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BaliでPapa Jegogに会う!

2014.7.25(金)
BaliでPapa Jegogに会う!

 三男舜太が生まれる前ですから、もう20年以上前のことになりますでしょうか。妻の広子もボクも民族音楽が大好きで、なかでもインドネシアの音楽に無条件に惹かれる性癖があるようです。このバリ好き夫婦で行ってきたバリのジェゴグ報告です。
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↑巨大な竹の楽器に潜り込んで撮らせていただいた写真です。もの凄い迫力でした。
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↑憧れのPapa Jegog、Suwentraさんとの記念写真に舞い上がる広子でした。
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↑コンサート終了近く、メンバーが太鼓を打ち鳴らしながら雄叫びを上げているシーン。来日した折のコンサートでは目にしなかったリラックスした楽しさが表情に満ちあふれていました。

Suar Agungを知るまで

 今は亡き小泉文夫先生の『人はなぜ歌をうたうのか』(冬樹社)の中に、[ジャワのガムラン音楽の特徴]という見出しで整理された文章があり、一言でガムランを説明するのは難しいので、西洋音楽との対比でこんな説明しているくだりがあります。

「合奏の仕方に特徴があります。たとえばその中にとくに重要なところがあると、西洋音楽の場合だったら、その音は重要ですから、原則として大きな音を出します。たとえば、バッハの音楽などで、フーガにおけるテーマは非常に重要です。左手の小指を使って演奏しなくてはならないところにテーマが出てくると、そこのところをわざと強い音を出し、他の音を抑えながら演奏するという風に習っていますが、インドネシアのガムラン音楽では、重要な音は、重要だからこそ逆に、小さな音で演奏することが珍しくありません。
 それから、旋律の重要な骨組みになる音は、わざと遅れて出すこともします。他の楽器といっしょにポンと出すのでは目立ちませんから。ジャワの楽器はほとんど叩く楽器ですから、目立つためには変わった音で叩くか、ないしは遅れて叩くのです。そうすると、その音が非常に重要だということが分かるのです。」

 西洋音楽とインドネシアの音楽の考え方には、こんな基本的な差異があったんですね。
 そういうちょっとした違いに目がいくようになると、いよいよ音楽の面白みが湧いてくるものです。
 そのちょっとした違いが判る時期、1982年(昭和57年)に、バリから本格の舞踏団が来て、その公演を聞いたことが、ボクのはじめてのインドネシア体験だったような気がしています。

 「楽舞夢幻ダルマ・サンティ舞踊団公演」と、公演パンフレットに楽舞夢幻の文字が躍っています。1982年10月6日(水)の国立劇場小劇場でした。
 この来日の公演日程は10月5日が初日。翌6日の2日目を三宅坂で見た訳ですが、8-9日=ラフォーレ原宿、11日=宇都宮市文化会館、15日=滋賀会館、16日=神戸文化ホール中ホール、17日=京都会館第1ホール、20日=広島市青少年センター、22日=大分県立芸術会館、23日=武雄市文化会館、25日=鹿児島県文化会館、27日=那覇市民会館とつづき、西日本各都市を駆け巡り、急ぎ足でバリへと帰って行ったことが分かります。

 その後、バリからさまざまな舞踏団が毎年のようにやって来て、その大半は東京公演を開いてくれるので、必ず聞きに行ったものでした。

 東京公演があれば聞きに行きましたが、一度だけ、ウブドに近いタガス村のタガス・グヌンジャティ歌舞団の追っかけをやったことがありました。1990年(平成2年)の夏のことです。
 タガス・グヌンジャティ歌舞団の公演がライトアップされた東京タワーをバックに、芝の増上寺境内で行なわれ、その翌々日には深川のお寺の境内で催され、タガス・グヌンジャティはコンサートホールのような閉ざされた室内空間ではなく、お寺や神社の境内でのオープンエアーでの公演スタイルにこだわっていたように思います。その最終公演が和歌山県新宮市の渚の宮であり、当時はほんとうに暇だったのか、そこまで追っかけで聞きに行ったものでした。この渚の宮会場が写真などで見るbaliそっくりで、黒潮に乗ってやって来たミクロネシア人たちがこの熊野の渚に船を乗り捨てて、さあ、お腹も減ってはいるけど、まずは陽気にやろうよと言っているような、晴れやかな表情で演奏していたのが今でも印象に残っています。

 そして三男舜太が生まれる2年ほど前に、やっと現地バリに行き、本物の空気に触れることが出来たのでした。ウブドを中心に、タガスとかプリアタンとかギャニャールで開かれている音楽祭や夜の公演を巡り歩き、ケチャやガムランを聞いて回っている折、青銅製のガムラン楽器とは違った、竹の楽器によるグループ『Suar Agung(スアールアグン)』を知ったのでした。
 竹の太さ、長さの違いで小型から大型の竹管打楽器を14台配置して構成されているアンサンブル、この編成をジェゴグと呼んでいるのですが、実際には竹の直径が20〜30センチはある巨砲としか言いようのない重低音担当の楽器をJegogと言うんだそうです。この編成を2組、左右に配置し、右のチームが気持ち良さそうにメロディアスな旋律を奏でていると、それを邪魔するように左のチームが不協和音で妨害に入り、しかしながらその妨害に負けてなるものかと右のチームがいっそう激しく自分たちのメロディーを主張し、そうなるとなおさら、気持ちよく演奏するチームを妨害阻害せんものと、邪悪で不気味な音階で割って入り、邪悪を主張する。会場全体は演奏者、観客を含め混沌として、何がなんだか判らないような、一種名状しがたい混乱に包まれ、やがて混乱に耐えぬいたチームが勝ちという演奏会がジェゴグのコンサートなのです。音楽を演奏しながら勝ち負けを競うという、ごくふつうの音楽世界ではあり得ない、不思議な演奏会なのです。

 このジェゴグをバリのどこで聞いたのか、今では判然としませんが、その翌日、二人してサヌールやウブドの音楽ショップを覗いては、スアールアグンのカセットテープを探し求め、テープがあればすべてを買い求めました。当時はクレジットカードもなく、わずかな現金だけでのお買い物。バリのお土産はいっさい買えないまま、数十本のカセットテープだけを大切に抱えて帰ってきたような気がします。
 
 はじめてバリに行った数年間は、本当に幸せでした。毎年のようにSuar Agungが日本公演にきてくれていて、バリに行く必要がなかったからです。一番強烈に記憶に残っているのは1997年8月、佐渡・小木港背後にある城山公園で行なわれたアースセレブレーションでのことです。三男舜太がまだ4歳前後の、妙に堅太りしていた時期に聞きに行ったことです。レンタカーを両津で借り、小木の小さな旅館に泊まり、翌日、一面の芝生が広がる城山公園で、ジェゴグの恐ろしいまでの不協和音の渦をものともせずに、転がったり跳びはねる舜太。聴衆も踊り狂ったように五体を躍動させているものですから、特段、舜太が騒ごうが泣き叫ぼうが注意もされず、好きなように暴れられる至福を味わっていたようです。
 その翌年は山形の鶴岡で公演があると聞き、旅行手配をしたものの、仕事の都合で断念。翌年の1999年夏から、毎年のように来日。東京公演にはジェゴグを聞きに行き、その都度、Suar Agungのリーダー、Suwentraさんのさっそうとした指揮ぶりをほれぼれと客席から望遠。2008年、錦糸町駅北口にある墨田ポリフォニーホールでの東京公演を最後に、足が遠ざかってしまいました。天候に左右されない利点はあるものの、コンサートホールという閉ざされた室内空間で聞くジェゴグは、やはりちょっと違和感があるように思えてきて、Suar Agungの本拠地、バリ島の西部にあるヌガラという町に行って、実際の気温と湿度の中で、聞いて見たいと言う思いを肥大させていたのです。
 いつかはヌガラで生のジェゴグを聞いてみたい、行ってみたいと思い続け、その思いが叶ったのが今年でした。

Papa Jegog、Suwentraさんがいた!

 Suar Agungのリーダー、Suwentraさんは国内外の音楽雑誌にも紹介されている超有名なアーティストです。コンサートが始まる前にステージに立ち、曲目の紹介からジェゴグを構成する楽器の説明、ジェゴグの基本構造など、柔和な表情ときれいな日本語で説明をし、合掌しつつ深々と一礼し、くるりと客席に背を向けてステージ脇に引き上げて行くのですが、長髪を後頭にひっつめに結った大髻がふわりと揺れるシーンが何とも魅力的なのです。大きく弧を描くポニーテールの動きがコンサート開始を告げるミューズ神への合図なのかもしれません。
 ジャカルタで国内線に乗り換え、バリのングラ・ライ国際空港から出迎えてくれたガイドさんの車でウブドのホテルにチェックインし、荷物を部屋に置いてすぐ、ホテルの車で、Suar Agungのジェゴグコンサート参加者が集合するパノラマホテルまで送ってもらったのです。ですが、途中、交通渋滞が激しく、約束の時間午後3時30分には5分ほど遅れてしまいました。日本を発つ前に、今夜のコンサート参加者は10名と聞いていました。10名に満たないとコンサート自体が催行されません。ングラ・ライ国際空港に着いてすぐ、出迎えてくれたガイドさんに事情を説明し、電話で確認してもらったのです。すると、10名は集まらなかったものの、8名でも実施してくれるとのことで、喜び勇んで集合場所に急いだのでした。
 集合場所のパノラマホテルに着くと、玄関脇にどこかで見かけたような方がいるではありませんか。人違いかも判りませんが、でも、ステージの上でいつも笑顔を絶やさないSuwentraさんを見間違えることはありません。びくびくしながらも、『スアール・アグンのリーダーでいらっしゃる……』と、挨拶にもならない挨拶をすると、『ようこそ。お待ちしていました。スエントラです』と、カタカナを読むような発音で、見知らぬ日本人観光客の我々を出迎えてくれました。集合場所には案内のガイドさんかSuar Agungの若手スタッフが出迎えてくれると思い込んでいただけに、まさか、リーダーご自身が出迎えてくれていたとは。Suar Agungの魅力に魅せられて以来、年に一度はコンサート会場に足を運んできた我々です。そのリーダーのSuwentraさんご自身が出迎えてくれていたのです。すっかり舞い上がってしまいました。
 すぐにトヨタのランクルに乗せられ、約3時間半先のヌガラへと走り始めました。あとで地図でウブドからヌガラまで、直線距離で60km、じっさいに走った道路をトレースすると、100kmはある一般道を走りに走って、ヌガラを目指します。途中、ウブド市街を出たところで交通整理の信号がありましたが、信号で整理された交差点はその一カ所だけでした。でも、道を譲り合ってのマナーが感じられて、怖い思いはしませんでした。運転はSuar Agungのメンバーが、そして助手席には、我々が憧れてきたSuwentraさんが座り、まあ、さまざまな話題をおしゃべりしてくれて、まったく飽きる暇もなく、途中2回、トイレ休憩で車を止めた以外はずっと車を走らせ、陽が傾きかけた7時前にSuar Agungの活動の本拠地に着きました。

 車中、兼ねて聞いてみたかった事柄を尋ね、丁寧に返答していただき、コンサート以上の感動に浸る3時間30分でした。食べ物の話、天気の話、交通渋滞と道路事情の話、最近のバリ人気質の話、Suwentraさんご家族の話、イスラムとヒンドゥーの棲み分けの話、中国資本が入ってきている話、日本人観光客の穏やかで優しい振る舞いの話などなど。そのなかから、Suar Agungに関連する話だけをピックアップしてみますが、そのほんのサワリだけ。

Q いまのスアール・アグンと、10年前のスアール・アグンにちがいはありますか?
A スアール・アグンはアカデミックじゃないから、ユニバーシティに入らないと楽譜が読めない。新しい曲を作るのですが、団員は耳で覚えるため、1曲に3カ月の練習が必要。伝統的な曲ばかりだと若い人はあきてしまう。それでいつもいつも新しい曲のことを考えている。10年前のジェゴグのコンテストの頃から、地元では私は「パパ・ジェゴグ」と呼ばれている。私は好きなことだけしているから基本ハッピィだね。いつもニコニコしていられる。

Q バリにもたくさんの日本人プレーヤーが習いにきていると思いますが、バリ人プレーヤーと日本人プレーヤーではなにか違いはありますか?
A 私はバリ人、オランバリ。だからインナーパワーがある。日本人もガムランやジェゴグやダンスを習いにくる人、多い。日本人はすぐに覚えられて、テクニックはすごい。すごいけど、やはりバリ人の私たちのガムランやジェゴグとは違う。テクニックが巧ければいいと言うことではない。心の中にインナパワーがあるか、ないか。でも、私はサムライにはなれない。それと同じ。

Q いまスウェントラさんが抱えている音楽上の悩みはありますか?
A 一番太い竹がヌガラにはない。島の中央、山の奥の方に行かないと太い竹が見つからない。その一番太い竹をたたく専用のハンマーはゴムで出来た丸い小石のようなハンマー。昔はゴムの木を切って樹液を太陽にかざし、まる1日乾かして作りました。いまもそうやって作っています。一番前の楽器をたたくのは、古いタイヤを再利用したものを使っている。木のハンマーは、乗ってくると興奮のあまり激しくたたいて割れてしまう。ゴムは割れたりしない。

Q 日本公演は楽しいでしょうか?
A 若い人に、私たちが作り上げてきた音楽を託さないといけない、ということを私は坂東玉三郎さんに教えてもらった。新潟県佐渡で開催されているアースセレブレーションで、鬼太鼓座の舞台監督をしていたのが玉三郎さん。いろいろ教えてもらいました。いい人、真面目な人の元に神様は降りて来る。

 夕刻7時30分にSuar Agungの活動本拠地に着きました。Suwentraさんの住まいでした。とても広い敷地奥の芝地に、大小14台のBamboo Xylophone Ensembleが並べられ、ランプと篝火の明かりが入り、それからの約2時間、大波にもまれ、うねりに身を任せるジェゴグ時間が始まったのですが、妖しいまでのこの数刻の印象はまた別の機会に報告することにします。

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↑帰宅して、レコードやCDを整理していましたら、20年前にバリで求めてきたカセットテープが出てきました。写真左は1988年、地元ヌガラでの録音。中は1991年、FESTIVALでの録音。右は未だ若きSuwentraさんの顔写真を使ったパッケージ。これらのカセットテープは、デッキを処分してしまったので聞けませんが、その後発売になったCDに再録音されて発売されています。ただし、ビクターから発売されたCD「ジェゴグ/大地の響き」が重低音を大切にした名盤CDで、その後、あれほど買い集めたカセットテープはほとんど聞かなくなってしまいました。
by 2006awasaya | 2014-07-25 16:52 | 行ってきました報告

【真剣!野良仕事】[220=お芋三種を定植した訳]

2014.7.24(木)

お芋三種を定植した訳
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↑6月16日に定植した時のお芋三種の畝です。左から右に「紅はるか」「宮下さんの安納イモ」「ほしキラリ」。

 小松菜とかホウレンソウなどの葉もの野菜は、種を播き発芽してからが結構な手間がかかるので、週一程度の見回りではなかなか立派にしっかりと育ってくれないものです。出来上がりを見て、「ああ、おいしそうな」という評価をいただくには、それなりの丹精が必要なのです。葉もの野菜って本当に難しいんです。
 好きな自転車で湾岸道路を走っていたら、橋の欄干に左手をこすってしまい、その場ではグローブをしていたので何ということはなかったけど、帰宅後、風呂から上がって見てみたら、赤く腫れていたりする。そうか、それで今朝は左手が痛いのかとか、昨夜は録画しておいた海外ドキュメントを集中して見てしまい、それで目がスカスカするんだとか、前日前夜の負荷が朝までに解消されないことが多く、そんなこんなを理由に、ぐずぐずと畑に出かけずじまい。さまざまの場面で歳を感じさせる今日この頃なのです。
 それゆえに、植えたら基本的には草取りだけを丹念にすれば結構な収穫が期待できるネギとか、いも類とかに最近は偏ってきています。ちょっと前だったら、そうした面倒そのものが楽しくて、収穫時期を迎える喜びも空想しながら額の汗を拭ったものですが、歳を重ねてくると、フットワークも悪くなり、手を惜しまずに作業をすることが出来なくなっているのです。その割には欲ブカ。実に嫌な人格になってきている。そういった高齢者の「費用対効果」、つまりは少ない労働に対しても、しっかりした収穫が期待できる作物の開発が種苗メーカーではなされていたんでしょうね。種苗メーカーから送られてくる野菜のカタログを見ていると、「手間いらず」「病気に強い」「失敗知らず」なんてキャッチコピーが増えているように思います。


 うーん、それでこんなフレーズに、この春、惹かれてしまったのです。

【ほしキラリイモ】
 干しいもの代表品種「タマユタカ」を超える美しさ! 淡黄色の美しい肉食で、干しいもの一部が白く硬化するシロタの発生がほとんどなく、干しいもにした時の見た目がキレイで、蒸す時のデンプンの糖化が進みやすいので、甘い干しいもが出来やすい。サツマイモネコブセンチュウ、つる割病に抵抗性を持っています。


 そうなんです。妻が干し芋大好きで、しかも値段が高いのでなかなか買えないなんて愚痴がボクのココロに根を下ろしたまま、もう何年も経つのですが、いつかはお金のことを気にすることなく、存分に干し芋を食べさせてやりたいとの思いから、干し芋の一大産地の茨城県土浦あたりまで車を走らせて求めてきた干し芋専用品種「イズミ13号」のイモヅルでチャレンジを重ねているのですが、毎年ネコブセンチュウにやられ、なかなかに見た目にも素敵な干し芋が出来ませんでした。そうした苦い思いもあって、このフレーズに跳び付いてしまったのです。

【宮下さんの安納イモ】
 ブランド品種としてすっかり定着した、種子島が誇る極甘さつまいも! 焼くと蜜があふれ出すほどに甘みたっぷりで、スイートポテトみたいにねっとり甘ーい。


 安納イモも、洋菓子のスイートポテトのようで、もう嫌だ、もう食べきれない、見るのも嫌だと言うほど食べてみたいお芋だったのです。その安納イモのスペシャリストが作った安納イモを作って食べてみたい。ああ、美味いだろうな。

【紅はるかイモ】
 甘味が強くて風味良く、蒸かしいもにすると、とっても甘~い、しかも貯蔵性に優れ、2カ月以上貯蔵したイモは、蒸かしいもにしても焼きいもにしても絶品の甘さ!!食品カタログでも人気の『甘太くん』や『蜜衛門』などは、ある特定の地域で栽培されていたり、特殊な貯蔵方法で寝かせた『べにはるか』のこと。人気のブランド芋は、実はこの品種。サツマイモネコブセンチュウに対して抵抗性を持ち、育てやすいのも魅力。味・外観・収量ともに「高系14号」を上回る逸品なのです!!

 
 どうです、この説得力のあるフレーズ群。今年の始め、年間でどんな野菜を作ろうかというぼんやりとしたラインナップを、カタログを見ながら頭の中の畑の畝に定植していたのです。とにかく、あこがれのお芋を三種類、ネットで注文し、6月中旬、郵送されてきましたので、6月16日(月)に定植してきました。
 それから2週間後の7月6日(日)、もうしっかりと根も下ろしてきたので、土寄せをしておきました。あと1カ月もすれば、葉を茂らせた畝になっていると思います。ああ、収穫の秋が待ち遠しい! 果たして妻は喜んでくれるでしょうか。満腹のお腹をさすりながら、もう見るのも嫌って顔をしてくれるでしょうか。ああ、待ち遠しい。
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↑7月6日に土寄せをしたお芋三種の畝です。同じ環境に植えても、成長具合に結構な差異が出るものですね。ふつうは畝にマルチシートを敷いてあげるのですが、暑い夏を迎え、地温が上がりすぎることを考えると、このようにむき出しにしてもいいのかなと。周囲の仲間たちは必ずマルチシートで覆っていますが、別にマルチをしなくても立派に育つことを確認したくて、こうしました。

by 2006awasaya | 2014-07-24 14:43 | 真剣!野良仕事