【真剣!野良仕事】[232=三陸へ行きましょう]

2015.10.6(火)

第4回 三陸懇親会 参加しませんか

 東日本大震災から4年半が経過しましたが、我が船橋の「おいしい野菜公園2007」のメンバーによる三陸訪問も、4年目となります。訪問する度に、おいしい野菜公園の有志特産の農産物や飯島農園産のサツマイモ、ネギなどを持参して、三陸漁師さんたちとの懇親会を持ち、津波被害の実体験やその後の漁業復興などを話題に懇親を深めてきました。帰りがけに現地地場産品を購入することで支援をしたり、三陸特産のホタテやカキやワカメを船橋市豊富にある産直の店「味菜畑」で販売するなど、無理をすることなく、持続可能な小さな支援を続けてきました。
 今回は4回目となる懇親会を例年通り企画しましたので、よろしければご参加ください。
 日時は11月10日(火)、11日(水)の1泊2日です。
 添付した画像が鮮明に見えないようでしたら、長谷川までご一報ください。すぐに折り返しmailします。
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↑「三陸懇親会」へのお誘いポスターです。今年で4回目の三陸懇親会ですが、今年の目玉は越喜来(おきらい)湾でのホタテ漁体験と大船渡湾を一望眼下にする大船渡温泉展望風呂体験です。
# by 2006awasaya | 2015-10-06 20:53 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[231=ネギの草取り]

2015.8.5(水)

猛暑下の草取り、完了

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↑2015.8.2(日)10:20のネギ畑。全体15畝中、12畝が草取り未完了。この姿を見て、声を飲む、息を飲む。声か息か、どちらを飲むのがこの場面を目の前にしてふさわしいのか、判然としないが、どうしたらいいのか、息をするのも忘れるくらい呆然とする。
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↑2015.8.4(火)10:20のネギ畑。7:00から作業を始めて、全体15畝中、13畝まで草取り完了。残り2畝。これならあと2時間あれば草取りが完了しそうだ。でも、ここで頑張ると、熱中症になること間違いなし。思いを残して明日の作業とする。
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↑2015.8.5(水)8:40のネギ畑。7:00から作業を始めて、全体15畝全ての草取りと除草した草の撤去完了。なにやら名状しがたい風景を眼前にして、ただ声もなくこの美しいネギ畑に見とれる数分の至福。


7月31日(金)
  21:41に飯島さんからmail。
 一体全体どうしたんだろう。
 前日に収穫したスイカに問題があったのかしら。
 
 恐る恐るmailを開くと、以下のような悲鳴。

「夜分、押し迫りゴメン 明日盛岡に出張の折り、足を伸ばし、飯島農園スイカスタッフ面々が作ったスイカ20数個を三陸へ届けます。なお、農薬を使わないネギが雑草に食われそうです。そこで雑草退治参加者募集。明日8時より退治するまで」

 前日7月30日の木曜日にメンバーと一緒にスイカを収穫し、今年も三陸へ暑中見舞いとしてスイカを届けることができましたと、現物を託し、その様子だけは【真剣!野良仕事】[230=今年もスイカ、お届けできますよ]で報告しましたので、21:41のmailはてっきりその現地報告かと思いましたら、内容はそんな暢気なものではなく、悲痛な内容でした。秋になり、再び三陸を訪問する折りの手土産代わりに栽培しているネギなんですが、なんとそのネギが雑草に覆われて大変なことになっているというのです。

 飯島農園の野菜類は農薬を使わない栽培なので、年がら年中、雑草取りに励まなくてはなりません。でも、今夏は例年以上に気温が高く、オクラが予測よりも早く成長し、収穫が間に合わなくなっていたのです。オクラはたった一晩で規格寸法の10センチから15~20センチ近くに巨大化し、しかも硬くなるので、市場に出せず、廃棄となってしまうのです。ですから、規格寸法のオクラだけを早朝に収穫しなくてはいけないのです。オクラは、オクラの葉も茎も実も全くの同色なので、見過ごすことが多く、気がつかないままのオクラは翌朝になるとすでに巨大な成長を遂げているのです。ゆえに、丹念に収穫作業を進めなくてはいけないのです。

 こうした事情があって、オクラ畑に人手が集中し、それでネギが放ったらかしになってしまっていたのでした。

 7月下旬から寝苦しい夜を悶々と過ごしていたのは人だけではなかったのです。無農薬栽培のネギもまた、雑草たちに絡みつかれて、悲鳴をあげていたんです。

8月1日(土)
 ネギ畑に行ってみると、全体15畝あるうち、4畝は草取りが済んでいました。盛岡出張を前に、飯島さんが深夜早朝、独りで草取りに励んだのでしょう。でも、限られた時間でこれだけの数の畝を除草するのは、到底無理なこと。あの悲痛なレスキューmailは、こんな絶望的な状況を経て送信されたに違いありません。ボクは残りの畝を見て、「なんでこんなになる前に知らせてくれなかったのか」という気持ちでした。残り11畝は雑草に覆われ、惨憺たる畑になっていました。

 草取り作業はいったい、どんな作業なのか。少し具体的に説明しましょう。

 ネギが植わっているV字の底を跨ぐように、ネギの根元に取り付いている雑草を丹念に引き抜き、山脈状の畝の上に乗せて、ひざまずいた足がネギをふんずけていないかを確認し、半歩前進、この繰り返しで移動します。軍隊でいうところの「匍匐前進」にも似た行軍。喩えはどうあれ、炎天下、地面に這いつくばっての作業です。草刈機などの機械や鎌などの道具は使えないのです。ただただネギの根元に絡みついた雑草を手で引き抜く、この繰り返しなのです。そして、機械仕事のように同じ作業を繰り返している訳にはいかないのは、引き抜いた雑草と一緒にネギも引き抜いてしまうことがあるのです。等間隔で植えられているネギのすぐ脇に生えている雑草だからといって、その雑草を引き抜くと、その雑草から枝分かれした茎が身をよじって手前のネギに絡みついている。こうした雑草の茎がネギ1本に対して3本絡んでいると、これはこんがらかった綾取りの糸と同じで、解すにはそれなりの時間がかかり、苛立って力任せに引き抜こうものなら、ネギも一緒にごそっと引き抜くことになってしまいます。草取りをしているのか、ネギ抜きをしているのか、訳のわからないことになってしまいます。

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↑悪意さえ感じさせる雑草たちの生存への戦略。ネギを取り囲むようにヒゲ状のナイロンテグスに似た強靭な根を張り巡らせ、容易に引き抜かれないようにしている。これこそが雑草の戦略なのだと感心する。ネギがどこにあるのか、ちょっと見では判然としないでしょうから、一応⇨をつけてマークしておきましたが、オールグリーンの中で浅葱色をした細いチューブが見えるかと思います。それがネギです。雑草たちに絡まれて、怯えたようでもあり、鬱陶しくもあり、息苦しそうで見ていられません。


 背中は炎天にあぶられ、ズボンは泥だらけ。汗が目に入り、開けていられないほど痛む。高校球児たちの泥にまみれたユニホームは、結構清々しく頼もしく見えますが、ネギの草取り姿は果たして何に似ているのかしら。

 この日、僕は昼から長男の住む我孫子で花火大会があり、花火が始まる前にビールを飲んで、夢うつつで花火を鑑賞。そんな計画を立てていましたので、草取りは11:00までしか手伝えません。
 しかも、作業を開始した朝8時の時点で、すでにして猛々しいばかりの真夏日となっていました。持って行った3本のペットボトルと大粒の梅干3個はあっという間に消費。肝心の草取りは1畝だけしかできませんでした。下着まで汗びっしょり、ズボンは泥だらけ。途方に暮れて時計を見たら9:55でした。家に帰り、シャワーを浴び、体重計に乗ったら、なんと2キロ減!あれだけ汗だくになったのだから、これくらいは想定内ですが、嬉しいですね。
 
8月2日(日)
 8:00にネギ畑に行ってみると、天気の具合も作業の進捗も前日のまま。前夜、ビールを飲みすぎたので、頭の中はドローンとしたまま。「ま、やるほかないか」と一声かけ、「この列だけは終わらすぞ、終わらないうちは帰さねえぞ!」なんて自分にだけ聞こえる程度の絞った声で自らに聞かせて草取りを開始。誰かがいれば、こんな横柄で独善的なセリフ、口にできません。
 それはそうと、ボクは途方に暮れやすい性格なので、そうならないよう気構えだけはしっかりしておくんです。今日はペットボトル5本を持参、うち3本を凍らせてきましたので、暑さで気分でも悪くなったら、両脇に一本ずつこれを挟み、道を挟んだ向かいの茂みに駆け込めばいいやと。2畝をきれいに除草するのに2時間、かかってしまいましたが、前日よりも作業効率も良く、残りの畝の写真を撮ってから引き上げました。

8月4日(火)
 7:00にネギ畑に行ってみると、飯島さんが独り、草取りをしています。嬉しいですね、黙々と作業するにしても、独りと二人では気持ちの張りが違います。
 この日、3時間の草取りで、残り畝数は2列です。その大半は飯島さんの仕事でした。さすが飯島さん、プロですね。しかも、水分補給時、おしゃべりもできる。野良でのおしゃべりがたまりません。

長谷川 先月に行かれたスペイン視察の話、聞かせてくれませんか。天気は良かったのですか。研修だけで観光はなかったんですか。

 矢継ぎ早に浅い呼吸で質問。飯島さんも息を切らせています。喉を鳴らしながら水を飲み、汗をぬぐって一呼吸置いてからじゃないと言葉が出てきません。こちらの質問が果たして耳に入ったんだろうか、不安になる程の間があります。

飯 島 ええと、なんでしたか、天気でしたか。暑かったですよ。眩暈がするほど。旅行は主に自然エネルギーの視察に行ったんですが、自然エネルギーの宝庫って国でした。観光はアルハンブラ宮殿とサグラダファミリヤ教会が良かったな。通訳の方、80前後の女性で、この方が素敵でした。

 二人ともにちょっと熱気で頭の中が茹っていて、クールダウンの時間を取らないと、該当する記憶のポイントにたどり着けない。

長谷川 ところで、明日1日で残りの畝は完了しますね。
飯 島 本当にご苦労様でした。今日のところはこれで引き上げましょうか。
長谷川 これでもう何人か加わると、もっと早く終われたでしょうね。人集め、なにか、算段しましょうね。
飯 島 もう30年も前のことを思い出したんです。矢切のネギって知ってます? 松戸の近くに矢切ってあるでしょ、あそこ、昔は有名なネギの産地で、今でいう「矢切のネギ」というブランドネギの産地だったんです。
長谷川 「矢切の渡し」しか知りませんでした。
飯 島 当時、農林省のモデル農家研修という名目で、ネギの農家を見学させてもらったんです。もともと、ネギ農家って、そうたいした面積をやるわけじゃなく、それに、ネギは栽培に長い時間がかかるので、金になるまで時間がかかりすぎて、あまりいい商売じゃなかった。で、そこの農家では2町くらい作ってたのかな。当時としてはモデル農家だったんです。で、よく話を聞いてみると、年間に農薬の支払いが50万円も使っているって。いっぺんに嫌になっちゃった。
長谷川 ちょっと待ってくださいよ。30年前の50万ですよね。
飯 島 相当な使用量です。金額も大変ですが、その使用量を想像するだけで気持ちが悪くなってきて。当時は農薬会社が、「これからの農業は適正な農薬を適正に使って、きれいな作物を作って市場に出す。これがこれからの農家の主流だ」とかなんとか言って、農家にたくさん農薬を買わせたんですわ。インドの化学工場、実際には肥料工場ですが、そこで事故があって、数千人が一晩で亡くなったことがあって、これもショックでしたが、あの矢切のネギもショックでした。それ以来、うちでは農薬を使わないって決めたんです。
長谷川 その矢切の人、自分の体に変調が来てないといいですね。結局は農薬を使うその人が一番危ないのにね。
飯 島 どこの農家も、昔は危険と背中合わせで仕事をしてましたね。

 こんな貴重な話が聞けるのも、野良で一服入れているからこそ。まったくありがたい。
 残り2畝を写真にとって、汗水漬く状態で引き上げてきました。

8月5日(水)
 7:00にネギ畑に行ってみると、飯島さんはすでに草取りをしていました。1畝はきれいに除草されていて、残り1畝の半分くらいまで終わっています。相当早めに作業を開始されたんでしょうね。
 さて、体が悲鳴をあげる前に草取りを終わらせましょうと、作業目標が見えていて、しかもあと1時間以内に終わりが来る、そんな希望が持てる気持ちで作業を始めますから、きっちり1時間弱で草取りは完了。山脈上に積まれた雑草を集め、畑の外に移動して、これで草取りは完了したのです。
 ところで、草取り中、取り除いた雑草をひとまとめに丸め、一定間隔で山脈に積み上げておくと、日差しを受けて水分が抜け、1日おくと体積も重量も半分以下になっています。こうしたシステマチックな仕事ぶりが、つくずくプロの仕事だと感動しました。後々の作業を考えれば、こうした工夫をするのがプロで、ボクらシロウトは、まだ生な重い雑草の山を運ぶだけでいっそう消耗してしまうんです。1日、収集した草を山脈に寝かしておくと、作業は楽になる。ああ、プロフェッショナル!

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↑畝と畝の間の谷間にネギ、山脈の上に集めた雑草を等間隔で置いておく。すると、1日で体積と重量が半分になる。体力の消耗も半分に。

 一息入れていたら、なんとも嬉しい声が!

「おお、いい感じになったもんだ。やればできるじゃん!」

 飯島さんの後輩の細谷さんでした。

 いいものですね、「やればできるじゃん」なんて、ふつうの人間関係ではなかなか言えたもんではありません。
 辛辣なことをズバリと言い合える仲間がいる。
 実に羨ましい限りです。
「やればできるってことは、やらずにほっておいたのは誰だってことだよ」と、解説付きの細谷さんに、「まったくその通りだからシャンねえなあ」と飯島さん。

 ここ数日、いい経験をさせてもらいました。
 いい話を聞かせてもらえました。
 無農薬で栽培期間の長いネギを作る。
 年がら年中、草取りがメインの農業。
 来年は栽培面積をいまの倍にする予定ですから、参加したい方、無農薬のネギを食べてみたいという方、今年の秋口までに下記アドレスにぜひご連絡ください。

box1001hasegawa@ybb.ne.jp

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↑一息入れて、ガブガブ水を飲んで、休憩中の飯島さん。サウナから出た直後の、茹だるような顔色でした。ズボンに着目してください。色味の強いチノパンを履いてるんじゃないんです。元はブルーの作業着。裾のあたりを見ると了解していただけると思いますが、あの部分は地下足袋のこはぜで留められていたので、土が付いてなかっただけ。
# by 2006awasaya | 2015-08-05 18:46 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[230=今年もスイカ、お届けできますよ]

2015.7.31(金)

猛暑!スイカはまあまあ、チームはへろへろ
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↑二つとも、5月29日授粉(収穫は45日後の7月15日前後の予定)のスイカ。6月3日撮影。
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↑こちらは5月29日授粉(収穫は45日後の7月15日前後の予定)のスイカ。6月10日撮影。
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↑こちらは5月27日授粉の小玉スイカ。6月24日撮影。小玉スイカの性質なのでしょうか、大玉スイカに比べ、雄花の咲く時期と雌花の咲く時期にずれがあって、なかなか思うように授粉ができませんでした。
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↑奥は5月29日授粉(収穫は45日後の7月15日前後の予定)のスイカ。手前は自然授粉のスイカで、摘果してこれは皮をむき、酢漬けにしてみました。漬けて二日後、果肉がうっすらとしたピンク、種もまだ硬くなっておらず、マクワウリのようで、高級なピクルスといった感じでした。
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↑スイカチームの晴れ姿です。阿部さんにとってもらいました。猛暑の中で収穫作業をしましたので、なかなかいい顔ができず、少しムッとした疲労困憊の晴れ姿です。

 三日連続の猛暑が続いた7月30日の木曜日、昼前にスイカのビニールトンネルに集合し、全身汗びっしょりになりながら、炎天下で重たいスイカを収穫してきたんです。ですから、なかなかいい顔なんてしたくてもできたものではありません。この、ムッとした表情。肉体的には疲労困憊の限界。
 それでも日陰の作業小屋で大きさ別に選別をし、「30センチ超のスイカを送ることにしましょう」と集荷boxに詰め終わったところに、畑の仲間の阿部さんが通りかかったので、お願いして我がスイカチームの晴れ姿を撮ってもらったのです。
「はい、みなさん、もう少し顔を上というか、空を見るようにしないと顔が真っ黒になってる。帽子も浅くかぶり直して!」と、カメラを構えたまま、いろいろ指示を出してくれるのですが、各人、なかなか思うような顔が作れません。今週末に飯島さんがトラックで三陸に運んで行く予定です。今年で5年目のスイカですが、昨年に比べて日照量が足りなかったのか、若干甘みが乗っていないという印象もありました。毎年同じような出来上がりに持っていくのは、難しいものですね。
 とりいそぎ、ご報告まで。
# by 2006awasaya | 2015-07-31 15:37 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[229=竹林のJazz men]

2015.6.1(月)

竹林のJazz men
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↑9:30位からボツボツとJazz menたちが集まりだし、10:00には大半のメンバーが竹林でリハーサルを始めていました。リハーサルは、大いなる緊張が感じられて、単なる音合わせではなく、指導してくれる先生の要求をしっかり表現できているかどうか、自分のパートを確認しながら音を出し、他者の出す音を聞き、「そこはタンタンタンタンと同じレベルで出すんじゃなく、最後のタンを強く強調して」とか、もっぱら表情作りの修正確認。いいですね、こうした緊張感って。

 第8回薫風コンサート、昨日、予定通り開催できましたので、そのご報告まで。

 思えば、この薫風コンサートは、田植え作業を終え、ひと段落する初夏の、ほんのひと時を皆で楽しく過ごそうよ、との農園主・飯島幸三郎さんの思いから始まったイベントですが、朝鮮半島でも田植えを終えると、ひと段落するということが、『朝鮮歳時記』(許南麒著)を読んでいて、あれ、日本と全くそっくりな心情じゃないのと、驚くばかりでした。
 少し長い引用になりますが、「田植え」という夏の章から。

 日本語では、田植えうたを皐月節とか、早乙女うたとも言うそうであるが、朝鮮では、田植えだけでなく、農作業のうた全体を、「メナリ」と言った。
 田植えの時は、メナリのうまいひとがふたり、あぜ道の上に上って綱をひっぱって植えるところを教えながら揷秧の動作にあわせて、「さあ、一歩さがって」などと口令をかけ、続けて、

   来いとよ 来いとよ
  山辺の村の 娘ごが
  粟の御飯に 塩辛そえて
  一緒に食べようと 誘いに来たとよ


 と、野良中にひびきわたるようにうたったものだ。
 いまでも南朝鮮では、まだうたわれているに違いない。しかし、いま誘いに来るのは、山辺の村の娘ごではなく、「新しい村(セマウル)」がすすめる耕耘機や田植え機という名の「借金」ではないか。「新しい村」運動で、耕耘機や田植え機を買うようにすすめるといっても、それがそのまま借金になるとすると、買っていいかどうか、考えねばならなくなるからだ。


 1979年の2月から1980年1月までの四季折々を「朝鮮時報」に綴ったエッセイ。ということは発表からもう35年も前の風景。でも、農家に機械という名の借金を残すばかりの構図は、日本とほぼ相似の構図だったことが、このエッセイからも感じられる。高齢化とTPPという外圧で、さらなる「借金」を蓄えざるを得ない日本の状況を前に、今年も飯島農園の竹林で「薫風コンサート」が開催できたことに深謝感謝の一念でした。

 しかも、今回8回目の「薫風コンサート」は相当にヒヤヒヤものでした。このところ週間天気予報の的中精度が上がり、5月に入ってほとんどハズレなしでしたので、すっかり諦めていたのです。

 1週間前にあたる5月24日(日)の週間天気予報では5月31日(日)は「曇りのち雨」。楽器に雨は禁物でしょうから、あれれ、残念なことになりそうだなあとの不快な思い。4日前の週間天気予報では「曇りところにより雨」。やはり雨になるらしい。どうせなら、コンサート終了の14:00から雨ならば、大急ぎで会場を撤収すればいいんだけど、そうは問屋が下すまい。3日前の週間天気予報でも「曇りのち雨」。中止告知のポスターを作っておかないといけないなあ。2日前の金曜日でも変わらず「曇りのち雨」。夜中に作った中止告知ポスターを関係者に回覧して、中止の段取りを確認。

 すると前日の土曜日、予報では「曇り」となり、農園主の飯島幸三郎さんと協議して「どうやら、『曇り』ならばいけそうですね」「開催できそうですね。実は雨天の場合にキープしてあった公民館ですが、前日ならばキャンセル料が発生しないので、本当に助かります。開催できそうで、本当に良かった」と、これ、土曜日の昼のこと。

 中止の場合、僕のブログと、船橋農産物供給センターのホームページで中止の告知ポスターを貼り付け、当日の朝は産直の店「味菜畑」にて9:00から電話による問い合わせに応えるべく、店内で電話番をする予定でした。

 そしてなんとも嬉しいことに、雲間から日差しも溢れて、晴れ渡ってきたではありませんか。おまけに、なんだか暑くなりそう。ビールの生樽を3つオーダーしてよかった!

 9:00に好人舎に着くと、川口さんが額に汗して山盛りのサニーレタスを整理して小分けに袋詰めにしています。なんでも1時間も前から、川口さん一人でレタス畑に入り込み、黙々と収穫作業をしていたんだそうです。ものすごい汗は、これで納得。本当にご苦労様でした。このサニーレタスはJazz menへのお礼を兼ねたお土産です。大変な作業を黙々とこなす。頭が自然と下がります。

 10:00も近くなると、おいしい野菜公園2007のメンバーも集まってきて、顔を合わせる度に、誰もが「良かったですね」の安堵の一言を挨拶代わりに交わしていました。誰もがヤキモキする1週間だったのです。本当に良かった、良かった。

 やがて会場の準備も整い、定刻の13:00、飯島さんのオープニングメッセージで薫風コンサートはスタートしました。実施か中止か、ヤキモキする時間が長かった分だけ、今年のオープニングメッセージは特別感動的でした。思いの丈の竹くらべではないでしょうが、当初は5分の予定が15分。飯島さんも嬉しかったのでしょうね。写真で見ると、胸の張り方が実に堂々としていて、それゆえでしょうか、マイクを通した音声もボリュームがあり、メッセージも明晰で、まさしく薫風コンサートの幕開けを告げるに相応しいものでした。

 今回は「竹林のJazz men」という括り方で写真選びをしましたが、ここに至る主催「おいしい野菜公園2007」のメンバー各位に一層のお礼を申し上げます。

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↑まるでスポットライトを浴びるような絶好のポジションでマイクを持つ飯島さん。
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↑会場では端然と伏せてJazzに聞き入る7歳の女の子。名前は聞いたのですが、今に至るも思い出せません。ごめんね。
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↑コンサート終了後、Jazz menとJazz fanの交歓シーンがあちこちに。おちゃめで可愛らしい女の子でした。
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↑「高かったんですよ、このトランペットは」と、大いに自慢するJazz men 。
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↑お二人とも、とてもハーモニックな演奏でした。
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↑このお二人がこのメンバーを仕切っているらしい。だって、かなわないでしょ、この可愛らしさ。
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↑演奏の後、近くの藁小屋で海鮮バーベキューパーティ。前回も今回も、築地市場勤務の、東の山と書いて「とおやま」さんからマグロのカマ、サンマ、イカ、タコ、ドンコなどの差し入れあり。全くありがたい。「来年はマグロ、サオで持ってきますよ」と。嬉しい! そして歓談ののち、散会。竹林はまた、元どおりの凜とした装いを取り戻していました。
# by 2006awasaya | 2015-06-02 00:06 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[228=JAZZ in 竹林]

2015.5.17(日)

JAZZ in 竹林
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↑今年の竹林コンサートのポスターです。
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↑ポスター裏面に地図などを配してあります。解像度が低くて見えにくかったら、ご連絡ください。もっとしっかりしたpdfをお送りします。

 今年の「JAZZ in 竹林」の日時が決まりましたので、お知らせします。
 5月31日(日)です。
 飯島農園の竹林で開催される「JAZZ in 竹林」は今年で2回目となります。昨年同様、演奏中のビールOKで、これがなかなかにステキ。ちょっぴり赤ら顔で竹林バー(林立する竹に横棒を渡しての即席ベンチ)に浅く腰掛けて聞くJAZZは格別です。

 今年の曲目は、
 Beyond the Sea
 A Night in Tunisia
 Birdland
 I Got Rhythm
 My Favorite Things など。

 ボクはMy Favorite Thingsが好きなので、このメロディーが流れる頃を酩酊のピークにもって行こうと愚考中。当日はボク、生ビールの販売担当で、プロの注ぎ方の勉強も兼ねて、連日、特訓を重ねています。なお、今年は一杯300円の予定です。

 そうそう、今年のポスターを作るにあたって、昨年の会場風景写真を眺めていましたら、このカットがいけるんじゃないかと、それでポスターにしたんです。写真手前の右手、ピンクのシャツを着ていらっしゃる方の、このピンクがステキで、しかも襟を立てているところなんて、うーん、おしゃれでいい感じじゃないですか。
 それで、この方のピンクを要所に配してポスターをまとめたんです。

 船橋市の北東部にある豊富町はまだまだ田んぼや畑が残っていて、心癒されるエリアです。この竹林で存分にswingしていただけるよう、ただいま竹林整備中です。なお、入場無料です。

 竹林整備の仲間の阿部さん曰く、「この竹林で時を過ごしていると、ふと、かぐや姫を探しているような、妙な気持ちになるんです。当たり前の話ですが、光り輝く竹は、今年もついに見つけることは叶わなかったのですが、それはそれとして、できるだけ太い、佳き竹を選んで募金箱を今年も作りますので、ご協力、お願いします」と、なにやら物言いまで竹取翁風。この阿部さん作の「三陸支援の募金箱」を例年同様、コンサート会場入口に設置する予定でおりますので、こちらへのご協力もよろしく。
# by 2006awasaya | 2015-05-18 00:54 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[227=複層仕込みの味噌開封]

2015.4.15(水)

複層仕込みの味噌開封

 4年前の2月27日(日)。とにかく寒い日でした。
「今朝はヤケに寒いですね。今年もよろしくお願いします」と、味噌仕込み責任者の金谷さんに挨拶すると、ニコニコ顔で「絶好の味噌仕込み日和になりましたね」と返され、「そうか、こんな厳寒の日こそが味噌仕込みには適しているのか」と、思わず知れず背筋を伸ばしたことを思い出しました。
 とにかく寒い日でしたが、久しぶりに背筋を伸ばしたついでと言ってはヘンですが、兼ねてからペースト状の味噌ではなく、豆状の味噌を試してみたかったので、「仕込みに当たって、ミンチ状の層とミンチにせずに豆のままの層を交互に積層して、今日はペースト、明日は豆状の味噌という具合に、表情と形状を違えた味噌を味わいたいので、そんなふうに樽に詰めてもよろしいものでしょうか」と確認しましたら、「ああ、面白そうですね。どうぞやってみてください」と、伸ばした背中を撫でてくれました。
 あの寒い日から4年が経過した今日、ちょうど小分けにしていたタッパの味噌がなくなっていましたので、4年前の複層仕込み味噌を開封しました。
 仕込んだ日から12日後に、東日本大震災が起きたわけですが、2階の納戸に仕舞う際、前年に仕込んだ味噌樽をこの味噌樽の上に積み直し、たぶん重ね方がよくなかったのでしょう、激しい揺れで前年仕込み樽が横転。幸いにも他の部屋では家具の倒壊もなく、本棚からも本などが飛び出さなかったので、納戸のチェックをし忘れ、ほぼ1カ月間、横転したまま放置。汁がこぼれ出していたんです。その横転の記憶が樽をくるんだ米袋に残っていました。
 全部で3層にした一番上層の豆状はとてもいい感じでした。野田産の茶目の大豆は丹波の黒豆を思わせる深みのある濡れ羽色です。一粒つまんで噛んで見ると、これが全くの無抵抗。やわらかな煮豆。仕込みの前日から大きな鍋で煮た豆ですから当たり前ですが、4年を経過するとこんなにも丸くなるのかと、ちょっとおどろきました。
 金谷さんには「複層仕込みの味のほど、開封したら教えてください」といわれていましたので、まずはご報告まで。
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↑米袋に残るシミは、2010年仕込みの味噌樽から出た汁です。(金谷代理)と書いてあるのは、この日、急な用事が入り、米袋の外装だけを金谷さんにお願いしたものですから、金谷さんがこう記してくれたんですね。
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↑米袋を取り除いた状態です。さて、フタを開けてみますか。キレイな状態で仕上がっているかどうか。このドキドキ感、ときめき感がなかなかにいいものです。
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↑そろそろとフタを開けてみると、右上に想定外の盛り上がり。かなりアルコールで除菌したので、表面全体はキレイだし、うん、ま、よしよし。
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↑味噌の表面も内部も均一な状態です。上層の豆層はどうなっているか、振り下げてみると、うーん、いい感じ。
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↑豆状の部分だけを取り出して、一粒食べてみました。見た目はお正月に食べた黒豆にそっくり。うーん、まろやかな味わい。この豆層で味噌汁にしたら、お椀の底にこの粒粒が最後に姿を現すので、意外とおもしろいかも。
# by 2006awasaya | 2015-04-15 09:57 | 真剣!野良仕事

ソウルの若者たち1

2015.3.31(火)
ソウルの若者たち1 서울의 청년들1
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↑話しかけた訳ではないので、確かではありませんが、このお二人、日帰り観光でソウルに遊びにきたのでしょうね。「ソウルで一番未来的だと評判の、この東大門デザインプラザを見とかないわけにはいかない」と親戚からも言われて、東大門歴史公園駅で降りたはいいけれど、このあまりにも超現実的で未来的な雰囲気に溶け込めず、妙にハシャグばかりの、人目を気にしてばかりいるソウルっ子の間を遠慮しいしいベビーカーを押しながら、すり抜け、新奇な曲面で覆われた構造物の周囲を周遊し、数時間後には家路に。「それでいいんですよ。必要でもない物を無理して買うことも、無理して時代に追いついていかなくても、そのうち、時代の方から擦り寄ってきますから。その時に頑強に抵抗するか、許諾するか、無視するか、判断すればそれで十分で、それまでは気持ちを偽らずに過ごしていてください」と、後ろ姿に語りかけていました。40年前のボクに話しかけている気分でした。


 先週、ソウルに行ってきました。
 旅行のテーマは、
1=延世大学構内にある尹東柱(ユン ドンジュ)の詩碑を訪ねること。
2=国立中央博物館でほぼ一日過ごすこと。
3=去年出来た東大門デザインプラザに集まる今様の若者たちを見ること。
 だいたい、こんな3項目を見たりできれば上々の旅行だと思って出かけたのです。
 さらに、韓国語を習って3年目なので、その成果も若干確認したいという隠しテーマも抱えてはいたのです。

 実はほぼ1カ月前の3月7日、麻布にある在日韓人歴史資料館の土曜セミナーで、『東アジアの地域共同体構想をあらためて考える』というタイトルのレクチャーがあり、サブタイトルに「安重根の東洋平和論を手がかりに」とありましたので、余計に興味そそられて参加したのでした。講師は小川原宏幸さんという同志社大学の若き研究者でした。ボクも、もともと安重根という人物にはそこそこの興味もありましたし、『あらためて考える』というのであれば、混迷している日韓関係に、わずかでも考えるヒントを提示してくれるのではと、この土曜セミナーに期待していたのです。

 ボクの中の安重根は、以下のような通り一遍のものでした。きっとこれを読んでくださっているみなさまも、程度の差こそあれ、同じような知識量だと思います。

【安重根】 伊藤博文をハルビン駅にて狙撃した暗殺者。日本訪問中のロシア皇太子ニコライを大津で襲撃した津田三蔵のような人物かも。あるいは、神戸からニコライが帰国するのですが、帰国後に京都にてニコライへのお詫びとして自死した千葉県鴨川出身の畠山勇子という女性がいて、ひょっとして安重根はそんな彼女に似た激情家だったのか。

 この程度の知識しか持ち合わせておりませんでしたので、安重根の新しいイメージが上書きされれば、ソウルの南山麓、ソウル駅からも見える山並みの裾にある安重根義士記念館に行き、韓国での安重根評価の実際をきちんと確認できるかと思ったのですが、期待に反してこの土曜セミナーでは新規のイメージは披露されず、それで、今回は安重根にはまったく触れぬ旅行をしてきたのです。
 それゆえ、以前から興味を引きずっていた上記3項目を廻ってきたのです。

 ところで、2年前にソウル市内の大型書店を訪ねたおり、超高層の鐘路タワー地下2階にあるバンディ&ルニス チョンノ店(반디앤루니스종로점)と、斜向かいにある永豊文庫(영풍문고)は時間内に書籍を買うことも店内を見て回ることも出来たのですが、肝心のソウル最大の書店・教保文庫光化門店(교보문고 광화문점)には時間切れで行けず仕舞いでした。なので、今回はなにがなんでも立ち寄ることにしたのです。さらに今回の宿は景福宮駅のすぐ近くにある大元旅館新館。伝統的な韓屋の宿で、おまけに格安。しかもオンドル部屋。その上、旅館の女主人が日本語堪能。ネットで見る限り、ボクの発音をソウル風に矯正してくれそうです。さらにまた、歩いて1分のところに沐浴湯(モギョッタン=목역탕)、日本で言うところの銭湯があることが宿に荷物を置いたその瞬間に分かり、ああ、この旅館にしてよかったと、心の底から安堵したのです。
 会話力はまだまだですから、バスはまだ乗りこなせないものの、不自由なく乗りこなせる地下鉄の駅に近いこともあり、ほんとうに便利重宝安寧な宿でした。

■尹東柱の詩碑

 さて、尹東柱です。
 1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した韓半島からの留学生。前々年7月、遊学先の京都にて特高に検挙され、治安維持法違反容疑で起訴され、福岡刑務所に送られ、獄死した詩人です。
 ボク、韓国語の勉強のつもりで、3年前に『名作を朗読で学ぶ美しい韓国語』(張銀英著)を購入。この本の中で尹東柱の詩を知ったのでした。尹東柱の詩を朗読するアナウンサーの声の調子も素晴らしく、何遍も何遍も聞き返すうちに、対訳の日本語だけでは満たされず、尹東柱全詩集『空と風と星と詩』を買い求め、東柱の詩業を代表する「序詩」を刻んだ詩碑が延世大学構内にあることを知り、機会があれば訪ねたいと、そのように考えていました。


윤동주 서시

죽는 날까지 하늘을 우러러
한 점 부끄럼이 없기를,
잎새에 이는 바람에도
나는 괴로워했다.
별을 노래하는 마음으로
모든 죽어가는 것을 사랑해야지.
그리고 나한테 주어진 길을
걸어가야겠다.
오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다.
1941.11.20


 この有名な詩は、いままで伊吹郷(影書房、尹東柱全詩集)の訳でしか知りませんでしたが、ネットで調べると他の方たちの翻訳も多数あり、上野潤氏の訳をここに転載します。掲載に万一の不都合があればご連絡ください。
 ここに掲載した尹東柱の序詩の原文は、延世大学構内に建つ「 윤동주 시비 」 から写しとりました。碑面にはタテ組のハングルで刻してありました。尹東柱自筆とのことでした。


서시
序詩

죽는 날까지 하늘을 우러러
息絶える日まで天を仰ぎ

한 점 부끄럼이 없기를,
一点の恥の無きことを、

잎새에 이는 바람에도
木の葉にそよぐ風にも

나는 괴로워했다.
私は心痛めた。

별을 노래하는 마음으로
星を詠う心で

모든 죽어가는 것을 사랑해야지.
全ての死に行くものを愛さねば

그리고 나한테 주어진 길을
そして私に与えられた道を

걸어가야겠다.
歩み行かねばならない。

오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다.
今夜も星が風に擦れている。

1941.11.20 東柱


 ソウル駅から京義中央線でひと駅の新村駅で降り、改札を出て北口に出ました。駅舎自体が高台にあり、坂を下ると正面には延世大学の大学病院です。右手には梨大、つまり梨花女子大学が広がり、通学の女子大生たちが胸を張って足早に歩く姿が多数あり、しゃんとした歩きように見とれてしまいましたが、これから訪ねる延世大学は梨大とは逆の、左手に坂を下っていくのです。

 ずんずんと坂を下ると大学正門。周辺はちょうど工事中で、フェンスに囲まれて、外からは中で何をやっているのかは見えません。正門から構内に入ってしまえば、右手サイドの斜面一面が喧噪を極める工事現場になっていて、折々に吹き付ける風が土埃を舞い上げ、学生たちは顔を伏せてそれぞれの学部へと歩いていました。

 正門から、奥へ奥へと進む道はちょうどV字の谷の底に付けられた道のようで、その両斜面は駆け上がるのもためらう程の勾配、その斜面の上に各学部の校舎が並んでいるようでした。
 やがてこの中央の道の突き当たりに像が立っていて、早稲田大学でいうところの大隈像にあたるのか、延世大学の建学者なのでしょうか。事前にほんのりとソウルからの道順までは調べていったのですが、大学の構内までは調べようがありませんでした。

 これほど広大なキャンパスだとは。
 その建学者像の先には駐車場もあり、角かどには警備を担当している警備員さんがいましたので、「尹東柱の詩碑はどこにありますか」と、自分ではかなり滑らかな韓国語で問いかけましたら、なんと、怪訝な顔をされてしまいました。ああ、そうか、少しばかり流暢に話してしまったので、警戒されたのかもと反省し、もっと日本人らしく、たどたどしく、一言ずつ区切り、まるで初めて英語を習った中学生時分を思い出しながら、インディアン英語で、「わたしは、日本から、来ました。尹東柱の詩碑、どこにありますか?」と、中年を大きく回り込んだ恰幅のいいおじさんタイプの警備員さんの瞳を覗き込むようにして聞いてみたのです。
 すると、「ああ、分かった。仲間に聞いてみるからちょっと待て!」と、手にしていたレシーバーに向かって、猛烈な早口で左手奥にいるもう一人の警備員さんと話しているではありませんか。話し終わると、レシーバーをもった手をかざして「あっちだ!」と指し示してくれるのです。うーん、通じた。ちょっと待てって言ってたのが聞き取れて、ただそれだけで2年間の成果が確認でき、極上の嬉しさでしたが、レシーバーの指し示す先に、もう一人の警備員さんが、こっちだこっちだと手招きしている姿を認めた時の嬉しさといったら。

 この国はこの程度の親切を気軽に繋げてくれる国だったんだ。

 3人目の警備員さんの手招きのおかげで、駐車場上の小公園にたどり着くことが出来、一礼してその親切に応えましたが、警備員さんの姿は既になく、尹東柱の詩碑の下で、学生たちのお母さんがたでしょうか、ベンチに腰掛けておしゃべりに花を咲かせているところでした。詩碑の裏面には、この碑建立の来歴などが記されています。写真には撮りましたが、まだ読めていません。いずれ時間に余裕を作って読んでみることにします。

 詩碑の背後に建つピンスンホールに入館しすると、外観は石積みの石造建築だと思っていたのですが、内部は木質の柔らかいな雰囲気のお部屋でした。
 尹東柱も、ここで3年程は暮らしたんだと、玄関脇のプレートに説明がありました。ここソウルのアカデミックなキャンパスも、今では到底考えられない暴虐な時代の風に吹き曝されていたでしょうし、夜空の星も、吹き荒れる風に擦られて悲鳴を上げながら瞬いていたに違いありません。傷だらけの満天の星と天空。

 序詩の最後の一行

 오늘 밤에도 별이 바람에 스치운다 
  今夜も星が風に擦れている

 なんとも名状しがたい一行です。

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↑延世大学の正門。ちょうど工事中だったので少し埃っぽい。この正門を入り、800メートルも歩いた左手に尹東柱の詩碑がありました。
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↑小公園の上部に、尹東柱の詩碑はあった。学生たちの母親だろうか、ゆったりとした雰囲気の中で寛いでいた。詩碑の背後に見える石積みの建物はピンスンホールで、尹東柱の記念館を兼ねた建物。
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↑詩碑に刻まれた「序詩」の部分を拡大。尹東柱の筆跡がうかがえる。序詩の最後に漢字で「東柱」と署名してあった。
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↑「ピンスンホールと尹東柱」と書かれたピンスンホール入口脇のプレート。学生たちが勉学と休息のために1922年に建てられ、文学部の学生だった尹東柱も1938年から1941年までここで過ごしたとある。

 来週は国立中央博物館で過ごした1日をアップします。
# by 2006awasaya | 2015-04-01 11:20 | 行ってきました報告

【真剣!野良仕事】[226=もうじき春ですよ]

2015.3.16(月)

畑に出てこられないメンバーへ

 いよいよ春ですが、諸般の事情により畑に出てこられない方々もいらっしゃいします。
 そういうメンバーの方々に、畑の現状を写真で撮ってきましたので、ご覧ください。
 写真は3月14日(土)の畑です。
 いつもはダラダラと長ったらしく文字を書き連ねますが、今回は写真とその説明で進めます。

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↑農園入り口のビオトープ。管理者の是永さんに確認したのですが、「水中を覗き込むと、結構活発に動いている姿が見られるはずですよ。一番活発なのはドジョウでしょうね。ボソもいたし、オタマジャクシがいたって、長谷川さんが騒いでいましたよ」と。

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↑農園入り口のビオトープ脇ではスイセンとヒメオドリコソウが春を告げています。枯れ草混じりなので、余計に自然そのもの。いいですね、成り行きに任せた農道脇の風景は。

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↑ボクの区画です。手前の防虫シートをトンネルにした中の白菜はすでに収穫済みで、葉が巻いてなかった二株が未収穫のまま放って置かれて、トウが立ってしまいました。キャベツはやっと結球してきて、来週には収穫です。黒いマルチシートにはニンニクが芽を出してきていて、後2カ月で掘り上げます。その奥は長ネギで、土を寄せすぎて窒息寸前です。その左ヨコがタマネギで、元気に成長中です。約200球が収穫予定で、この調子で行けばご近所にも配れます。

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↑新装なった好々亭で阿部さんとお会いしました。お隣にいる少年は誰ですかと尋ねると、「孫の中で一番大きな孫なんです。孫を連れて竹林に遊びにきたところです。竹林の整備を一緒にやると、いろいろ教えることも出来て、結構楽しめるんです。長谷川さんも今度お孫さん、連れてきたら?」と。後ろに見える好々亭はこの阿部さんと、もう一人の整備担当の井上さんで仕上げた力作で、好々亭二代目です。初代は竹筋造りでしたので、割れたり虫に食われたりしてぼろぼろになり、天井も歪んで、そんな有様を見かねて、作り替えようと言い出したのがこの両名。二代目は鉄パイプで構造を作ってありますが、自然環境にそぐわないと言う難点があり、鉄パイプを孟宗竹で包んでいるんです。風除けに竹垣を組んでありますが、微妙な不揃いの高低を『アルプスの山並みみたいだ』と言ったのが大村さんで、言われてみればなるほど、そのとおり。面白くもなんともない景色をいかに見立てるか。さすがに人生の先輩ですね。不揃いの竹垣を見て「アルプスの山並み」と見る。美しい喩えに感服しました。

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↑我らが畑のメンバーをまとめる事務局長の尾上さんです。今日は何しに?と問うと、「これを収穫し序でに、スイカ用の畝を作り、夏野菜のいろいろの準備で。ホウレンソウ、持ってかない?よかったらこの水菜もいかが」。

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↑畑の奥の方ではダイコンの種まき準備をする金子さん。「どうしたの、最近は全然顔を見せないじゃないの。畑より面白いこと、なかなかないけど、なにか面白いことが見つかったら教えてよ」ですって。一昨年まではお米を作っていて、「でも、体力的に、夏の暑さの中での草取りはもう無理だって感じて、それで米づくりから身を引いたのよ。あなたと一緒ですよ、ね、長谷川さん」と、非力なボクの軟弱をそれとなく突いてくる優しい仲間です。

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↑畑の奥のハーブ園は吉本先生のエリアですが、そのまた奥には、今が真っ盛りの白梅が清楚な雰囲気で咲いていました。ボク、このハーブ園でお昼のお弁当を使うのが好きで、自分で握ってきたおにぎりをこの梅の木のあたりの日影でいただくんです。静かで本当に素敵なところです。夏になると手前一帯がラベンダーが咲き競い、全身を薫香で燻蒸されます。

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↑三陸にスイカを送るメンバーの檜山さんと一緒に記念撮影。自転車でこの農園まで乗ってくることで高血糖を直した凄い方です。ボクも昨年秋に高血糖を指摘され、いきなり血糖を下げる薬を出しましょうかと近所のお医者様に言われ、ショックのあまり数日間、呆然としていたんです。その時、身近に血糖値をコントロールした人がいたなあと、よくよく見回して、なあんだ、檜山さんだったと思い出したんです。以来、ボクも自転車でこの農園まで来ているんです。身近に人生の先輩がいるって、まったくありがたい限りです。「長谷川さん、問題は何かと言うことをめいかくにすることが大切なんですよ。自分の筋肉で血中の糖類を燃焼するようにする。そして定期的にチェックする。ヘモグロビンA1cの値はどれほど?」など、いきなりポイントを突いてきて、こちらは若干アタフタ。今後とも宜しくご指導ください。

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↑竹林に行くと、阿部さんがお孫さんと一緒に作業に取り組んでいました。こうした風景はまったくいいものですね。危ないからとか、怪我をするといけないからなど、ついつい過保護にしてしまいますが、チェーンソーなんか、なかなか操作できないですよ。素敵なおじいちゃんがいて、阿部家のお子たちはまったく羨ましい。「長谷川さん、そのおじいちゃんってのは止してくださいよ」。そうなんです。ボク自身も、孫たちからおじいちゃんなんて呼ばれたらムッとして、絶対返事もしないし、顔を背けるでしょうね。「で、一つ聞くけど、長谷川さんは孫たちになんて呼ばせているの?」「ボクは名前を呼ぶように言ってるんです。トモアキさんって。ボクは孫たちを呼び捨てにし、孫たちはボクのことを敬意をもって『トモアキさん』とさん付けで」「なるほど、それはいいね」。そんなこんなのおしゃべりをして竹林から引き上げてきました。
# by 2006awasaya | 2015-03-16 21:46 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[225=三陸通信6●三陸支援ツアー報告]

2014.11.9(日)

フォーラム「三陸漁業の展望を探る」

第3回 三陸支援ツアー報告
【パート1】
 2014.10.18(土)〜19(日)の1泊2日で、3回目となる「三陸支援ツアー」を実施しましたので、その報告です。
 時系列で、しゃべり言葉でいうところの『時の流れに従って』、まずはツアー内容が判る写真を並べますので、見てください。

【foto01】漁業フォーラムの会場
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↑山田町のフォーラム会場にて。「定住再生産が出来る産地の創生を目指して」との表題で発表する三陸漁業生産組合の組合長理事・瀧澤さん。上下スーツ姿の瀧澤さんもこれはこれでかっこいい!

【foto02】遠藤さんの釣果
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↑船尾から疑似餌を投げ入れて15分ほど。『どうです、かかりましたよ』と遠藤さん。

【foto03】ムール貝の養殖現場へ出航
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↑この日は波がほとんどない上天気。細谷さんだけは船に乗っただけで上機嫌。

【foto04】ムール貝の養殖現場
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↑遠藤さんが黒く太いロープを引き上げているが、この太いロープにムール貝が絡み合うようにしてくっ付いている。本来のロープは直径1センチほど。このロープに、ムール貝が鈴なりにくっ付いてこの太さになっている。動力に頼らないと重すぎて揚がらない。

【foto05】海から揚げたばかりのムール貝
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↑ムール貝の蝶番近くから絹糸のような強靭な糸を出して、お互い同士と絡み合い、グルーピングをして離脱を防いでいる。離脱防止ネットとでも呼べば良いのかな。

【foto06】ムール貝の養殖現場から港に戻ってきた視察団一行
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↑赤い靴が似合いますね、遠藤さん!

【foto07】神辺さん
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↑「焼きホタテを4つと焼きカキ3つ、サンマが2本。で、これが最後のホタテ」と豪快な神辺さん。

【foto08】大村さん
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↑「これで4つ目」とおっしゃる大村さん。

【foto09】飯島さん
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↑「うーん、ムール貝のワイン蒸しがこんなにいけるなんて」とうっとり顔の飯島さん。

【foto10】川口さん
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↑「焼きカキも焼きホタテもサンマもみんな美味しかった」と、川口さん。

【foto11】堰堤上の海鮮バーベキュー
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↑広田湾の最奥に吉田さんのカキ養殖現場はあった。堰堤のトップは海面から5メートル。津波はこの堰堤を軽く乗り越えて陸へと駆け上ったが、幸いなことに吉田さんの作業場と自宅は津波の本流から逸れたために助かった。そんなことをポツポツとしゃべりながら焼いてくれた。

【foto12】ムール貝のワイン蒸し
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↑遠藤さんの養殖場で揚がったムール貝。一つ8センチクラスのムール貝を約20個、フライパンへ投入。白ワインをじゃぶじゃぶ掛け回してから蓋をして10分。貝が開いてきたら、さあ試食。写真では調理のためにトングを使っているが、食べ終わったムール貝の殻は、次のムール貝を食べる際のトング、またはピンセット代わりに使うのが本場流なのだとか。

【foto13】陸前高田市の区長をされている伊藤さん
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↑こんな穏やかな表情が一番似合うお人柄です。でも、第一回目の三陸支援ツアーでお会いした時のお顔とは、当然のことながら別人の隔たりがあります。毎回、われわれが訪問するたびに、水先案内をしてくれるのですが、現役時代は大手水産会社の大型漁船で世界を駆け回ったパイロットでもあった方です。

【foto14】牡蠣漁師の吉田さんご夫妻
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↑なんだかとても仲が良いのです。このご夫婦が育てた牡蠣なら、毎シーズン、食べていたいです。何カットか写真に撮らせていただいたのですが、このカットが一番自然な表情でしたので、ラベルに転用しました。今後とも末永くお付き合いくだされば幸いです。

【foto15】松の木にかかった浮き球
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↑神辺さんも触れていましたが、護岸脇に斜めに生えた背の高い松。海面から20メーター付近の松の枝に丸いボール状の浮き球と網が絡まっています。見えますでしょうか。その黒いシルエットから松の幹に沿って視線を下に移していくと、もう一つ、ボール状の球が見えます。この球で海面から15メーターくらいでしょうか。

【foto16】陸前高田の地盤嵩上げ風景
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↑本四橋や大鳴門橋の写真と見まがうばかりの吊り橋ですが、これは写真背後の山を切り崩した土石をベルトコンベアで運ぶための橋なのです。ダンプカーで今までは運んでいたのですが、途方もない時間がかかるため、この方式を選んだそうです。写真中央に、奇跡の一本松が見えます。

【パート2】
 第3回目となる三陸支援ツアー、今回の参加者は6名。ワンボックスカーでの移動中、絶えず誰かが誰かとおしゃべりしていて、それを聞き流しながら、車窓の風景に見入る方もいれば、流れる紅葉の山々を眺めながらも、交わされている話題に耳そばだてる方もいて、こうした勝手気儘な時間の過ごし方が報告者の長谷川にはとてつもなくステキなツアーでした。おしゃべりに飽きればそっぽを向き、面白そうな話題が聞こえてくれば、その話題に割り込む。こうした気儘はなかなか味わえなくなってきているだけに、余計に貴重な時間だったと思います。

 当初の予定通り、初日は岩手県山田町の大沢ふるさとセンターで開催される漁業フォーラム「復興と漁業の展望を探る」という集会に出席し、終了後、碁石海岸にある民宿に宿泊。地元の漁業関係者との夕食懇談。懇親を深めるにはとてもよい機会でした。翌2日目は、遠藤さんの漁船に乗船し、越喜来湾口にあるムール貝の養殖現場に出かけ、ムール貝の生育視察、船上作業手伝いをし、一旦、港に戻って後、広田湾のカキ漁師・吉田さん宅にて昼食懇親。その後、陸前高田の土地嵩上げ工事現場などを区長の伊藤さんの案内で視察。道の駅にてショッピング後、一関インターから東北道に上がり、飯島さん、細谷さんの運転で一路南下、ひたすら船橋を目指しました。船橋までは時速110kmの高速走行で6時間もあります。途中途中のトイレ休憩の度に、改めて参加者一人一人に今回の旅の印象を聞き取っておこうと、同じ質問を各人に投げかけ、返ってくる答えをそのままみなさまに報告する方式でこの報告書にまとめようと思いました。

 お聞きした話を報告者の責任で公表しても良いと言う承諾も、話しを聞き終わるごとにいただいておりましたので、多少の勘違いや思い違いは報告者が責を負えばいい訳で、こうした勝手気儘が許されるということがこれほどまでにステキなことだとは。

 それでは、第3回目となる三陸支援ツアーの聞き取り式報告、始めましょうか。旅のおわりに発した質問は以下の通りです。

今回の三陸行きにテーマはありましたか。
そのテーマは実現できましたか?

 参加者は飯島さん、細谷さん、川口さん、大村さん、神辺さん、報告者の長谷川の6名でした。
 いずれの方にも、同じ質問を投げかけ、返ってきた答えだけを紹介することにします。
「今回の三陸行きにテーマはありましたか。そのテーマは実現できましたか?」
 この、多少こわばった質問に、シートベルトで固定された腰を伸ばしながらも、みなさま、気持ちよく伸び伸びと答えてくださいました。

【細谷さんのコメント】
 いままで付き合いのあった漁師さんたちの顔を見に行くことにあったのかな、主たる目的は。山田町で開かれる漁業フォーラム「復興と漁業の展望を探る」。漁業者がこの集会でどんなことをおしゃべりするのか、聞いてみたかった。紅葉狩りの行楽シーズンということもあって、往路の東北道と常磐道が合流する当たりで想定外の渋滞。それで会場には遅れて到着したので、基調報告は聞けなかったけど、福島県相馬市の遠藤さんと言ったかな、「原発事故と漁業について」の発表をしているところから聞いた、のかな。次の発表者は三陸漁業生産組合の瀧澤さんで、ひな壇に並んだそれぞれの漁師たちの顔はみんないい顔だったな。
 目的の二番目は、長距離の車の運転。もともと車の運転は嫌いじゃない。むしろ好きなんだ。今回も、もう飽きるほど運転できたよ。
 三番目は漁船に乗って海に出られると聞いていたので、本当は三番目じゃなく、これが一番かな。海に出て、漁師の仕事をちょっとだけでも見られて、しかもちょっとだけお手伝いが出来た。これはこれで楽しいことだよね。ムール貝のワイン蒸しが美味かったね。

【川口さんのコメント】
 前回の三陸訪問では、ホタテの殻掃除を体験することでちょっとした漁師体験が出来たし、そうか、ホタテが商品として出荷されるまでのバックヤード作業にはこんな手間がかかっているのかとか、現場を見せていただいて漁師への理解が深まりました。結局は農家のバックヤード作業と変わらない手間ひまを掛けて海産物は消費地に運ばれてくるんだと言う当たり前のことが確認できて、そのことが収穫でした。

 飯島さんから「今回はムール貝の養殖をやっている船に乗る」って聞いたような覚えがあるので、それは面白いと。去年も漁船に乗って、ホタテの引き上げから殻掃除までひと通りの作業を見せてもらい、作業をさせてもらいましたが、その折、ホタテの殻にムール貝が付いているのを見て、ムール貝の養殖はどのような方法でやっているのか気にかかっていたのです。今回はそのムール貝の養殖現場に連れて行ってもらえると聞いて、それで参加したような訳です。

 ムール貝って、もともとは値段も高くない貝なんです。日本ではカラス貝って呼んでいる貝なんです。その貝がどんな風に養殖されているんだろうというのが最大の興味で、その実際を養殖現場に連れて行ってもらい、引き上げてからロープにしがみついているムール貝を引きはがす作業も実際にやらせてもらい、ああ、こうやって貝同士がくっついているんだということが判り、新鮮な発見でしたよ。売り場では「我こそはムール貝」って顔して一つ一つが烏の濡れ羽色に光って並べられているけど、養殖現場ではもちろんスッピン。汚れ放題。ゼリー状のクラゲみたいなベトベトにまといつかれたり、フジツボに寄生されたようにくっ付かれたりしていて、ムール貝の素顔が見られて面白かったわよ。

 これが私の主目的でした。今回の三陸行きはもっぱら個人的な興味で終始しましたが、私の歳になるとあと何回、こうしたことが続けられるか、頭のどこかに絶えずカウントダウンしている意識があってね。とにかく続けられるうちは続けていこうと思っているんです。三陸行きは初回、2回に引き続き3回目でしたけど、毎回、印象が異なっていて、それはそれで面白いわよね。せめてあと10回は続けたいわよね。幸三郎さんに頑張ってもらわなくちゃ。

【神辺さんのコメント】
 自分自身の考え方にこだわる訳ではありませんが、継続することに意味があると思っていますので、参加したのです。去年は仕事の都合で参加できなかったのですが、1回目、3回目と参加して、来年もこの催しがあれば、ぜひ参加しようと思っています。

 継続すること。これが目的の第一義です。第二義は、現地でお金を使うこと。たとえわずかな額でも、現地でお金を落してきたいという思いでしょうか。現地の物産をお土産として購入してきたいということでしょうかね。サブテーマですが、お土産を持ち帰ることは家族にも喜ばれますしね。

 一昨年のことです。おいしい野菜公園の総会の折、尾上さんから議事進行役を仰せつかり、全方位の意見を聞く立場でメンバーの皆様からの意見をさまざま耳にしました。そのなかで、この三陸行きが本来のおいしい野菜公園の方向とズレているのではないか、という指摘があり、賛同する方も何人かいらっしゃいました。

 そのとき、議事進行役という立場上、個人の意見として発言は控えましたが、私自身は野菜公園の催しに、むしろいろいろな方向があってしかるべきで、一方向に集約したり、制限したりするのは窮屈だし、選択肢がいくつもある方がむしろ健全な集まりだと、そのように思っていますので、賛成できる催しには参加する、気の進まない催しには無理をして参加する必要はないが、その催しそのものの芽を摘むことに組しない、という立場でおりますので、今回も、このツアーのご連絡をメールでいただいた折あ、自分のスケジュールも空いていましたので参加したのです。

 参加すると、やはり面白い経験が出来ますよね。ムール貝でみなさま、盛り上がっていましたが、ムール貝を仕掛けたポイントに向かう遠藤さんの船の船尾から、疑似餌を付けただけの糸を投げて、あとは知らん顔。あんなので釣れるのだろうかと、しばらく注視していたんです。すると数分後には30センチクラスの、あれはなんという魚でしょうか、ずいぶん立派な魚がかかって、そうか、漁師はこうやっておかずを手に入れるんだと、漁師のナマの暮らしの一端を見たような面白さがありました。

 吉田さんの仕事場が広田湾の岸辺近くにあって、その蒼く澄んだ海際に大きな松の木があったんですが、その松の木の上の方に、オレンジ色の大きな浮き球がひっかかっていて、一瞬、なんであんなところに浮き球がと、いぶかしく思ったんです。そうか、津波だったかと思ったものの、やはり確認しないではいられませんでした。それで吉田さんの奥様に『あの浮き球、津波で?』と聞いたら、「ええ、あれだけはあのままにしてあるんです」と。大切なことだと思いました。今日みたいに風もなく、気持ちのいい秋の日に、海辺の堤防の上で焼きカキや焼きホタテのご馳走をいただき、すっかり寛いでいる。その限りでは平和そのもので、あの日の津波のことなんて思い出しようもなく、それでもふと空を仰ぐと、高い高い松の枝にオレンジの浮き球。そうだったか、と。東京からこの広田湾の吉田さんの作業場に来てよかった。心底そう思いました。三陸ツアーに参加してよかったです。ありがとうございました。

【大村さんのコメント】
 今回で3回目の三陸ツアーでした。回を重ねるごとに参加者が減ってきているので、そのことが気がかりでした。出発前に、三陸に持っていくサツマ芋を掘りましたでしょ。あの日、天気の具合も良くなくて、連絡を受けたみなさまも、きっと、空を仰ぎながら、今日のような天気じゃ無理だわよねと、そう思っていた方も多いと思います。事実、私自身もあれこれと様子見ばかりに気を取られて、集合時間に遅れてしまったのですが、やはり小雨が降ってきていて、泥んこになっての作業になるなあと好人舎に着いたら、もうすでに芋掘りは終わっていて、鷹島さんや是永さんをはじめ、野菜公園のメンバーのみなさま、ほんとうにご苦労様でした。この感謝の気持ちを飯島農園の方や野菜公園のメンバーのみなさまに伝えられないまま、三陸に来てしまったので、このツアーの新しい魅力付け、工夫はないものかと考えながら、この2日間を過ごしていたんです。

 ここはもう最後のトイレ休憩サービスエリアですけど、今に至るも、三陸ツアー魅力アップのための具体的な工夫は見つかっていないんです。なにかヒントがあったはずなんですけど、言葉にしてお話しできないことをお許しくださいね。考える切っ掛けは確かにありましたから。

 これだけは言わせてください。今回は参加人数が少なかったので、良いことがなかったかと言うと、それは大違い。現地で私たちを持て成してくだすった伊藤さんや船に乗せてくれた遠藤さん、堤防の上でホタテとカキと、長谷川さんが『おお、尾頭付きの立派なサンマだ』と絶叫していた大きなサンマ、それに海から揚げたばかりのムール貝など、新鮮な海の幸バーベキューで歓待してくれた吉田さんご夫妻。こうした現地のみなさまとたっぷりおしゃべりすることが出来たこと。これが大収穫でした。

 参加人数が少ないと、一人当たりのおしゃべり時間が増えて、却って楽しいツアーでした。

 そうそう、一番最後になってしまいましたが、実はこれが一番大切なことかもしれません。三年が経って、伊藤さん、遠藤さんの表情が明るくなってると思ったのです。もちろん、カキ漁師の吉田さんもそうでした。私たちを歓待してくれて、こちらは恐縮するばかりでしたが、皆さんとても嬉しそうでしたね。人間って、気遣われているばかりでなく、自分が元気になって、まわりに何かしてあげられるということが、嬉しいんだと思うんです。元気の基本を見た思いがします。仕事が出来る、仕事がある、という状況をお手伝いするのは、私たちには彼らとつながり、彼らの生産したものを消費すること、なのかと思いました。この冬も三陸のカキとホタテを味わえる喜び。ああ、愉しい。

【飯島さんのコメント】
 だれがなんと言おうと、続けることが大切だと思っています。三陸支援で3年が経ちましたが、この先何年も続けられるよう、頑張ろうと。今回、一番印象に残っているのは、吉田さんご夫妻の作業場でいただいた海鮮バーベキューでしょうか。参加していただいた方々はもちろん、三陸のみなさまも、みんなステキな笑顔でかぶりついていましたよね。あの笑顔はなかなか見られるものではありませんし、それだけでもう十分。ごくふつうの笑顔が見られたということがなによりでした。そんなことを思い返しながら、長距離運転を細谷と交代交代で走ってこられました。遠藤さんも伊藤さんも瀧澤さんも、いままでどおり頑張っていて、明日からまた頑張って働こうと、そんなことを考えながら運転していました。一つだけ残念なのは、みなさんに掘っていただいたサツマイモ、内々の手違いで発送が遅れ、われわれが現地にいるうちに届く予定でいたのですが、届かなかったこと、かな。さあ、次が柏です。安全運転で行きましょうか。

【長谷川のコメント】
 帰路、トイレ休憩で車を止めたサービスエリアに入るたび、参加の5氏と立ち話をし、それぞれコメントをいただきました。これは大村さんも印象深くおしゃべりしていましたが、三陸訪問時の土産として、サツマイモを野菜公園のメンバーで掘ることになっていたにもかかわらず、集まりが悪かったのは、ひとえに広報担当の長谷川に責があります。今後は重々注意して参りますので、お許しください。その芋掘り当日は生憎の空模様にもかかわらず、飯島農園からはTさん、Kさん、野菜公園からは尾上さん、Tさん、金子さん、小林さん、川口さん、それに長谷川が参加して、約1時間ほどで作業を切り上げました。参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。後日、飯島さんに確認しましたが、無事に陸前高田の区長・伊藤さんにサツマイモは届き、今まで通り仮設住宅にお住まいの方々に配られたと言うことです。毎回毎回の農産品ご提供、飯島さん、ありがとうございました。

 ところで、みなさまからのコメントを整理していて、5氏からいただいたコメントと重複していない一点だけを報告させていただきます。

 細谷さんも指摘していましたが、漁業フォーラム『復興と漁業の展望を探る』の会場に、時間に遅れて到着したものですから、主催者挨拶に続き「岩手県漁民組合の意義と小型船漁業者の全国的な組織をめざして」という二平章さん(北日本漁業経済学会会長)の基調報告、続いて、各地からの報告として、「地域をつなぐ千葉県沿岸小型漁船漁業組合の歩み」という鈴木正雄さん(千葉県沿岸小型漁業協同組合組合長)の報告が聞けず仕舞いでした。「原発事故と漁業について」という福島県相馬市の岩子漁業生産組合長の遠藤友幸さんの報告からわれわれは着席して聴講できたのです。

 着席時にいただいたフォーラム資料を見直していましたら、この聞き漏らした鈴木さんの報告資料がすばらしい内容でしたので、フォーラム終了後に、内容の確認を兼ねて鈴木さんにごあいさつに伺いました。

長谷川 鈴木さんの報告資料を拝見していて、冷静な自己分析に感動を覚えました。
鈴 木 とんでもありません。いつも冷静ではいられないんです。
長谷川 時間に遅れて、鈴木さんの報告は聞けなかったのですが、鈴木さんの報告資料を読みながら、房総半島の外海で大中型まき網漁業との紛争を避けるために、さまざまな操業調整がなされてきたこと、さらに、今の生活も大切だが、次の時代のことを考えて協議することなどの展望に加え、海の様子の変化や魚の資源減少など、小型沿岸業者が敏感に感じていたのだから、本来は真っ先に強く国へ意見具申しなくてはいけなかったという反省を添えていた点、ああ、真摯だなあと思った次第です。
鈴 木 この会に賛同した漁業者はきっと皆、同じ思いでいると思います。全国の沿岸漁業者は漁獲が減ってきていたことは敏感に感じていたし、なにかしなくてはいかんなあと感じていたはずなのです。そうしたときに、この呼びかけがあって、ここに来たのです。まずは全国の沿岸の漁師がお互いに連絡を取り合って、古く疲弊した国の制度そのものを替えなくてはいけないと思っているはずなのです。
長谷川 鈴木さんのフォーラム資料にありました「沿岸小型船団長会議」の図の説明で、これは確認しておかなくてはいけないと思い、帰りがけのお忙しいところ申し訳ないのですが、組合内で規約を決める基本として、『多数決だけで規約は決めない、その例として全体が16船団あった場合の船団長会議で、14船団が賛成で2船団が反対の場合、どうしても反対して納得してもらえない場合は、沿岸小型組合の役員が全員でその反対する船団に出向き、再度協議。お互いの意見交換をして理解してもらう努力をする』とありますが、そのとおりの段取りで物事を実行されているのでしょうか。
鈴 木 ええ、そのとおりでやっています。多数決は採用していないのです。「14対2なので、賛成多数でこの案は決定されました」とはしないということです。
長谷川 昔からですか。
鈴 木 はい。みなで決めたことはみなで守る。ですから、この約束に違反した組合員がいた場合、船団長が組合全員に対してこれこれの違反があったと申告し、その組合員は翌日、漁を休む。そうやって漁をしています。

 鈴木さんの話はもっと聞いていたかったのですが、この後、山田から陸前高田に移動しなければなりません。次の機会に鈴木さんの本拠地・千葉県勝浦漁港に出かけて改めてお話を伺うというお願いをして引き上げてきました。それにしても、むかし学校で習った「直接民主主義の基本」を見る思いでした。

 数に頼らない。
 多数決で物事を決めない。
 多数決の結果は議論している途中の理解確認に過ぎず、総意決定としてはならない。

 目の覚めるような集団規範が房総の沿岸小型船団で機能していたんです。このことを知っただけでも、ボクには大収穫でした。
# by 2006awasaya | 2014-11-16 13:13 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[224=ついに石焼きイモが出来た!]

2014.10.26(日)
成功の秘密は黒石にあった!
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↑どうです、この色味。ホクホク感とねっとり感。プロが作った焼き芋と遜色ないところまでいい味、出しているでしょ。はたして焼き芋のプロがいるのかどうかは判りませんが、食べてみると、この過剰な自讃が嘘偽りないこと、実感できるのです。お芋は別名「蜜芋」との異名のある安納芋です。


 飯島さんが言うんです。
「石は焼くと破れるから、危ないですよ」と。

 実は、おいしい焼き芋がなかなか出来ず、相談に乗ってもらっていたんです。蒸したお芋もそれはそれでおいしいのですが、売られている焼き芋には適いません。
 なんとか自宅で好きなときに、好きなだけ焼き芋が食べたい!
 そんな思いが頭蓋にも眼底にもこびりついていますから、広告のチラシを斜め読みしていると、焼き芋関連の広告に目が引き寄せられてしまうんです。そんなこんなで、うちの台所にあるコンロに乗せるだけでできる簡易焼き芋窯があることを知り、衝動購入抑えがたく、通販でその窯を買ったこと。その窯の内部はこうなっていて、強火で20分、湯気が立ってきたらホクホクの焼き芋の出来上がり。そんなフレーズに惹かれて購入したはいいけれど、そうした指示通りにやると黒コゲになってしまい、せっかくのお芋の半分以上が炭芋となり、食べるところがほとんど無くなってしまったこと。そこで、窯の底部に石を並べて、直接、お芋が底に触れないようにすれば炭芋にならないのではと考えているんですが、どうしたもんでしょうか。

 そんなことを一方的に飯島さんにおしゃべりしたんです。

 博学の飯島さんのことですから、それならこんな石が最適だとか、石よりも平べったい耐火煉瓦の方がいいだろうとか、実践的で具体的なアドバイスをいただけるものと思っていたんですが、豈図らんや、口から出てきたのが「石は焼くと破れるから、危ない!」との注意喚起。

 でも、言われてみれば全くの盲点でした。焼かれた石が破裂して、弾けた石が窯をぶち破り、破片が飛散して近くの食器を壊し、台所が悲惨な現場になることまでは考えても見ませんでした。まったくの想定外でした。

 窯の底に石を敷き詰めるというイメージは、ボクが子供のころには見慣れたシーンでした。大通りにはリヤカーで売りにくる焼き芋屋さんが街灯の灯った電柱の下にいて、そのリヤカーの荷台そのものが焼き芋の窯になっていて、さて、窯の大きさはバスタブくらいはあったかな。中には小石がびっしり敷き詰められていて、窯の下は焚き口が開いていて、絶えず薪がくべられていましてね。「おじさん、お芋、ふたつ、ちょうだい」というと、小石をザクザクかき分けながら、焼き加減のいいホクホクの焼き芋を取り出してくれて、それを新聞紙で丁寧にくるんで「はいよ、熱いから気をつけるんだよ」と手渡してくれたものです。

 そんなイメージが眼底にゆらゆらと漂っていますから、バスタブは無理として、大きく規模を縮小してでも石焼きをやってみたかったんです。ところが、「石は焼くと危ない」という指導です。

 でも、でもです。石焼きへの思いは消し去りがたく、頭の中では焼き芋にふさわしい石はないものか、小石さえあれば、拾い集めて窯に敷き詰め、それこそがおいしい焼き芋への最終段階と思い込んでもいますから、どこへ出かけるにしろ、視界の隅で小石へのチェックは生きているんです。

 それでさる日、さる太平洋岸のさる海岸に出向いたおり、石焼きにぴったりの、丸くて強そうで、まるで囲碁の黒石のような品格さえ感じさせる粒ぞろいの小石の浜に降りる機会があり、ああ、ここでこの黒石たちを拾って帰らずして、いったい何をしにここまできたというのかと激しく自分を責めることになるなと直感。1キロだけ拾って帰ってきたのでした。その場所がどこかは公開できませんが、たしかに飯島さんに注意喚起されたとおり、試しに焼いてみましたら、音を立てて破砕しました。急激に火で炙ったのがいけなかったんですね。破砕しないように徐々に時間をかけて加熱すると、黒石が真っ赤になっても破砕することはありませんでした。

 この試行を経て、窯の底に黒石を敷き詰め、20分間、石と窯を弱火で加熱してからお芋を入れて、ここから20分間強火加熱し、いったん火を停め、並べたお芋の天地を返し、さらに20分間強火加熱。窯の蓋から焼き芋の魅惑的と言うか、蠱惑的なあのにおいが立ち上り始めたところで火を止め、そのまま30分放置。こうやってホンモノの石焼き芋が出来たのでした。

 ちなみに、使ったお芋は今年の6月16日にお芋3種を定植したうちの安納芋です。蒸かし芋だと抜群の美味しさを誇る「紅はるか」、干し芋として最高の品種と評判の高い「ほしキラリ」はまだ土の中です。

 石焼き芋の次はいよいよ宿願の干し芋の試作です。11月中旬には掘り上げ、1カ月間は寝かせた後、チャレンジすることにします。乞うご期待を!
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↑お芋の天地を返したところです。
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↑20分間、窯と石を焼いたところにお芋を並べた段階です。
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↑黒石を空焚きしたところです。黒石は灰色になっています。照明を当てないと中央部の黒石は赤色に焼けています。
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↑黒石を敷き詰めたところです。
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↑焼き芋専用の窯の内部と拾ってきた黒石。窯の中央部は穴があいていて、その穴を覆うように1ミリ厚の鉄板が置いてあります。
# by 2006awasaya | 2014-10-26 19:12 | 真剣!野良仕事