【真剣!野良仕事】[104=落花生の煮豆]

2009.5.11(月)

シマさん直伝・落花生の煮豆

 5月2日(土)、ガムランのステージ関連整備を終え、自分の区画の手入れも済ませて、さて帰るとするかと、腰をさすりながらズボンについた土を払っていましたら飯島さんから電話。
「いま、どちら? まだ畑? それじゃあ、帰りがけに好人舍のテーブルに、シマの落花生をおいておきますからもって帰ってください」「え? シマさん作の落花生! ありがとうございます。それはそうと、飯島さんはこれからお出掛け?」「ええ、これからちょっと出掛けなくちゃならないんで。それじゃあ、今日はお疲れさまでした」。
 なにやら急いでお出かけしなくちゃいけない風。
「はい、忘れずに頂戴して帰ります」と返事をしたその直後に電話は切れた。
 余程に急いでいたんだろう。雰囲気としては、約束した時間をすでに30分はオーバーしている感じの気の急きよう。

 好人舍前の洗い場で、ツメの間に入り込んだ土をタワシでゴシゴシやりながら、ついでに両腕もそのタワシでゴシゴシ洗い、好人舍を覗くと、テーブルの上に落花生の包み。
 シマさん作の落花生。

 殻も剥き終わり、ふくふくと太った、桃色の甘皮にくるまった大粒の落花生です。形がいいのばかりを選り分けてあるので、本来は売り物用に取っておいたものなのではないのかしら。
 殻を剥くというか割るのが結構めんどうな作業で、一昨年、自分の区画で作った時には、水洗いしてから天日干しをして、殻を割って剥くまで、本気でめんどうだった思いがある。殻を割るだけでも一苦労なのだ。それで今年は落花生を作らなかったのです。とにかく、食べるところまでにいろいろしなくてはいけないことが多く、[19=落花生の収穫]では書きませんでしたが、こうした手間を掛けたものは、なべて、仇やおろそかにはできません。

 名状し難いふくふくとした幸福感を助手席に置いて帰宅し、早速に一握りをフライパンで炙っていただきました。これ以上炙ると甘皮が焦げちゃうので、火を止めて5分ほど放置。
 熱を帯びているフライパンからまだ冷めない落花生を一粒つまんで、口の中で転がしながら噛み締めると、カリカリの食感はまだなくて、少し硬めのギンナンを噛んだような弾力。
 それでもしばらく置くと、もうごく普通のカリカリ落花生。
 そうか、子ども時分に、少し湿気った落花生は捨てるなどせずに、火に炙って食べたっけなあと、父親が食べ残した落花生を火鉢に焙烙をかざしてコロコロ炙った記憶が結構鮮やかに甦ってくる。もう50年も前の記憶が、落花生独特の香りをともなって脳裏に映し出される。なんとも不思議な数瞬でした。

 それから1週間後の5月9日(土)に、畑に出る前に飯島家を覗いたら、作業小屋でシマさんがサツマイモを整理中。落花生のお礼かたがた、兼ねて聞きたいこともあって、ご挨拶に立ち寄りました。実際にはシマさんの脇に座り込んで。

 兼ねて聞きたいこととは、「成りものの味」について。
 例えばの話、ホウレンソウも小松菜も、いまではほとんど味に違いがなくなってきていて、目隠しテストでもやってみたら、味の違いはほとんど分からないんじゃないだろうか。ホウレンソウだと思って調理しているから、食べたときにホウレンソウの味がする。あるいは、スーパーの陳列棚に小松菜と書いてあるし、小松菜だと思って料理しているから小松菜の味が各人の記憶の襞から滲み出てきて、ああ、いま小松菜を食べているんだと、そんな思い込みの味覚で食べているのではないのだろうか。
 しかも困ったことに、味覚の記憶が年々あやふやになってきていて、保存形式についてwinではなんと言うのか分かりませんが、macで言うところの上書き保存と別名保存をボクの記憶装置自身が勝手に使い分けている風があり、野菜全般に関してはなんとか別名保存を心掛けて入るものの、こと味覚全般に関しては上書き保存で更新されていく傾向が見られ、まったく、時々の流行に流されっぱなしの見識なき味覚のママ。
 さらに、種苗メーカーさんの飽くなき企業努力の成果なんでしょうが、品種改良がここまで進んでくると、売れる品種に進化して、数年経つと、もはやこれが改良前の姿だったとは到底思えないほどの姿カタチになっていたりする。

 これらの事情で、記憶にとどめている「味覚全般」は日々更新され、上書き保存されているので、ボクの場合、相対評価となり、絶対評価は怪しいものになってしまっている。

 そこで、シマさんが出てくるって訳です。
 驚くことに、90歳を超してなお、矍鑠として農作業を続け、何を聞いても、即座に回答してくれるのです。記憶の引き出しがきれいに分類整理され、タグというか、インデックスの整理が余程に工夫されているんでしょうか、検索時間が文字通り、瞬く間、瞬時に言葉となって出て来るんです。

長谷川 たくさんいただいた落花生ですが、炙って食べるかピーナツ味噌にするかですが、それ以外に、どんな食べ方があるでしょうか。
シ マ 煮豆はやったこと、ありますか。ウズラ豆とかそら豆と同じように、一晩水につけておくんです。それで一煮立ちさせてから水を代え、弱火でコトコト、気長に煮るんです。昔は火鉢やコンロがありましたから、そこに置いておけば、やわらかな煮豆ができるでしょ。落花生はほんのり甘くなるように砂糖を入れて。同じ豆でも、落花生の煮豆はとってもおいしいですよ。
長谷川 いただいた状態で、つまり、甘皮がかぶった状態で煮続ければいいんでしょうか。
シ マ 皮がかぶった状態のほうがおいしいと思いますよ。おいしく煮るには、水を足すんじゃなく、水を代えること。味付けは最後にね。

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↑落花生の煮豆、作ってみました!圧力鍋で煮てみました。強火10分、冷却、水代え、強火10分、冷却、水代え、強火10分、水代え。その後、砂糖50g、味醂50cc、刻んだ昆布少々、しょうゆ少々、塩少々を入れ、強火で5分ののち、30分放置。落花生の風味は少しも薄れず、マシュマロのようにやわらかに煮上がりました。

長谷川 分かりました。帰ったら早速やってみます。圧力鍋を使えば、燃料代も節約できそうですしね。それから、もう一つ、お聞きしたかったことがあるんですが、よろしいでしょうか。野菜の味についてなんです。シマさんが農業を始められた頃のホウレンソウと、最近のホウレンソウとでは、どのような違いがありますか。
シ マ ぜんぜん別な種類の野菜だって感じですよ。私らが若い時分のレンソウは根元が赤くて、それは甘みが強かったんですよ。いまのレンソウはその甘みがほとんどありませんよ。ですからレンソウって感じがしないんです。
長谷川 そんなにも違うものでしょうか。
シ マ まったくといっていいほど違いますよ。
長谷川 肥料の関係でしょうか、それともタネの関係でしょうか。
シ マ 昔は自分でタネを取っていましたから、自分のおいしいなと思うレンソウができたように思いますよ。いまではタネ屋さんのタネを買って播いていますから、みんな同じような味のレンソウになっちゃうんですよ。仕方ない話ですが。肥料の関係はあるのかないのか、それはよく分かりません。
長谷川 その肥料のことですが、堆肥はもちろん自分で作っていたんですよね。
シ マ ええ、いろいろな種類の落ち葉を集めて積んでおくだけだったですが、やはりクヌギの葉が一番多かったようです。先日、孫が作業小屋の整理をしていて、木製の桶を見つけてきたんです。きれいに洗ってもとに戻してもらいましたが、あの桶で肥やしを両天秤に振り分けて運んだものなんです。ずいぶん重いものですが、昔の人は平気で担いだもんです。
長谷川 ボクも子ども時分に誤って肥だめに落ちた覚えがあるんです。でも、幸い、発酵が進んでいる肥だめだったので、恐れていたほどのニオイはしませんでした。肥だめの近くに小川が流れていて、そこでジャブジャブと水遊びをしている風を装いながら、汚れを洗い流した覚えがあります。

 野菜の味から化学肥料を初めて使った時の話、肥溜めの話から汲み取りの話まで、昨日のことのようなリアリティーで盛り上がってしまいましたが、そんな話をシマさんとしていましたら、さらに昔のことが次々に思い出されて来るのです。
 四国香川の満濃池のユルヌキとでも言ったらいいんでしょうか、記憶のため池の栓が抜かれ、池の底に淀んでいた50年前の記憶が一気に噴出してくるのです。
 これには少々困りました。意外といってはなんですが、シマさんはおしゃべりもうまいけど、本当は聞き上手なんですね。ボクが一方的におしゃべりしそうな雰囲気になっています。本末転倒も甚だしい限りです。用事を思い出したことにして、作業小屋を辞しました。
 畑は道を挟んだ向かいに広がっています。区画の隅にベンチがあり、そこで吹き出してくる昔を解放することにしました。

 その頃は江戸川区小岩に住んでいて、いまは蔵前橋通りと言いますが、当時は改正道路と言いました。幅の広い道路で、家はその道路に面していました。毎年秋が過ぎた頃に、三輪トラックに肥え桶をいっぱい積んで、農家のおじさんが汲み取りにきてくれたものです。その日はとにかくニオイがきつくて、なかなか家に帰りたくありませんでした。家中があのニオイで充満していましたので。それで近所をふらつき、もうニオイも薄らいでいる頃だろうし、腹ぺこも我慢ができなくなったので帰ってみると、いきなり帰りが遅いときつく叱られました。だって、あのニオイがイヤなんだもんと返事をしたら、ふだんは優しい母が急に真顔になったと思った次の瞬間、平手で左の頬を張られました。「自分で汲み取りをしたこともなく、全部人任せのお前に、汲み取りにきてくれる農家の方のご苦労など分かるはずもないが、まさかにそんなことを平気で言う子だとは。そんなことを言う子に育てた覚えはない。今すぐにこの家を出て行きなさい。とっとと出て行きなさい」と。余りにも冷静な母の語調にびっくりもし、叩かれた頬もひりひりと痛く、頬をかばいながらメソメソしていたら、そのメソメソした仕草が男らしくないといって、もう片方の頬にも平手が飛んできました。
 結局、ぐずぐずと泣き崩れたまま寝入ってしまい、目を覚ましたら朝です。あんなに心細い面持ちで迎えた朝もありません。どんな顔をして朝の挨拶をしたらいいのか、それよりも、まだこの家の子でいていいのだろうか。そんな拠り所のない不安を抱えながら、薄目を開けて台所を伺うと、いつも通りの朝の支度をしている母が目に入りました。
 ボクから声をかける度胸も勇気も気概もないまま、母に声かけしてもらいたくて、不自然にならない程度に空咳をするのですが、視線すら投げてくれません。ああ、まだ怒っているんだ。いや待てよ、それ以上に失望しているんだ、不甲斐ない息子になってしまったことを。あるいは、お前は江戸川の土手に捨てられていたのを拾ってきたんだぞと、いつか兄から聞かされたことがあったのですが、アレはやはり本当のことだったのか。これから家を出て行かなくてはならないんだ。

 父がボクの空咳を聞きつけて、叱られた理由を説明させられ、『それはお前がわるい。悪いってことが分かったらお母さんのところにいっしょに謝まりにいってあげるが、どうする?』と取りなしてもらい、長谷川の家の人間として50年を過ごし今日に至ります。
 取り留めのない文章になってしまいましたが、飯島家の「肥え桶」がさまざまな記憶を漂わせつつ出現したように、シマさんとおしゃべりしている最中に担ぎ出された「汲み取り」という言葉が、ボクの記憶のため池に長く長く溜め置かれたあの恥ずかしい朝の記憶を汲み上げ、怠惰で傲慢な最近のボクに鞭を当てにきたのかもしれません。
by 2006awasaya | 2009-05-12 22:08 | 真剣!野良仕事


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