この歌詞には釜石とか岩手とかの地名が入っていないのが素晴らしいて、誰だかが指摘していたけど、まさしくそのとおりで、歌うことで勇気づけられた人が多かったんだろうと思いましたね。
大 村 華麗な形容詞も使っていなくて、基本的には動詞で構成されているでしょ。だから誰もが歌っていて気持ちがいいんだと思うんです。私たちが気持ちよく岸壁で歌っているのを、地元の方かしら、なんだか嬉しそうに見守ってくれていましたね。なかには写真を撮ってる人もいて、そういうサービスもできたし、それなりにいい記念になったと思いますね。
長谷川 「君が代」に替えるのは難しいので、なにかの節目に日本国第2国歌として支持してくれる人がたが増えるといいなあと思いました。ラジオ体操第一に続いて、ラジオ体操第二のメロディーみたいに。
飯 島 その主旨に賛成!飯島農園の農園歌として、今後も歌っていきたいと思いましたよ。

 大槌湾をあとに、今夜の宿のある大船渡市越喜来(おきらい)へ。そして、宿舎にて三陸漁業生産組合の瀧澤さん、遠藤さん、伊藤さん、平田さんの出迎えを受け、一献二献三献と重ね、陶然とした懇親会となりました。
 その翌朝、ホタテ養殖の現場へと案内してくれた瀧澤さんと遠藤さん。この日は日曜日。お休みなのですが、われわれをホタテ養殖現場に案内してくれたのでした。

ホタテ漁を体験
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↑越喜来湾の崎浜港を出航し、外洋に出るあたりは湾口の両サイドからの波がぶつかり合うために波もひときわ盛り上がり、大揺れの漁船。瀧澤さんの後ろ姿が逞しくも頼もしい。
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↑こちらは遠藤さんの第五崎浜栄丸。大きなうねりを切り裂きながら雄走。この日は空も海も鉛色。
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↑ホタテ養殖の現場に到着。震災の年から3年を経過して、今年からいよいよホタテの出荷ができる。その成育具合が気になるところ。
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↑ホタテ貝に穴を開け、ロープに括りつけて垂下する「耳吊り」と呼ばれる養殖法を、このあたりでは採用している。垂下する1本のロープには約150前後のホタテが縛りつけられていて、そのロープを引き揚げながらホタテを収獲しているところ。
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↑収獲したホタテにはイソギンチャクやフジツボ、ムール貝などがびっしり。どこにホタテ貝があるのか判らないほど、びっしりとムール貝で鎧われている。米づくりや野菜づくりで言うならば、草取りに相当するのかな。厄介な作業だけど、きちんと除草しないと肝心の野菜やお米が負けちゃう。同様に、ホタテも貝の外周にフジツボが付着すると、きちんと二枚の貝が閉まらなくなり、ヒトデなどの攻撃を甘受することになる。この清掃作業は年に何回か、やるという。この清掃作業を体験してみませんかと瀧澤さんのお誘いに甘んじて体験させてもらう。
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↑鉈のような包丁で、ガリガリ、カンカンと汚れを取り除くと、はい、ご覧の通り、きれいになったホタテ貝。でも、まだまだ。もっと丁寧に掃除しないと、売り物としては出荷できない。
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↑清掃作業もう一息のホタテ。まだ汚れがついている。
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↑これで清掃作業完了。これくらいきれいにしないと売り物にならない。
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↑作業を教えていただいたおかみさん二人を囲んでの別嬪写真。
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↑体験作業を終えて参加者、漁業者の共同メモリアルショット。
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↑これほど新鮮なホタテは刺し身でしょ。
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↑新鮮だからって、刺し身ばかりでは飽きてしまう。貝焼きのうま味はまた格別。甘味がぐーんと主張していた。旨かった。

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↑第2回三陸懇親会報告書。

 大槌湾視察、ひょうたん島を前に見ながらの『釜石小学校校歌』斉唱、ホタテ養殖の現場体験と、当初の思いを実現し、帰途に「川の駅横田」にトイレ休憩を兼ねて立ち寄ってもらいました。3年ぶりの「川の駅横田」です。あの夢のような写真に再会できるとワクワクしながらトイレ横にある通路に入ったのです。畳1帖を横にしたくらいの大きな写真ですから、すぐに判るはずです。でも、見当たらないのです。掲示場所が変わったに違いありません。同じ棟にある畳敷きの大広間は閑散としていましたが、その壁面には掲示物はありません。広々した売り場にも、玄関周辺にも見当たりません。あれれ。胸苦しくなってきました。レジの女性に「これこれこういう写真が震災の年に飾られていて、その写真を再び見てみたいと仲間を連れてきたのですが、その写真が見当たらないのです。ご存知ないでしょうか、あの写真」。

 レジの女性は事情を察してくれて、電話でどなたかに連絡をとってくれました。待つこと数分。責任者という方がお見えになりましたので、もう一度繰り返して説明しましたら、そういう写真があったような、なかったような、「なんとも申し訳ありませんが、記憶にないのです。震災の年には、さまざまなアングルの、さまざまな季節の陸前高田を写した写真を飾ったので、おっしゃっている写真がどうなったか、いまひとつ明瞭に説明できず、申し訳ありません。その写真を見るために、わざわざ立ち寄ってくれたのですか。そうですか」と、気の毒がられるやら、謝まられるやら。

 バスに戻って、車内で待っていてくれたメンバーに事情を説明。
「写真がなかったのなら仕方ないですね。長谷川さんの思いはまだこれからも続くのですから、それはそれでいいじゃありませんか。思いはずっと続いていたほうが。では東京に向けて出発しましょうか」と運転席の飯島さん。小雨降るなか、帰途に就きましたが、はて、あの夢見るような風景の陸前高田の写真はどこにいってしまったのでしょうか。陸前高田の昔を知る方々も同様の喪失感に、なすすべもなく、立ちつくしているのでしょう。ボクの思いは一枚の写真が見当たらないだけですが、写真に写っていた風景そのものが奪われた方々にとっては、天を仰いで呪うほかに、いったいどうすればいいというのでしょう。
 幸いなことに、座席にうずくまってシュンとなっているボクに言葉をかける方もなく、それを良いことに、帰ってから息子になんと説明したものか、あれこれ思いを巡らせていました。さて、どれほど寝ていたのでしょうか、目を覚ましたら郡山の手前でした。
by 2006awasaya | 2013-11-11 15:27 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[211=念願の千粒重20gをわずかに超えました]

2013.10.16(水)
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↑まずは今年初めて作ったミルキークイーンを500粒、数えたところです。
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↑数え方をいろいろに変えて、やっと1000粒、数えたところです。所要時間は22分。
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↑1000粒を数え終わったら、次に1000粒の重さを量るために、一個所に寄せ集めるのですが、これ、結構な決断をしないと出来ません。息を殺して、時に鼻息も止めて数えた1000粒ですから。
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↑3回計量して、3回とも19.8gでした。
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↑コシヒカリ1000粒を数えたところです。
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↑まず500粒を一カ所に寄せる。
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↑これも3回計量して、20.3gでした。
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↑左がコシヒカリで右がミルキークイーン。コシヒカリの方が光沢があり、クズ米、が少なかった。

コシヒカリ千粒重20.3g

 深夜に一人、息を殺して、ひい、ふう、みい、よ、と数え、すぐに、この数え方に飽きたので、二の、四の、六の、八の、十と数え方を変え、そうかそうか、生活のあらゆる場面が学習なりと、最近習い始めた韓国語で1、2、3に相当する일(イル)、이(イ)、삼 (サム)、사 (サ)、오(オ)、육 (ユック)、칠(チル)、팔 (パル)、구(クウ)、십(シップ)と10まで勘定をし、さらに日本語の「ひい、ふう、みい」に相当する하나 (ハナ)、둘(トゥル)、 셋 (セ)、넷 (ネ)、다섯(タソ)、여섯(ヨソ)、일곱 (イルゴ)、여덟(ヨドル)、아홉(アホ)、열(ヨル)で、十まで数え、こうやって数え方を取っ換え引っ換えしながら10分が経過し、誰を呪うわけにもいかぬまま、さらに10分が経過。むかし見たヤクザ映画のワンシーンに「卓袱台返し」ってのがあったけど、ひっくり返すに至る心情が判りかけて来たと相前後して、なにやら自制心が急激に緩んできて、それに入れ替わるように憤然とした、名状しがたい獰猛野蛮が肥大してきて、そうか、このままこの肥大を続けているとあの「卓袱台返し」が確実に実行されるなあと、妙に冷静な自分が呟き始めたちょうどその時、10の列が100列、都合1000粒を数え終わったのでした。

 この作業の厳粛な意味を判らぬ人が見たら、なんと無意味なことをする輩なりと、唖然とした表情のまま立ち去るだろうし、カミュにかぶれたことがある人なら、「うーん、この不条理な世界に、まだシジフォスが生きていたか」と、これまた見てはいけないものを見てしまった後悔を奥歯でかみ殺しながら立ち去ったに違いない。

 今年は本命のコシヒカリに加えてミルキークイーンも5畝作った手前、こちらの千粒重もカウントしなくてはいけないので、ミルキークイーン1000粒を数え終えた。所要時間22分。
 自暴自棄状態に陥る前に、間髪を置かずにコシヒカリのカウントに移る。所要時間は18分と4分の短縮だった。

 さて、計量。

 昨年のコシヒカリの千粒重は20g手前だったので、何とか今年の主軸のコシヒカリは20gをオーバーしたいところ。粒の見た目では、ミルキークイーンよりもわずかながら大きく見える。期待している目で見ているから、余計にそう見えるのかもしれないが、計量メジャーに乗せてみると、20gをわずかに超えているように見えるではないか。針がなかなか静まらない。20の目盛りを前後しながら止まった。20gをわずかに超えている!
 都合3度量ってみて、3回ともにコシヒカリの千粒重は20.3g、ミルキークイーンは20gにわずかに届かず19.8gだった。去年のコシヒカリ千粒重を記録したボクのブログ[192=1000粒、カウントしました!])を参照してくだされば判りますが、千葉県のコシヒカリ標準千粒重は20gなので、0.3gとは言え超えた!
 以上、千粒重の巻。

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↑コシヒカリ。
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↑ミルキークイーン。
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↑ふさこがね。
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↑コシヒカリ8とミルキークイーン2の割合のブレンド。

 さて、試食。

 収穫したお米の配分を終えた翌週、お米のメンバーで「食味比べ」をすることにした。この日、銚子で米づくりを始めたメンバーが「ふさこがね」を持ってきてくれたので、食べ比べる選択肢は4つ。
 1はコシヒカリ、2はミルキークイーン、3はふさこがね、4はコシヒカリ8にミルキークイーン2の割合のブレンド米。
 以下、ボクの感想。
 コシヒカリ=パサパサもせず、程よい咬みごたえ。うーん、とてもおいしい。
 ミルキークイーン=少しモサモサした口当たり。冷めたら意外においしいのかも。
 ふさこがね=ブラインドテストだったら、コシヒカリと間違えてしまうかもしれない。ふつうにおいしい。
 ブレンド=レストランや食堂など大きなお釜で炊いたご飯のような、しっかりとした口あたりがあり、びっくりするほどおいしい。
 参加したほぼ全員がほぼ同様の感想を漏らしていたが、食味をあれこれするのって、本当に難しいものだと言うことだけは判った次第。

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↑食味比べに参加した面々です。
by 2006awasaya | 2013-10-17 15:06 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[210=故人を偲ぶ写真が撮れましたよ]

2013.10.1(火)
その節はこの写真を肴に
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↑我ながら、うーん、いい写真だなあとホレボレする写真です。稲穂の抱え方も我が孫を抱くようで、うーん、至福の一葉ですね。

 人生で5回目のお米の収穫を終え、刈り取りを終えた田んぼで撮っていただいた写真です。9月22日〔日〕に最後の収穫を終えた折り、ハサ掛けで干したまっすぐに延びた稲穂一掴みを抱きかかえながら、メンバー各人がそれぞれ記念に撮っておきましょうという話になり、ひとりひとりで撮ったのです。
 気持ちよく晴れ渡ったこの日の天気も良よかったのか、人生の節目節目でさまざまに撮っていただいた写真のうちで、一番こころが晴れている写真が撮れたと自讃しています。
「はーい、とにかく、いい顔、してくださ〜い。美しい情景を思い出しながら、はーい、撮りますよ!」と声掛けしてくれたので、炎天下、全身を汗みずくにしながら草取りをしたこと、一本一本田植えしたこと、なかなかまっすぐに直線を維持できず曲がってしたった田植え機での田植えシーンなどを思い浮かべていたのです。

「アゴ引いて! はい、撮りました。はい、次の方どうぞ」
 つい2週間ほど前に免許更新で撮られた免許証写真と見比べると、いよいよもって我ながら、表情も硬からず柔らかからず、少しばかり誇らしげな人生が撮れていました。パスポートの写真も、免許証の写真も、この写真を使ってくれると嬉しいのですが。

 メールで送信されてきたこの写真を家族に見せましたら、妻は「お葬式の時って慌てて故人の写真を探しまわるよね、葬儀屋さんの一方的な指示があってから。ジイジの時は恭太の結婚式の時に撮った写真がすぐに見つかって、本人もいい写真だと言っていたことでもあるし、それを葬儀用に使ってもらったでしょ。焼香に来てくれた方々からも、いいお顔をされていますね、なんて言われたりしたことがあったでしょ。それと同じで、智昭さんの人生を振り返るにはいい写真だと思うな」と。
 故人を偲ぶ一枚の写真として、この写真を使って欲しいものだと、深く同意した次第です。この写真を肴に、「なんでまあ、あんなに米づくりに夢中になっちゃったか。人の行動ってのはなかなか判らないもんですなあ」とか「あれで日焼けを相当気にしていたようで、日焼け止めクリームをこまめに使ってたんだって。もともと色黒なんだから、気にするのはおかしいって本人に言ったことがあるんだ。そしたら急に機嫌が悪くなっちゃって、きっとセルフイメージは白皙の書斎派を願望していたのかしら」なんて、ひそひそ話をながながとしていただきたいものです。

 『徒然草』に「よき友三つあり。一つは物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには知恵ある友」(117段)とあるそうで、それを下敷きに、芭蕉は笈日記に
米くるる友を今宵の月の客
と詠んでいます。
 加藤楸邨先生は、この「米くるる友」について、「実際にお米を携えて来た友と解すべきではなく、常日ごろ面倒を見てくれる友と心の中で言ったものであろう」とクギを刺しています。晩年に近い芭蕉には、よき友が多数いたんでしょうね。

 お米が繋ぐよき思い出。

 今秋もまた、よき友に恵まれて。
by 2006awasaya | 2013-10-01 15:08 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[209=ブータン製メモ帖を和のテーストで]

2013.9.25(水)
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↑お土産にいただいたブータン製のメモ帖を参考に、和のテーストに作り替えた試作第1号。麻の葉模様の夏着をほどいて洗い張りし、和紙を裏打ちしてから少し厚めの段ボールに着せ、ササコハゼで留めるようにして和のテーストを出してみました。

和テイストのメモ帖

 飯島農園の畑には、山に魅せられた方々が結構いるんです。北海道の大雪山に行ってきたとか、尾瀬を歩いてきたとか、キリマンジャロ山頂の豹を見たいがために遠くアフリカまで出掛けていったへミングウエイ好きのご夫婦がいたりと、まったく優雅な人生を送っている方々のなんと多いことか。

 そんな畑のメンバーの一人から、「ブータンの山に行ってきたのよ」と、まるで高尾山に登ってきたみたいな物言いでおっしゃる奥様がいて、ああ、羨ましい。空気は美味かったですか、とか、国全体が傾斜のキツイ斜面でしたか、とか、お花畑はきれいでしたか、とか、頓珍漢な質問をして辟易とさせてしまったのですが、後日、その方からいただいたのが、このブータン土産のメモ帖。実にステキな意匠。素朴な竹片を留め具として使った巧みさ。大げさに言えば息を呑む思いでした。丸い抜き型で表紙に当たるベロ部分に穴を開け、その位置に合わせて抑えの下紙に切れ目を2本入れ、ブータンのどこにでも生えていそうな竹を薄く削いだ竹片で挿して留める。

 う〜ん、なるほど、いい感じ。裏返したり、かざしたり、実際に使ってみて、そうか、この留め具である竹片は簡単になくしてしまいそうだなあ。紛失すると綴じられなくなって困るなあ。この一点を中心に考えを巡らし、そうか、足袋の留め具などに使われている「コハゼ」ならばいけるんじゃないかと、さっそく試作をしてみました。ちょうど手元に和綴じ用の帙(ちつ)に使うササコハゼ(小さなコハゼという意味)があり、また、解いたばかりの着物地がありましたので、この着物地を洗い張りし、和紙を裏打ちして、メモ帖のカバーとして試作してみたんです。

 作り方の要領がわかってくると、もっともっと作ってみたくなって、初めは書道用の半紙をカットして厚さ10mmに束ねてからメモ帖サイズに裁断。それを四つ目綴で製本し、そのサイズに合わせてメモ帖カバーを作ってみたりしたのですが、書道用半紙を裁断するのに一苦労。

 そこで近くのロフトに行ってメモ帖をいろいろ購入してきて、サイズを測り、型紙を作ってみたんです。メモ帖と一口に言っても、いろいろなサイズが市販されていたんですね。で、一番出回っていて安価なB7サイズのメモ帖をもってボクのメモ帖基本サイズとしました。

 布の柄も着物地以外に、リバティなどの花柄も和装本を作るときの控えで持っていたので、それらでも作ってみました。B7のメモ帖が1冊10円、3センチにも満たないササコハゼが1個50円。製作費用中でなんと一番高い値段がササコハゼとは。いよいよ日本から日本的なものが姿を消していくのがわかります。でも、こんなに高いんじゃあ、使わなくなるのも仕方がないか。そういえば、足袋ってここ30年、履いたことがなかったなあ。あ、いやいや、農作業では重宝している地下足袋は毎週履いているし、この5年で3足目だし。でも地下足袋のコハゼは金具だしなあ。これが象牙製のササコハゼだったら、一つ1000円はするだろう。いま手元にあるササコハゼも、きっとなにかの大型動物の骨だとは言え、値上がりする前に買いだめしておこうかしら。

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↑留め部分はこんな仕掛けになっています。右がブータン製、左が長谷川製。

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↑ササコハゼをはずしたところ。

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↑もっとたくさん作ったのですが、この中では左から2番目の縞柄がお気に入りです。
by 2006awasaya | 2013-09-25 22:43 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[208=今年の収穫]

2013.9.24(火)
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↑2反4畝の田んぼにはコシヒカリを、この5畝の田んぼにはミルキークイーンを田植えし、今年も夏の日照りと夏の終わりに来襲するだろう台風に脅えながらも、除草に励み、ご覧のとおりの収穫をこのメンバーで得ることが出来ました。風通しよく、刈り取った稲ワラを乾燥させるにはハサ掛けにまさるものはなく、かつては日本のどこにても見られた、しかしながら今ではほとんど見られなくなったお米の国のシンボル、ハサ掛けです。そのハサ掛けを背景に、気持ちよきメンバーと今年も無事稲刈りを済ませることが出来ました。

今秋も佳き実りでした

 飯島農園のエントランス脇には神田(「しんでん」と読みます)と呼んでいるおよそ5坪の田んぼがあります。われわれが米づくりに挑戦している八千代市の田んぼの田植えをした5月25日(土)の朝、この神田にて伊勢神宮の外宮神前祝詞を上げ、本年の豊作を祈願したものです。

 ふだんは神も仏も信じていないにもかかわらず、まことに勝手そのものですが、この時ばかりは丁寧に奏上した祝詞の効果があったのでしょうか、約4カ月後の9月14日(土)に約2反の稲刈りをし、一週間後の9月21日、22日、23日の連休に脱穀を済ませました。惚れ惚れするくらいの出来です。

 脱穀作業を始めるに当たって、脱穀初日の早朝、神田の稲刈りをし、生け垣をハサ掛けに見立てて稲束を干し、豊作御礼の祝詞をメンバー全員で神妙に伊勢神宮内宮神前祝詞を奏上しました。

神風の伊勢の国
折鈴五十鈴原の底津石根に
大宮柱太敷立高天原に比木高知て
鎮座坐す掛巻も稜に尊き天照皇大神
亦の御称は憧賢木厳之御魂天疎向津比売之命
亦の御号は天照大日霊之命の大朝廷を祝斎を云巻も畏加礼ど
天津日嗣知食皇命の大御代を
常磐に堅磐に護り奉り給ひ
現き青人草をも恵み幸へ給へる広く厚き御恩頼に
報ひ奉ると称辞竟奉りて拝み奉る状を
平けく安けく聞食と恐み畏みまをす
(伊勢神宮の内宮神前祝詞)


 その後、八千代市の田んぼに移動して脱穀作業を開始、3日間で2.4反の脱穀を済ませました。丁寧に慎重に稲刈りと脱穀をしたつもりでも、田んぼには稲刈り時に刈り残されたり、結束もれでこぼれてしまった稲穂が散見。これらを、ミレーの落ち穂拾いに倣い、一本一本拾い集めると一握りの稲束にもなるんです。毎秋、こうして拾い集めた稲束を我が家の一番目立つ場所に掲げ、実りに感謝を捧げるのです。

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↑5年分の稲束です。写真右が本年産の稲束。

 それがこの写真ですが、なんだか年を追うほどに稲束が太ってきているようで、本年分の稲束を脱穀して籾摺りし、精米すれば、きっとご飯茶碗三杯の銀舎利になるんじゃないでしょうか。

 それはそうと、本年分は籾状態でまだ玄米になっていませんが、玄米になった時点で今年のお米の粒を1000粒数えて重さを計ってみたくて、いまからワクワクしています。頭を垂れた稲穂の具合を見る限り、粒が大きいのです。しかも肉厚な感じがしています。ふつうに炊いてもふっくら美味しそうなお米の予感がしています。昨年のお米は台風で倒伏したり、水管理ができなかったりで、小さく肉厚も薄かったりで、その証明としては1000粒の重さ、これを業界用語では「千粒重」と言うのですが、20gちょうどでした。1000粒で20g。千葉県の標準千粒重は20.4g(コシヒカリ)に比べても下回っていて、実際のところ粒の小さなお米だったのです。去年のボクのブログ[192=1000粒、カウントしました!])とその前年のブログ[171=3年目の稲穂])にも書きましたので、参照してください。
 それが今年の粒はまったくの憶測ですが、21gはありそう。はやく玄米を分けてもらい、1000粒を数えたくてうずうずしています。
by 2006awasaya | 2013-09-25 21:15 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[207=三陸通信4●ご一緒、しませんか]

2013.9.2(月)
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↑三陸へ漁師さんたちの話しを聞きに行くツアーの2013年度版A4案内文です。

ひょっこりひょうたん島へ

 顔を合わせるたびに飯島さんから、「釜石小学校の校歌、知ってます?」と問い掛けられた時期がありました。先月も、先々月も「知ってます?」と聞かれ、そのたびに、「ええ、聞いたことはあります!」とか「震災後に、知りました」とか「飯島さんに聞かれて、ユーチューブにたどりつけ、聞くことが出来ました」とか、返事の内容を少しずつ変えながらやり過ごしてきましたが、実際のところは少しばかり鬱陶しかったのです。世の中の想定問答集は、きっと、この鬱陶しいと思う気持ちを相手に伝えつつも、正面切って「ああ、鬱陶しい」と言葉にしては言い出せず、初めて聞かれた時の感情の複雑さを目許に漂わせつつ、いい時に気の利いた質問をしてくれましたねと、表情全体を解凍させ、「同じ問題意識を共有していますよ」という気持ちを伝えることに終始しているはずです。青天の霹靂なんていう熟語は、深い思索の末に解答がつかめず、その無念の浪費に対して白旗を揚げることであり、そもそも、事前の周到な想定なしには使えない言葉ですから。

 何回目かに問われた後、想定の域内で足踏みしたまま、ボクは少しも問われたことに対しての新たな深化も進化も見せていないことに気付き、唖然となったのでした。「とにかく返事を返すことが大切で、少なくともその礼儀だけは失することはなかった、ああ、よかった」と安堵しているような、弛緩した自分を見る思いでした。お返事ロボットと化していたのです。
 飯島さん、お許しください。

 少し、ボク自身のことをおしゃべりします。
 ボクが通った小学校の校歌はどんな歌だったか。ぼんやりながら覚えているのは、歌い終わりの句が「西小岩」と繰り返される歌詞だったこと。そのことははっきり思い出せるのです。結構しつこく覚えています。通った小学校は江戸川区立西小岩小学校。社会に出るまでは東京都江戸川区小岩に住んでいましたから、地元の同級生とたまに道で出会うこともありました。まさか校歌を歌うと、仲間意識が確認できるなんて考えは、はなから持ち合わせてもいませんでしたが、なんらかのつながりを必要とするときには、校歌の最後のフレーズを口ずさめば、それだけで結構満足できたものでした。

 家の前を改正道路、いまは蔵前橋通りと言われている幅の広い通りですが、小岩駅北口の西で二股に分かれて、一本が当時は工事中でしたが、この工事中の道が新小岩を経由して平井大橋へと進む道、もう一本が四ツ木街道となって奥戸方面へと向かうのです。その分岐あたりを六軒島といいました。その六軒島に交番があり、交番と石屋さんの間の、細く曲がりくねった道を入っていくと、西小岩小学校の裏門に出ました。石柱の門扉を入ると、右手は民家が校庭に出張っていて、左手に木造の小屋があり、のちに図書館になったり、壊されてプールになったりしたのですが、ボクの記憶では卒業するまでは図書館だったような気がしています。校舎は逆L字の木造2階建てでした。

 ところが、風景は思い出せても、さて、校歌の歌い出しはなんだったのか、思い出せないのです。3部で構成されていた校歌の歌い終わりだけは鮮明に思い出せるのです。1番は「ああ うるわしき 西小岩」、2番は「ああ きよらけき 西小岩」、3番は「ああ かぎりなき 西小岩」。小岩町の西の一画をそんな高らかに誇らかに歌ってよいものかと、すこしばかり引いた気持ちで地名を斉唱して終える校歌だったのですが、はてさて、どうやっても全体が思い出せないので、ネットで検索すると、なんとまあ、便利な世の中になったものです。歌詞と曲が紹介されていて、そうそう、こんなメロディだったと、当時の細々した事柄もいっしょにくっついてきて、おかげで60年前の江戸川区西小岩の風景がマダラ模様とは言え、部分的には昨日のことのように鮮明になってきています。

江戸川区立西小岩小学校 校歌(詞=野村旻 曲=下総皖一)

1、朝日は昇る 青空に
  雲かとまごう 桜花
  学びの園に 咲きみちて
  ああ うるわしき 西小岩
2、け高き富士の 嶺遠く
  緑あやなす 木の葉かげ
  学びの窓に 照り映えて
  ああ きよらけき 西小岩
3、流れ果てなき 江戸川の
  水際に巣立つ 羽ばたきは
  学びの里に こだまして
  ああ かぎりなき 西小岩


 木造校舎の2階から、校歌に歌われたとおり、気高き富士山がシャープにすそ野を広げて見えていましたし、江戸川下流に東京湾へのショートカットフローとしての江戸川放水路の開削建設も姿を現しはじめ、さらには湾曲して流れる中川の洪水対策だったんでしょうか、新中川という定規で筋を引いたような直線的な新規の河川開削もぼぼ同時期に着工され、生まれて初めてみる巨大マシーンが動き回る工事現場には日曜日ごとに見学に行った覚えがあります。
 校歌に歌われていた「果てなき江戸川」までは家から歩いて20分くらいでしたし、江戸川に架かる鉄骨トラストの市川橋を渡って国府台までよく遊びに行ったものでした。その市川橋を渡る際、大型のトラックが通るたびに橋梁全体が激しく上下に揺れて、とても怖かったことが思い出され、そんな危険を冒しても、緑なす川向こうの国府台は魅力的な遊び場でした。

 序でと言ってはなんですが、中学校の校歌も思い出せる範囲でやってみると、なんとこちらは歌詞は覚えているのですが、メロディがどうやっても出てきません。わずか55年前のことにもかかわらず、ああ、どうしたことでしょう。小学校の校歌は思い出せて頭の中がすっきりしたというのに、中学時代はまるで暗闇。
 駄目モトでこちらもネットで検索すると、出てきました。しかもメロディもです。

千代田区立一橋中学校 校歌(詞=本校国語科 曲=国枝重寿)
 千代田の杜の緑濃く
 学びの街に生い立ちて
 まことの道を求めつつ
 集いは固し一橋

 理想の灯ははるかまたたき
 つとむる心に希望はあふる

 朝夕を師と共に
 文の林を分け入りて
 ああ向上の径拓かん


 昭和37年(1962)3月に、たしかにこの中学校を卒業しているのですが、こんなドラマチックなメロディだったとは、少しばかり驚きました。一節目の「千代田の杜」はフラットに、重々しく、二節目の「心に希望はあふる」になると一転、転調して甲高い高音で盛り上がり、そしてつづく第三節の「径拓かん」では胸を張り太い声で、なにかしらの決意を表明するぞ、そんな虚勢にも似た起伏あるメロディラインでした。ただし、この校歌を繰り返し何遍聞いても、かつて斉唱したはずなのに、歌えないのです。再現能力がまったく欠落してしまったのでした。ああ、困ったものです。

 そもそも、学校に対してのボクの希薄な思いから言うと、飯島さんが篤い思いでしきりに問いかけてくれた「釜石小学校の校歌」はなんとも新鮮で強烈でした。
 第一に西小岩だの千代田の杜だの、特定の地名が出てこないのです。地名が出てこないということは風景を描写する必要がないので、つまり、富士山とか西小岩などの地名がそもそも出てこないので、美しいとか、気高いとかの形容詞が登場しないんです。
 そのかわり、全編、どのように生きたらよいか、どのように話したらいいのか、具体的な動詞で構成されているのです。さらに、困ったときはどうしたらいいのか、具体的な動作が明示されていて、たとえば、「目をあげて、あわてずに、手を出して、ともだちと手と手をつないでしっかり生きる」と書かれている。骨太に生きるための指針そのものです。さすがに井上ひさしさんの文章でした。肉を削いで骨格だけで自律するジャコメティの彫刻。あの強靱な自律を思い浮かべてしまいました。

岩手県釜石市立釜石小学校の校歌
 いきいき生きる いきいき生きる
 ひとりで立って まっすぐ生きる
 困ったときは 目をあげて
 星を目あてに まっすぐ生きる
 息あるうちは いきいき生きる

 はっきり話す はっきり話す
 びくびくせずに はっきり話す
 困ったときは あわてずに
 人間について よく考える
 考えたなら はっきり話す

 しっかりつかむ しっかりつかむ
 まことの智恵を しっかりつかむ
 困ったときは 手を出して
 ともだちの手を しっかりつかむ
 手と手をつないで しっかり生きる


 この釜石小学校の校歌の詞を味わいながら、歌いながら、定員20名のバスで三陸へと向かう。これが今回のバス旅行の一つの目標でもあるのです。
 いかがですか。いっしょにこのバスに乗って、蓬莱島が浮かぶ大槌町大槌湾を訪ねます。ご一緒しませんか。袖触れ合うも他生のご縁です。10月19日(土)20日(日)の1泊2日のバス旅です。
 蛇足ながら、蓬莱島は井上ひさしさん作の「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島です。
by 2006awasaya | 2013-09-02 15:11 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[206=三陸通信3●なにゆえ三陸?]

2013.8.1(木)

そもそもなにゆえ三陸なんですか?

■糸の発端■

 飯島農園の園主・飯島幸三郎さんは「海」への強い憧れを持ちつづける農業人で、ちょっと気取って「空海山」とサインしたりするオシャレ心も持ち合わせています。岩手県陸前高田市出身の水産学者・小松正之氏(政策研究大学院大学教授)とは3.11東日本大震災以前から交遊があり、東日本大震災直後、小松氏に次のような相談事を持ちかけたのだそうです。
「壊滅的な津波被害に見舞われた三陸沿岸の漁師さんたちに、海への恩返しというつもりもあり、我々が収穫した野菜を送りたいのですが、どうしたものでしょう。畑の仲間にも、同じような思いをいだいている方も多く、それで小松先生に相談した訳です」。
 すると、小松氏からは、
「陸前高田、大船渡ともに大きな被害があったところです。それぞれに知り合いがいますので、その方々の連絡先をお知らせします。そちらに送ってください。きっと喜んでもらえます」と。

 掻い摘まむと、このような経緯で、飯島さんと三陸の漁師さんとの付き合いが始まったのでした。

 さて、3.11東日本大震災の直後から、個別でボランティアに現地に入る方、支援物資を町会レベルで収集発送する方、勤務する企業内で支援チームに参加する方など、さまざまな立場と考え方で応援支援されてはいるものの、飯島農園の「畑の仲間」として支援できることはないのかと、小さな声を上げた女性がいました。
「船橋でも耕作放棄の田んぼや畑が目に付くようになり、こうした空き地を利用して、被災地へ農薬を使わない新鮮な野菜を送ることができないか」と提案したのです。
 飯島園主の賛同を得て、数人の有志で、「被災地も夏は暑かろう。気分も滅入っているに違いない。そんな鬱憤を発散してもらえるような、例えばスイカを作って現地にお届けできたらいいのになあ」と、スイカプロジェクトを組み、飯島農園の一画を提供していただき、スイカの苗を定植し、盛夏を迎える前に収穫。送り先については小松氏から連絡のあった、陸前高田と大船渡の漁師の皆さんへ、お正月の福袋のようなサプライズも味わえるようにと、段ボールの中央にスイカを据え、その周囲に白ナス、エダマメ、キャベツにトマト、オクラにニンジン、ジャガイモなど畑の仲間の自慢の成果を持ち寄り、畑のメンバーでもある阿部冨美子さんの絵手紙やハーブ畑を管理する吉本フジ子さん手作りのヨーロピアン匂い袋「サシエ」、ペットの豆本などを同封して発送したのでした。

 これが2011年7月下旬の第1便でした。さらに8月中旬に第2便、第3便と段ボールに梱包して発送。

 2012年に入り、昨年同様、野菜類を被災地へ届けようと、スイカ、メロン、夏野菜などに加え、竹とんぼ、豆本など、各メンバーの持ち寄った野菜以外の小物も段ボールに詰め、この8月中旬に発送したのでした。

 ところが、発送した直後から、「自分たちが送った野菜類が、はたして現地の方々に喜ばれているんでしょうか。ほんとうに現地の方々が必要とされているものをお送りできているのでしょうか。そのあたりを確認しないまま、一方的に送り付けて、はたしてよいものか」という自問問答がメンバー間で交わされ、これを受けて8月下旬に飯島園主が陸前高田・大船渡におもむき、津波被災地の現状を見聞しつつ漁業関係者と懇談。

 船橋に帰ってきて、その折の印象を次のように説明したのでした。

「野菜類をお送りした陸前高田の区長・伊藤光男さんに会ってきました。カキ養殖の漁師さんとも話してきました。いままでメディアで報道されていることと、現地で見たことには大きな違いがありました。私たちがお送りしたわずかな農産物も、とても喜んでいただけたことがわかりました。そして同時に、現地の漁師さんと直接、もっと時間を気にせずに話をする機会が欲しいなあと、強く思いました。そこで畑のメンバーを募って、もう一度お訪ねしていいかと聞いたところ、おおいに歓迎すると言われ、それで懇親会を企画したのです」と。

 さっそく、畑のメンバーを中心に、2012年11月3日(土)と4日(日)の1泊2日小旅行参加を募った次第です。
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↑昨年2012年の三陸へ漁師さんたちの話しを聞きに行くツアーのA4案内文です。とても盛況でした。

 出発日の1週間前に、「ちばコープ」「おいしい野菜公園2007」のメンバー22名を核とする総勢35名が飯島農園のサツマイモ畑に集合し、サツマイモ掘りに協力。後日、米袋に12kgのサツマイモを詰めた合計25袋と本年2月に仕込んだ味噌5kg樽4つを、当日の朝、マイクロバスに積み、11月3日(土)の6:30、15名を乗せて飯島農園を出発し、柏駅にて3名を拾い、総勢18名で常磐道、東北道を走りに走り、14:15、待ち合わせ場所とした岩手県陸前高田市の海辺に近い駐車場にて区長の伊藤光男さん、第八丸吉丸の吉田善春さんと合流。
 伊藤さんの案内で陸前高田の津波被害による現況をご案内いただき、陸前高田物産センターに立ち寄り、地場産品購入。つづいて東隣する大船渡市へ移動。こちらもまた津波被害は凄絶で、我々のマイクロバスに同乗された伊藤さん・吉田さんの説明を、ただただ謹聴するだけでした。


■はたしてお役に立ったのか■

 民宿海楽荘の新館大広間で我々18名を迎えてくれたのは以下の方々でした。

 伊藤光男さん(陸前高田市・区長)
 吉田善春さん(陸前高田市・第八丸吉丸)
 瀧澤英喜さん(大船渡市・三陸漁業生産組合長理事)
 遠藤誠さん(大船渡市・三陸漁業生産組合理事)

「2012年の夏、こちらに来たおり、さきほど陸前高田をご案内いただいた伊藤さんから、首都圏の方々が何を考えているのか、知りたいと思っているし、逆に、我らが何を考えているのか、聞いてくれることで、復興復旧に向けての我らの考えも整理できるということをおっしゃっていまして、それで仲間を募ってまいりました」と飯島さんが挨拶の口火を切り、「私ども畑の仲間を代表して、おいしい野菜公園2007の事務局を預かっている尾上清義さんからこの懇談会の趣旨を説明してもらいます」と、尾上さんを紹介。
 尾上さんの挨拶は簡明で、畑の仲間のこと、昨年今年と続けてきた支援応援の内容を説明し、「今後も、船橋で野菜を作り、津波被害の中で立ち上がろうとされている皆さまのお力になれるか、なんとも頼りない我々ですが、精一杯のことをこれからも続ける所存ですので、どうかよろしくお付き合いください。また、そうすることで飯島さんが築いてきた三陸のみなさまとの絆を強めることにもなるので、現地の実情を細大漏らさず見聞して帰りたいと思います。しっかり聞いて帰ります」と挨拶。

 続いて伊藤さんが立ち上がり、白髪をかき上げてから一礼。
「本日、みなさまのバスに同乗して陸前高田の中心部をご案内した伊藤です。やっと瓦礫撤去が済んだといった状態です。復旧も復興もまだまだこれからです。震災から1年半が経ち、まもなく二度目の冬を迎えるところです。みなさまから届けられる野菜類がそんななかで、なんとも嬉しく、ありがたく、私、区長をしていますが、仮設にお住まいの方々にひとつひとつ説明しながら配るんです。去年は我々が見たこともない、あれはなんというナスでしょうか、大きなグリーンの、白ナスというんでしたか、あれが珍しくて、こちらではお目に掛かれない珍しいナスでした。いっしょにレシピが入っていまして、輪切りにしてステーキのようにして食べるとウマイって書いてあったので、そのとおりにして食べたです。みんなうまい、うまいって。ほんとうにうれしく、おいしくいただきました。ありがとうございました。被災地ではこうした繋がりが嬉しいものなんです。飯島さんをはじめ、わざわざ三陸まで来ていただいて、ほんとうに嬉しい限りです」

 続いて立った吉田さんからは、震災直後の話が披露されました。
「自分はカキやホヤを養殖している漁師です。地震を感じて、すぐに船で沖に出ました。大きな波を二つ越え、沖へと逃げました。ものすごい波でした。津波の波です。考えるのも恐ろしい大きな波です。陸ではもっともっと恐ろしいことになっていたんですけど、筏もなにもかも流されていまに至ります」

 遠藤誠さん、瀧澤英喜さんもそれぞれ自己紹介をいただき、懇親会が始まりました。

 座を替えながら、津波の話をうかがおうと吉田さんの横に座り、あらためて挨拶を申し上げましたら、
「伊藤さんが挨拶の中で白ナスの話をしてましたでしょ。竹とんぼも喜ばれたですよ。オモチャなど、何もかもを失った子どもたちが喜んだと思うでしょ。あはは。そうではなく、大人たちが喜んでね。だって、子どもたち、遊びかたが判らないです。どうやって遊ぶものか。そう言えば教えなかったなあって。大人たちはそれで子どもたちといっしょに遊べたわけよ。いっしょに遊ぶのって、あの時以来ほとんどなかったもんで。今年いただいた野菜の中の竹とんぼ、嬉しかったなあ」

 この吉田さんの披露された竹とんぼのエピソードは、まことに意味の深い話でした。

 船橋にいて、あれは喜ばれるだろう、とか、こんなものはゴミになってしまうに違いないし、かえって失礼かもと憶測を巡らすことは、ほとんど意味のないことだったのです。ゴミとなって処分されようとも、考え過ぎて送らずにいることのほうが問題だと思いましたが、こうした点については余計な判断をする前に、まずは実行が先という理解が妥当だと思います。

 実はボクは趣味で豆本を作っていまして、被災地にも犬や猫が好きな方はたくさんいらっしゃるだろうしと、犬と猫の自家製豆本を数冊、スイカの脇にしのばせたのです。
 先ほどの吉田さんの話の続きです。

「竹とんぼのついでと言ってはなんですが、かわいいペットの小さな本が野菜といっしょに入っていましてね。うちの子が犬が好きなもんで、めざとく見つけて、わあ、可愛いって。夢中になって読んで、家族全員で回し読みし、いま、だれんところにあるか分かりませんが、あの本も嬉しかったなあ」

 この吉田さんは、飯島さんが最初にコンタクトした海洋学者の小松正之氏と同級生なのだということも、おしゃべりを聞くうちに分かりました。


■思いを引きずったままに■

 翌日の朝、囲碁の黒石を敷き詰めたような碁石浜に下り、さらに、碁石岬の突端を巡り、区長・伊藤さんの先導でふたたび陸前高田へ。前日、現地案内のために待ち合わせた駐車場にて、あらためてサツマイモとお味噌のお礼を言われ、お別れしました。

 この日も前日と同じく快晴。国道45号から284号を走り、東北新幹線の高架をくぐり、一関市街に入り、平泉の中尊寺へ。境内は大混雑。信仰と観光が同居する世界遺産で、金色堂を拝観して早々と帰途に就きました。
 この帰途のバスの車中で隣り合わせた秋山さんと、常磐線柏駅で下車するまでのおよそ6時間、今回の三陸行についてしゃべり続けました。

長谷川 印象に残ったことからおしゃべりしませんか。ボクは復興復旧が掛け声ばかりで、現地ではいっこうに進んでいないことに正直、驚きました。震災の年の10月中旬に、遠野のボランティアセンターから陸前高田市の長部地区へ、そして津波被害の甚大だった大槌町の赤浜地区と、瓦礫撤去作業の一員として、高校生の息子を連れて入ったことがあります。その折に見た風景と、今回、伊藤さんにご案内いただいた陸前高田の風景がほとんど変わりがなかったという印象が強く、復興復旧が思った以上に進んでいないと感じました。国があれほどの予算をかき集めても、こちらに使われていないという印象を持ちました。秋山さんは今回、どんな印象を得ましたか。
秋 山 僕は飯島さんが三陸行きのために配ったA4の案内文に、「被災された方々と腰を据えて話をすることが、なによりも大切だ」と書いてあったのですが、そのフレーズどおり、伊藤さんでしたか、現地の方とほんのわずかとはいえ、お話しすることができ、とてもよかったです。現地の方の話をしっかりと聞くということの大切さ、とでも言ったらいいでしょうか。
長谷川 まさしくそのとおりですね。ボランティアで現地に入っても、なかなか被災された方々と直接お話しすることは難しいと思います。質問すること自体がはばかられる。写真を構えてシャッターを押すことも憚られる。遠野では写真を撮れても、陸前高田の一本残った松の木も、大槌のひょっこりヒョウタン島のモデルになったと言われている沖に浮かぶ小島さえ、写真に撮って持ち帰れませんでした。写真を撮ることすら憚っているのですから、我々外部の個人がお手伝いできることは限られていて、道路脇の側溝清掃とか、津波に襲われた畑での瓦礫分別とか、ごく限られた作業を限られた時間で終えると、ボランティアスタッフリーダーの合図で、現場に一礼。ボランティアセンターのある遠野に引き上げる。現地の方々は現地の方々で、やることは山ほどあり、ボランティアスタッフはそうした現地の方々を気遣いつつ、黙々と清掃作業をする。個人レベルでの交流というチャンスは、むしろ成り立たなくてもよいのだという思いが強くあったので、ボクもいま秋山さんが指摘したフレーズに惹かれて参加したんです。
秋 山 それから、飯島さんたちが今回自分の畑から収穫して持ってきた農産品、おイモでしたか、「これ、私たちが作ったんです」と手渡せる農産品が、もちろんこちらでもお金を出せば買えるものでも、受け取る現地の方々には、やはり嬉しいのでしょうね、ありがたいのでしょうね。
長谷川 伊藤さんが宴半ばでこんなことを言ってました。「昨年、今年と畑で作ってくれたスイカやカボチャ、トマトやインゲン豆、いろんな品目の野菜を送ってくれて、ほんとうにありがたかったです。自分はそれらの野菜を自分の地区に配って歩くことが役割なので、いただいた農産品を被災家族に、これこれこういう人たちが送ってくれたんだよ、ありがたいことだなあと、健康具合や生活ぶり、困っていることはないか、チェックしながら手渡すのです。すると、受け取るほうも、まったくありがたいなあ、え?船橋かい、その農園があるのは。むかし行ったことがあるよと、話しがどんどん続いていくんです。手渡すモノがあり、そのモノにくっついているエピソードをきっかけに、話しがどんどん広がっていく。そういうごく当たり前の日常会話ができるってことが、無性にありがたい」っておっしゃっていました。
秋 山 そうでしたか。確かにそのとおりですね。過酷な状況ですものね。何もかもが津波で持っていかれて、陸前高田の市役所前に献花台が設けられていましたでしょ。みなさんも合掌してましたし、ぼくも手を合わせて。凄惨な風景のただ中で、しばらく頭の中がほんとうに真っ白でした。
長谷川 ぼくの中の凄惨な風景というと、空襲で被災した終戦直後の東京下町の写真なのですが、その記憶にある写真を見ているようでした。ボクは戦後生まれですから、実際にはそういった風景は知らないのですが、父も母もこの風景の中で歩き回り、暮らしたんだろうと。陸前高田でも気仙沼でも大船渡でも、建物の土台だけがある。間取りがわかる。ここが玄関で、ここは海が見える気持ちのいい居間だったろうな。ここは隠居部屋かな。床にタイルがあるからお風呂場だろうな。土台があって、家があったということはそこにきちんとした暮らしがあったはずでしょ。そうしたことを考えると、むやみに現地の方に話しかけて、心を乱すことにでもなったら、と。それで余計にボクは無口になる。

 帰りの車中で、印象に残っている部分だけを思い返してみましたが、ほかの席に座っているメンバーも、きっと同じような思いでおしゃべりを重ね、あるいは独り三陸の風景を回想していたに違いありません。

 もう一つ、秋山さんのおしゃべりを付け加えます。
 今回の日程中、予定していた大槌行きが、時間の都合でキャンセルされたことです。
 1日目の宿泊予定旅館「民宿海楽荘」に夕刻までに入るために、大槌行きはキャンセルとなりました。懇親会の席に、我々を迎えてくれる現地の漁師さんたちを待たせるわけにはいきません。このことは仕方ないとして、翌日、平泉の中尊寺拝観をキャンセルして大槌にまわるか否かの意向をメンバーに計ってもよかったのではないか、という点です。

秋 山 懇親会が終わり、それぞれ部屋に引け、懇親会で話された事どもを話題に、一献、傾けていましたよね。
長谷川 ええ、ボクはもっぱら川口さん、大村さん、景山さんと夢中でおしゃべりしていました。
秋 山 その席で、ぼくと神辺俊治さんはこの大槌行きキャンセルについて話していたんです。
長谷川 え!そのこと、まったく聞こえてきませんでした。
秋 山 神辺さんが言っていたんです。大槌に行けなかったこと、まことに残念だと。
長谷川 それぞれ、あそこに行って見たい、ここを見ておきたいという思いは、今回参加されただれにもあったでしょうね。例えば、いま運転を担当してくれている細谷さんは、「陸地に乗り上げたままとなっている第十八共徳丸をみなさんに見ておいてもらいたいから」と、中尊寺に向かう途中でもあるしと、気仙沼市に立ち寄ってくれましたし、ボクにも同様の思いがあって、陸前高田のあの美しい高田松原が、ワイドに引き伸ばされ、大きなパネルになって掲示されている「川の駅」があるんです。ちょうど気仙川に沿って満開の桜、その先の海辺には高田松原が横たわっていて、夢を見ているような美しい海岸風景が「川の駅よこた」にパネル掲示されていて、トイレ休憩を兼ねて立ち寄っていただきたいとお願いしたのですが、実現できませんでした。神辺さんの話に戻ると、世界遺産の中尊寺拝観よりも大槌をひと目、記憶しておきたいという思いが強かったのでしょうね。そうした「思いを残す」というか「思いを引きずる」、あるいは「後ろ髪を引かれる」という、残念無念を記憶することも、今回のサブテーマとして、おおいに価値があることじゃないでしょうか。


■無理なく継続する応援■

「懇親会を終えるにあたり、飯島農園に集う者を代表して、ひとこと、ご挨拶申し上げます」と、座を立ち、われわれ18名と現地から参加してくれた漁業関係の4名を前に、こう切り出した尾上清義さん。以下のような思いを言葉にして懇親会を閉じたのでした。
「地元のデパートやスーパーで被災地の物産市があると聞けば、行って購入し、さらに、体力に自信があればボランティアに参加したりと、さまざまなスタイルで、メンバー各人が被災地を支援応援していますが、それ以上に、畑の仲間といっしょに、できる範囲で応援支援を続けていくことが大切だと実感しました。『継続はチカラなり』の喩えをあらためて肝に銘じております。来年も再来年も、農産物を送り続けたいと思います」と。
 その挨拶姿を見上げる区長・伊藤さんの表情がなんとも穏やかで、こう言ってはなんですが、ステキ!でした。

 今年も2013年10月19日(土)〜20日(日)の1泊2日で「三陸懇親会」を企画しています。詳細は飯島さんにお尋ねください。
by 2006awasaya | 2013-08-01 17:40 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[205=三陸通信2●バーベキューパーティ報告]

2013.8.1(木)

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↑岩手県大船渡市三陸町越喜来の漁師、遠藤さん(左)と陸前高田市の区長、伊藤さん。タコカゴ漁では大変お世話になりました。今年の秋にもまたお伺いします。

話の糸口

 タコカゴ漁に乗船させてくれた漁師の遠藤誠さんとは、どんな方なのか、興味が湧くでしょ。三陸漁業生産組合の理事も務める進取の漁師さんなんです。「三陸のタコ漁 乗船記」でも分かるとおり、笑顔がステキで、瞳に力があり、そしてなにより、両の手が大きく力強いこと。まさしく漁師さんの手なんです。この分厚な両の手で握手をされると、全身を大きなパワーで包みこまれるような、ム、なんだこの安らぎはと、不思議な感触が伝わってきます。右手だけを差し出し、シェイクハンドする儀礼的な握手でも、ふだんからその習慣がないだけにドギマギしてしまいますが、遠藤さんの場合は左手も加わりますので、圧倒的なたっぷり感におぼれてしまいそうです。

 ところで、遠藤さんが理事をされている「三陸漁業生産組合」については各自で調べてみてください。
 ボクがweb上で調べた範囲で申し上げると、この新しい漁業組合を突き動かしているキーワードは「6次産業化」でしょうか。

 漁業は農業・林業と同じく自然に対して直接働き掛けることで業を産み出す「1次産業」に分類されています。1次産業で生み出された産品に加工という価値を付与して業となす「2次産業」は、漁業関連では「水産加工業」です。この水産加工品を魅力的に組み合わせるなど、さらに魅力をシェイプアップする産業を「3次産業」といいます。ここまでは産業構造を分かり易く説明する分類学に過ぎません。三陸漁業生産組合が進取だというのは、1次+2次+3次=6次という新しい視点と考え方で三陸の海を見詰めたところにあるのです。自分たちは魚を獲る人、加工するのは別な人がやり、加工品はさらに別な人が売るのでは、震災前の自分たちの姿と同じではないか。自問自答を繰り返すうち、同じような視点と考え方を共有する仲間が増え、さらに知恵を出し合い、新しいスタイルを作り上げた。それが三陸漁業生産組合なのです。
 漁もすれば、加工もし、まったくの新規分野に売り込みもする。
 勢いが第一からして違います。
 応援団も増えてきた。
 飯島さんも、実は応援団の一員だったのです。

 話がなかなかバーベキューパーティに辿り着けませんが、もうしばらくお付き合いください。
 そもそも、なにゆえに三陸の漁師さんなのか、この最初の一歩を説明しておかないことには、船橋から600km離れた岩手県陸前高田と大船渡市三陸町越喜来を結ぶ糸が見えてこないと思います。その最初の結び目について、2年前からのエピソードを真剣!野良仕事[206=三陸通信3]にまとめましたので、そちらを読んでいただければと思います。飯島さんの頭の中で結び始めた「農業と漁業の共生」というイメージが少しずつ形になってきていると思います。

 さてこそ。調達した三陸の食材へと話しをやっと進める下準備、いやいや舌準備が出来たようです。写真をベースにバーベキューの様子をスライドショーにしていきましょう。

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↑発泡スチロールのトロ箱には、三陸の海の幸。白い腹を見せているのはナメタガレイ、その下にはカジカ、口から空気袋を出しているのは深い海にすむドンコ、かな。これとは別に、タコと、組合長理事の瀧澤英喜さんからいただいた毛ガニもいっしょに船橋の飯島農園竹林のバーベキュー会場へと発送された。

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↑発泡スチロールのトロ箱の蓋を閉める前に、海水を凍らせて作った砕氷を詰める。真水の氷と比べると、はるかに鮮度を保つ能力が上とか。小さな氷を一つ摘んで口に含むと、しばらくして溶けだし、確かに口の中が海になった。

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↑船橋に届いた大きな毛ガニ。瀧澤英喜さんからは茹で方のポイントを伝授されたので、この日、調理を担当する大村さんと川口さんに携帯で、瀧澤さんから聞いたとおりの内容を直接、伝えました。「毛ガニの腹側に塩を擦り込んでから、多めの熱湯で茹でてください。茹で時間は15〜20分。ポイントは塩を腹側に擦り込むこと。これだけを守ってもらえれば、三陸の毛ガニの美味さは分かってもらえます」と。

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↑タコの茹で方も、遠藤さんから詳細なノウハウが伝授された。「大きめの鍋に熱湯を用意する。湯が煮立つ前に、タコの表面のヌルを塩揉みして取り除いておく。水洗いしてからタコを熱湯に。だいたい5分から7分。箸で突いて、通ればOK。火傷しないようにタコを湯からあげ、氷水に浸ける。家庭用の冷蔵庫の氷よりはコンビニなどで売っている氷があったら、それのほうがいい。一匹目を茹でたら、煮汁は捨てずに、足りなくなった分を足して、また同じように茹で、氷水で冷やす。本当は一匹目を茹でる時、番茶を入れるのがいいんだ。番茶の葉っぱを布の小袋にいれて、いっしょに茹でるのね」と。

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↑飯島農園竹林のバーベキュー会場。左から調理担当の大村悦子さん、金子さん、阿部さん。

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↑ビールの肴として絶大な人気を集めたのがこのナマコ。大村さんは、「これにレモンの輪切りが入ると、小さい頃にお袋が瀬戸内で獲ってきて食べさせてくれた味になるんですが」と。

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↑しゃれたレストランの一画に見えないこともありませんが、ただコンパネを渡しただけのテーブルです。集う人物がステキだと、雰囲気もステキに見えるから不思議だなあ。

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↑時間ぎりぎりでバーベキュー会場に滑り込んだ三陸調達組の風戸、長谷川と、会場準備担当の阿見さん。

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↑いつ見てもステキな笑顔の阿部さんご夫妻。

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↑素麺流しで盛り上がるハーブの吉本先生(手前)とブータンから帰ってきたばかりの川口さん。

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↑大槌に行きたかったと思いを残す神辺さん。

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↑畑ではいつもアドバイスとサポートをいただいている小林さん。

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↑川上で大半が捕獲されてしまい、川下ではほとんど収穫なしの素麺流し。凄絶な争奪戦は、むしろ子どもたちにしっかりと見せておくほうがいいのかも。


 いやあ、ことしも竹林バーベキューパーティは楽しかったですね。三陸の漁師のみなさん、おいしい野菜公園2007関係各位、そして飯島さん、ご苦労様でした。
by 2006awasaya | 2013-08-01 17:31 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[204=三陸通信1●タコ漁体験報告]

2013.7.30(火)

三陸のタコ漁 乗船記

 三陸のタコ漁船に乗ってきました。タコ壺を使うのか、釣りをするように釣り針にエサを付けて獲るのか、それともタコが大好きな伊勢エビをオトリにしておびき寄せ、モリかなにかで突いて獲るのか。ボク自身なんの予備知識もなく、飯島さん、風戸さんに同行して第五崎浜栄丸に乗船し、なんのお手伝いも出来ないまま、その様子をカメラに収めてきたのです。
 まずはその一部始終をご覧ください。

タコカゴ漁一部始終

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↑【5:10】この日、2013年7月26日(金)の早朝、大船渡(おおふなと)市の越喜来(おきらい)湾に面した浜崎漁港からタコ漁に出る面々です。右から飯島幸三郎さん、伊藤光男さん、遠藤誠さん、風戸邦彦さん。撮影者は長谷川智昭です。海は穏やか。ただし、濃い霧が立ち籠めていた。

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↑【5:46】濃い海霧が立ち籠める中、越喜来湾の湾口に当たる大塩岬、首崎と廻り、最初のポイントに到着。このポイントへはGPSで確認しながら船を走らせていたが、長谷川と風戸は船尾に座って海を眺めるのみ。およそ30分後、ポイントに到着。この赤い旗のブイが目印。

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↑【5:48】船を前進後進と微調整しながら、赤い旗を結んだブイに近づけ、船上に引き上げる船長の遠藤さんと伊藤さん飯島さん。発泡スチロールとはいえ、とんでもなく重い。船上に引き上げると、このブイに結ばれたロープが深緑をした海の底から現れる。

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↑【5:56】ロープは何人が束になろうと人の力では巻き上げることなど出来ないが、巻き取り機にロープをセットし、巻き上げボタンを押すと、低いうなりを上げてタコカゴが現れる。最初のカゴが上がってきたが、タコは入っていなかった。

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↑【6:00】ロープには18m間隔でタコカゴが結ばれている。5カゴ目だったか、大きなタコが入っていた。カゴからタコを取り出すだけでも大変な作業だが、この大きなタコを水色の蓋付きバケツに入れるのも一苦労。蓋をとり、10kgはあるタコを入れ、素早く蓋をする。

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↑【6:02】タコカゴの中央に、エサのサンマを頭から刺している伊藤さん。背を上に、腹が下になるように刺すと、海底に下りた時、泳いでいるように見えるらしい。揺れる船上でこの作業をするのはなかなかに難しい。しかも次から次にこなしていかなくてはならない。

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↑【6:10】船は自動運転にセットされていて、引き上げ作業に専念できる。遠藤さんはカゴの引き上げ、伊藤さんはカゴの清掃とエサのセット、飯島さんはバケツにタコを入れる役割を勝ち取ったようだ。海に生きる男達は見ていて惚れ惚れするほど、動きに無駄がない。ただ感心するばかり。

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↑【6:33】カゴの数は60あった。最後のカゴに、小さめのタコ。タコの他に、ウニやヒトデやアイナメ、カレイ、ドンコなど、いろいろな魚が入っている。貝類も入っている。海の底にいる魚介がエサのサンマを食べにカゴの両サイドに開いた開口部から入って来るのだろう。

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↑【6:39】海底に仕掛けたカゴをすべて引き上げ終わったところ。30個ずつを上下ずらして積み上げ、この二山で60個のカゴを整理する伊藤さん。とにかく作業に無駄がない。遠藤さんは3つのローラーからなる巻き上げ機を止め、ロープの縒りを戻したりと、手際よく作業している。

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↑【6:41】タコカゴ漁の最中は、風戸、長谷川は見学。船舶免許を持つ飯島さんは嬉々として漁の手伝いをしているが、我々両名はウニをいただくのみ。海水で洗い、いただく。うーん、濃厚な味。二つに割る。海水で洗う。味わう。長谷川は船上で10個いただいた。

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↑【6:44】越喜来湾と吉浜湾を隔てる半島の突端、首崎と小壁崎の中間辺りでタコカゴ漁をしていたらしい。魚群探知器のモニターには水深106mとあり、すぐヨコのモニターは車のカーナビのような位置情報を示している。これがあったから、濃霧の中、このポイントにたどり着けたのだ。

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↑【7:02】位置情報を確認し、60カゴを、船を走らせつつ再び投下。このカゴが60個目のカゴ。船上はご覧の通り、整然とかたずいている。このあと、汲み上げた海水で甲板を隅々まできれいに洗い流す。段取りがまことに手際よい作業は、そばで見ていてとても気持ちがいい。

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↑【7:03】赤旗を立てた浮遊標のブイを投下して、タコカゴ漁の作業はこれで終了。濃霧で視界がほとんどないが、どうやら半島の突端から20〜30m沖のところにいるらしい。海は穏やかで、風もなく、雨もない。絶好の漁日和。これで波があり、雨が降っていたら、つらい作業だったはず

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↑【7:46】さきのポイントから30分ほど経過した新しいポイントに到着。霧が若干ながら薄れてきて、岬の荒々しい岩壁が見える。水深は先ほどより20m ほど浅い80m。位置は吉浜湾に近い小壁崎沖のようだ。位置情報はログとして残せるので、洋上といえど、迷うことはなさそうだ。

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↑【7:54】遠藤さんと伊藤さんは新しいポイントで、もうすでに作業をしているが、見学組は仕事の邪魔にならないよう、ひっそりと船尾に身を縮めているか、ウニを洗って食べるかしかない。まったくありがたいことだ。NHKの朝の連続テレビ「あまちゃん」ではウニ1個が500円だったなあ。

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↑【8:05】タコカゴを引き上げると、タコ以外に小魚が入っている。少しばかり大きめの魚は取っておくが、小さい魚は海へ。そこにはウミネコが待ち構えていて、ちょっとした争奪戦を演じている。鳴声がニャーニャーと、まったくうるさいが、耳を澄ますと、鳴声に個性差があるようだ/font>

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↑【8:07】新たなポイントでは、もうしっかり乗船員の一員となり、かいがいしく働く飯島さん。揚がったタコを器用にバケツに入れ、蓋を閉められるようになっていた。遠藤さんは操船とカゴの引き上げとタコの取り出し。伊藤さんはカゴの清掃整理とエサ付け。飯島さんはタコの収納。

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↑【8:23】小さな魚は海へ返すが、カジカ、ナメタガレイ、アイナメ、ドンコ、ウニなどはカゴいっぱいになる。写真右の、腹を見せているのがドンコで、これの煮魚が昨夜の宿で出され、おいしいのにびっくり。コラーゲンたっぷりとかで、女性にはことのほか人気らしい。ああ、また食べたい!

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↑【8:24】第2ポイントでのカゴ引き上げを終え、投下を開始。船はあらかじめセットした設定に従っての自動操縦で動いている。波を切って進んでいるので、それが分かる。遠藤さんはタコカゴの上部を立て、クリップで留め、ロープの縒りを直し、すべてを確認してから投下していた。

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↑【8:31】60個のカゴの投下を終え、目印のブイを投下し、崎浜漁港に戻る。出発時の濃い霧に比べ、だいぶ薄く明るくなってきた。断崖絶壁が意外に間近に見える時がある。カモメたちも、食べ物にありつけないと分かった時点で姿を見せなくなった。海上に響くのは船のエンジン音だけ。

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↑【8:43】船尾で左を見ると、霧の向こうに岩礁。すぐ脇だ。その険しさに思わず身を引いてしまうが、こうしたシーンには普段、なかなかお目に掛かれないので、何枚も何枚も撮影してしまう。あとで捨てることになると判っていても、シャッターを押さずにいられない絶景がつづく。

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↑【8:45】船尾の真後にて5分ほどムービーで撮る。風上に向かって走っているようで、船が大きくローリングしたり、ピッチングしたりする。船上には手すりが各所にあり、移動する時も含め、たえず掴まっていないといけないと、スタート時点で厳重注意されたことを思い出す。

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↑【9:12】崎浜漁港に戻ってきた。飯島さんだけが手伝えて、我ら両名、なにも手伝っていないにもかかわらず、潮風を浴びたせいに違いない、一仕事を終えて港に戻ってきた漁師気分になっている。声も顔も少しばかり錆びたようだ。大きなバケツからタコを出し、チェックする遠藤さん。

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↑【9:13】茶褐色の濃いタコ、白っぽいタコ。いろいろ個性があるのだろうか。大きなタコで20kg以上。おいしい三陸の魚介を食べて育ったのだろうし、さぞ美味いだろう。そんな思いで見ていたら、飯島さん曰く「あれほど剛腕なタコも、こうしてみるとなんともダラシナイもんだ」と。

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↑【9:16】メインマストのウインチで漁獲の荷を岸壁に下ろす遠藤さんと、軽トラ荷台に移す伊藤さん。遠藤さんは左手に持ったコントローラーで揺れる船上から正確に操作。慣れとは言え、なかなか難しい作業なのだ。

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↑【9:25】遠藤さんの船「第五崎浜栄丸」。この時間になって、霧も晴れてきて、波がまったくない、穏やかさ。海はいつもいつもこんなに優しい表情を見せてばかりはいないこと、1年前に陸前高田の広田湾のカキ・ほや漁師の吉田善春さんから聞いたことなどを思い出していた。


なにゆえ三陸?

 7月25日(木)〜27日(土)の2泊3日で、三陸に海の幸を求めに行ってきました。海の幸?ええ、そうなんです。「飯島農園おいしい野菜公園2007」の、夏の定例行事「バーベキューパーティ」のための食材調達。
 表だってはバーベキューパーティのための食材調達ですが、この春先からスイカパラダイスのメンバー4名が丹精込めて作ったスイカを陸前高田市、大船渡市三陸町越喜来(おきらい)在住の漁師さんに送り届け、その帰りに三陸の海の幸を持ち帰ろうというドライブ旅行だったのです。
 船橋と三陸の陸前高田は地図上の直線距離で400km、走行距離で550kmと結構離れていて、車で走って6〜7時間は掛かる遠距離を、飯島さんの運転で飛ばしに飛ばし、着いた先は陸前高田の元高田松原前の駐車場。先年、お世話になった陸前高田市区長の伊藤光男さんとここで待ち合わせをし、約20km北東に位置する大船渡市越喜来へ。
 ところで、三陸までスイカを乗せた車を走らせたのには、いくつかの懸案がアリ、飯島さんが構想する「農業と漁業の共生」を実現するための打ち合わせも兼ねての三陸行だったのですが、ボクはその構想にはタッチしておらず、ただただ、スイカお届けグループの一員として、また、バーベキューパーティの食材調達担当として同行したのでした。
 
 スイカは陸前高田市区長の伊藤さんに手渡し、大船渡市三陸町越喜来の漁師、遠藤さんの誘いでタコカゴ漁に乗船させていただいたのです。
 その一部始終は「三陸のタコ漁 乗船記」で紹介しましたので、おおよそ雰囲気はつかんでいただけたかと思います。その食材は、越喜来の大きなタコとナメタガレイ、カジカ、アイナメ、ドンコ、これに加えて、三陸漁業生産組合の組合長理事を務める瀧澤英喜さんが獲ってきた大きな毛ガニを、バーベキューパーティに間に合うように、宅配便にて別送しました。この豪華で贅沢な食材の数々は、次のレポート[205=三陸通信2]にて紹介する予定でおります。それに加えて、飯島さんと三陸の漁師さんたちの絆が、いかなる経緯で結ばれたのか、この点についても、[206=三陸通信3]として近日中に、再び長々とレポートすることにします。乞うご期待を。

by 2006awasaya | 2013-07-31 22:45 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[203=カメムシ発見]

2013.7.29(月)

出穂の穂先にカメムシ発見!

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↑2013年7月28日(日)、我々の田んぼのすぐ上の田に、カメムシ発見。ハエも多く散見されたが、カメムシが多いのに一同ショックを受ける。出穂したばかりの穂先に鈴なりで留まっている姿も確認。これから開花して結実をスタートさせる最初の一歩でこのカメムシに舐められたり吸われたりしたら、結実どころか、枯れてしまうに違いない。
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↑なんだこれは! 病気か? カメムシを発見してのち、きっとカメムシ被害にあったイネも多くあるはずと、注意深く見て回ると、もうすでにカメムシ被害にあったような稲穂が見つかった。たとえばこの写真。


 今月末、7月30日(火)に八千代市にある我々が米づくりをしている一帯に、ラジコンヘリコプターによる水稲病害虫駆除を目的とした薬剤の一斉散布が行なわれるので、散布後1週間は田んぼに近づかないことにしました。
 どのような薬剤が散布されるかというと、主にいもち病発生予防の薬剤で、その他に害虫駆除にも効果的な薬剤が散布されるということがJA八千代市のホームページに掲載されていて、散布エリアが地図でわかるようになっています。
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↑八千代市植物防疫協会のホームページに掲載されている散布エリアマップ。

 ところが、昨年まではどのような薬剤が散布されるのか、薬剤名が記載されていましたが、今年は薬剤名は記載されておらず、注意書きとして
「散布区域の水田に隣接する通学路や住宅等に薬剤が飛散しないよう十分注意し散布を行いますが、散布中は散布区域への立ち入り、農道の通行は避けて下さい。なお、散布後も1週間程は水田に立ち入らないよう、ご理解ご協力をお願い致します」とあり、問い合わせ先八千代市植物防疫協会の電話番号が記載され、細かな内容は電話で問い合わせる方式に変更されています。
 そこで、「八千代市植物防疫協会」を検索。すると、こちらのページには使用薬剤が明記されていました。アミスタートレボンSEとイモチエーススタークル粒剤の2種。

 注意事項として、こちらのページには寄り具体的な注意喚起が明示されていて、以下のように説明されています。

 使用薬剤は、農薬取締法に基づき空中散布用として登録されている、より安全性の高い薬剤を使用し、散布区域の水田に隣接する通勤、通学路及び学校、住宅地等に薬剤が飛散しないよう十分注意して早朝に散布していますが、次の点に注意し、ご協力をお願いします。
(1)散布地域には旗を立てますので立ち入らないで下さい。
(2)散布後一週間程度は、水田には立ち入らないで下さい。
(3)散布中は農道など散布区域内の通行や新川遊歩道付近での釣りは避けて下さい。
(4)散布中の児童等の通学には農道を通らないようにお願いします。
(5)万一、薬剤を吸い込んだり、身体にかかってしまった場合は、うがいや石鹸などですぐに水洗いしてください。気分が悪くなる等の症状が出た場合は、必要に応じ医師の診断を受けられるようお願いいたします。

 我々の田んぼは除草剤やその他の薬剤を使わずにお米づくりをしていますので、事前に八千代市農協に対し、「我々の田んぼには薬剤を散布しないでください」と申請し、受理されて、薬剤を散布しない田んぼであることをラジコンヘリコプターのオペレーターに分かるよう、目印としてオレンジ色の旗を田んぼの四隅に立てましたので、今回の薬剤は直接的には掛かりません。どのような散布の具合かは2年前にボクのブログ(「ラジコンヘリによる農薬空中散布」)で紹介していますので、参照してください。生え揃ったイネの上空約2〜3メートルを維持しながら金属的なモーター音を響かせて、ラジコンヘリをコントローラーでオペレーションするオペレーターともう一人の係員2名一組で散布する様子を掲載しましたので、そちらをご覧ください。我々の田んぼには薬剤を散布しない旨、オレンジ色の旗を四隅に立てていますが、すぐお隣りの田んぼには薬剤が散布されるわけですから、風向きによっては薬剤が飛散するに違いなく、「無農薬で作っています!」なんて胸を張れる米づくりにはなっていないのです。ただし、注意事項に説明してあるように、より安全性の高い薬剤と書かれていても、薬剤は薬剤。メンバー各位は、できるだけ薬剤は浴びたくないので、散布予定日7月30日(火)前に畦の除草だけでも徹底的に済ませておこうということになり、7月28日(日)の早朝から昼まで、草取りに励んだのでした。

 7月28日(日)。7:30から揚水する一方、刈り払い機と鎌で畦の除草し、すぐに大量の汗に堪えられずに休憩を取り、再び作業をし、この繰り返しを何回かした何回目かの休憩時に、メンバーの一人、Tさんが「穂が出ていますが、そのなかに黒っぽい穂もあるんですが、あれはなんでしょうかね」と、疑問を漏らしたのです。
 滴る汗をぬぐいながら一同、フリーズしたように一瞬表情をこわばらせ、Tさんを注視。
 一番早くフリーズが溶けた長谷川が、「Tさん、その黒っぽい穂って、どのあたりで見ましたか」と問い掛け、すぐにその現場に案内してもらったんです。
 なるほど、イネは出穂を始めていて、中には花を咲かせて籾殻部分を開けている穂もありました。その問題の穂は、授粉を済ませ開けていた籾殻部分を閉じて、実りへと向かう登熟初期の、少しばかり早熟のイネだったんでしょうか。
「病気じゃないといいんですが、一応、写真に撮って後で調べてみましょう」ということになり、この「黒い穂騒動」の後は、出穂を済ませた穂を鋭く観察しながら除草作業を続けたのでした。
 これだけきれいに除草したのですから、病害虫の住み処となる雑草は、これで向こう1週間、田んぼに立ち入らないとしても、生命力旺盛な雑草たちが景観を変えるほど、あるいはイネたちの姿を覆うほどには成長を進めることはなかろうと、現場から引き上げてきたのです。
 それにしても、イモチ病予防とカメムシなどの害虫を駆除する目的で明日、散布され、ここに紹介したカメムシらはきちんと殺虫されるでしょうか。それとも、薬剤が散布されない我々の田んぼに避難して命を生き長らえるのか。この件については8月11日(日)に除草作業が予定されていますので、その折に報告することにしましょう。
by 2006awasaya | 2013-07-29 21:31 | 真剣!野良仕事