【真剣!野良仕事】[223=好々亭、緑化せり]

2014.9.28(日)
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↑2012年7月に立ち上げた創建当初の好々亭。屋根をかぶせただけの、むき出しの外観。
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↑鶴見さんの仕掛けた緑化好々亭を前に、大はしゃぎの長谷川でした。来年は我が家がグリーンの万次郎で覆われ、あ、あそこにもカボチャが、ここにも万次郎がと、騒がれる家に成っていたいものだ。

目指せ!カボチャハウス 
 坂本さんが言うんです。
 「いま、万次郎カボチャに関心を持っているのです」と。

 その理由として、1=1株で100個近い実を付ける超多産品種。2=実は長期保存が可能で、1カ月保存の場合、最高糖度24以上。3=1株で1反の広さを覆うこと。4=地力があれば、無肥料無農薬でok。5=1日に50センチ以上延びる成長力があること。

 そこで、さっそく坂本さんにねだってみました。
「お伺いの部。万次郎カボチャの記事、読ませていただきました。はたして、ベランダでの栽培は無理でしょうか。今年の夏、ベランダでの日よけ代わりにゴーヤをやったんですが、ゴーヤ栽培のようにネットを張って、そこに誘導するような具合で栽培出来れば、ぜひやってみたい。で、ここからお願いの部。万次郎カボチャを一つ、いただけますか。糖度チェックをしつつ、実生から栽培してみたい、と。いかがでしょうか」と。

 すると、打てば響くこのレスポンスの快音。
「万次郎かぼちゃですか。来年は1反で1株(雄株を加えて2株)の作付で どこまで全域をカバーすることができるか、試験してみようと思っています。そんなべらぼうな繁殖力を持っていますので、ベランダで栽培して家全体を覆い、船橋新名所『万次郎かぼちゃハウス!』、そんな夢が膨らんできます。その後、万次郎君は放し飼いのまま順調に育っております。10月になれば試供品をお渡しできると思いますので、 利用方法、レシピ等、ご検討いただければ有難く思います。万次郎は、収穫後1カ月、2カ月と長期間寝かせるほど糖度が上がり最終的に20度を超えるとのこと。ほんとかなあ?しかし開発者はそう言っているんです。お試しを!」と。

 以上のような会話をmailで交わした翌日、冬野菜のダイコンの種まきとキャベツと白菜の苗を定植しに久しぶりで畑に行ったところ、我らの東屋である『好々亭』がすっぽりと緑に覆われているではありませんか。
 畝を作ったり、種の確認ししていたりと、ぐずぐずしながら作業をしているうちにお昼になり、緑化された好々亭に面々が集まってきます。この東屋の建築実施者である阿部さんも井上さんも顔を見せています。
 さっそく阿部さんに確認しましたら、
「こんな素敵な企て、だれの発案でしょうかって? 鶴見さんですよ。季節季節で好々亭が表情を変えるなんて、いいじゃないですか」と。
 井上さんは、
「白いゴーヤーもここに成っていたりで、夏の強い日射しを防いでくれるだけじゃないのよ。一石二鳥の緑化なんですよ」と説明してくれているところに、当の鶴見さんが顔を出す。

「鶴見さん、緑化はいつ仕掛けたんです?」
『えーと、ゴールデンウイーク当たりだったんじゃないでしょうかね』
「実の成る蔓系を植えたんですね」
『ええ、もうじきハヤトウリが目につき始める頃です。こことか、あそことかに、ほらほら、小さな実をつけてるでしょ。グリーンカーテンを伝ってくる風は意外と涼しいんです。来年は何を植えましょうかね』
「ボク、ブドウとスイカがいいな」
『ブドウはいいと思いますが、スイカはどうでしょう』

 そんなこんなをおしゃべりしているところに幸三郎さんが梨を持って現れる。
「いやあ、好々亭に来るのって3年ぶりかなあ」なんて軽い冗句を前振りにして、「ピザ窯の件、了解しましたから、先に進めてください」ですって。
 そうなんです、ピザ窯をどんなスタイルで作るかを、ここ緑化して涼しい好々亭で議論していたんです。

 いろいろな議論を経て、少しずつ形を整え、気がついたら竹筋構造の好々亭が涼やかに緑化していたのと同様、気がついたら竹林にピザ窯が姿を現していて、竹林の薫風コンサートの魅力アップに一役買っていた!世の中、そういうものらしい。
 我が家も一年を掛けて「カボチャハウスに変身」と、少しずつ、少しずつ、万次郎ハウスへと変容していこう。

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↑船橋市役所に用事があって出かけたら、正面玄関前にクリーントンネルが。ちょうど警備員さんがいたので、いくつか確認の意味で立ち話。

長谷川 このグリーントンネルは今年初めての登場ですか。
警備員 ええ、そうだと思います。気持ちがいいですよね。
長谷川 白いウリのようなものが見えますが、あれはゴーヤーですか?
警備員 ええ、よくわかりましたね。あれ、苦くないんです。貰って食べたんですが、グリーンのゴーヤーより苦くない。
長谷川 ゴーヤー以外にも色々ありそうですが、来年はここから市役所の建物の正面玄関までこのトンネルを延伸して、再来年には市役所全体をグリーンで覆ってしまうと言うプランはいかがでしょうか。
警備員 さて、別に聞いていませんが、面白いかもしれませんね。
長谷川 ええ、ボクも似たようなプランを考えていたので、市と我が家と、どちらが先か。

 そんなことをおしゃべりしていたんです。
 船橋市もいよいよ本気になってきたようですよ、鶴見さん。 
# by 2006awasaya | 2014-09-29 00:58 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[222=買い将棋って知ってますか]

2014.9.14(日)

復活講座『買い将棋』
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↑船橋みらい大学でのイベントちらし表面です。
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↑船橋みらい大学でのイベントちらし裏面です。

 毎週金曜日午前中に受付ボランティアをしている「船橋北口みらい図書館」。ここは船橋駅からも近く、駅前の商業地区にあるものの、大きな通りからわずかに離れていることもあり、とても静かなんです。スペースは12畳ほどでしょうか。ぐるりに本棚。本に囲われて、とても気分のいい図書館なのです。
 情報ステーションでは、この北口図書館を「船橋みらい大学」として利用しているのです。

 船橋みらい大学の科目は多種で、例えば先月の科目メニューを紹介すると、
「地域×クラウドファンディング〜ネットで資金調達〜」
「健康を管理しよう〜自分のカラダと向き合う方法〜」
「図書館漂流〜流れ流れて図書館行脚〜」
「あなたの暮らしに使える再生可能エネルギー〜長いものに巻かれナイ!たのしあわせ研究所」

 それぞれ魅力的でしょ。

 9月・10月のメニューは、船橋みらい大学で検索していただければすぐに読めますから、該当ページを開いてください。
 その10月21日(火)に予定されている『買い将棋』にボク、多少関わりましたので、みなさま、お誘い合わせの上、ご参加くだされば嬉しい限りです。

 ほとんどの方がはじめて聞く名前の将棋だと思います。
 子供の頃に流行った『軍人将棋』とも、音を立てずに将棋の駒を取り合う『崩し将棋』とも、また『挟み将棋』とも違う将棋なのです。
 勝負の決着が鮮やかな将棋なのです。本将棋では、一手に30分とか1時間も考えたりして、巧い人同士が指すと、勝負がつくまでに軽く1時間はかかるものです。もともとが考えることを楽しむ本将棋ですから、時間がかかることを畏れたんでは話になりませんが、この買い将棋は一局10分弱で勝負がつきます。
 とはいえ、考えることなしに、直感で進めるのかと言うと、とんでもありません。考えるところではしっかりと考えないと、勝てないのです。
 相手の手の内を読みつつ、あざむき、意表をつき、鮮やかに勝ち名乗りを上げる。進行中のどこで、何について考えるのか、そここそがまさにこの買い将棋の魅力なのですが、ここでぺらぺらとおしゃべりしていても始まりません。10月21日(火)の19:00にいらしてください。
 お待ちしています。
# by 2006awasaya | 2014-09-14 13:34 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[221=今年も三陸へスイカを送ることが出来ました]

2014.8.6(水)
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↑この4名でスイカを収穫し、ダンボールに詰め、発送の手配をしました。それぞれ手に持つスイカは直径20センチクラス。お送りしたのは30センチ超クラスで、多分というか、自信を持って甘いスイカです。陸前高田の伊藤さん、今年も暑気払いに、このスイカを味わってください。この写真には姿を見せていませんが、そもそもの発起人であるT女史にかわって、飯島幸三郎さん、なにからなにまでお世話になり、ありがとうございました。

暑中見舞い!今年のスイカは甘いよ

 今年の4月初旬に40苗を定植。その後スイカの畝にトンネルを掛け、伸び始めた蔓を摘芯。5月に入るとトンネル内は小蔓孫蔓、どれがどれやら見分けもつかない混沌を呈し始め、中旬になると、混沌としたグリーンの葉と蔓の間にちらほら黄色いスイカの花が咲き始めたものの、雄花ばかりが先行。肝心の雌花は一向に開花しない不順の5月でした。
 授粉はお日様が昇り切らない9時前後に作業を完了しなくてはいけないので、いつもより早めに畑に出るのですが、
『困りましたねえ、雄花ばかりで、肝心の雌花が見つからない』

 そんなことをスイカ栽培チームのメンバー間で話し合っていましたが、トンネルの奥の方に一つ、こちらにも一つと、雄花に混じって雌花も咲き始めた5月24日(土)から、本格の授粉を開始しました。
 このあたりのことは【真剣!野良仕事】[218=スイカの授粉開始]でさらりと報告しましたので、ここではそれ以降のことを報告いたします。

 メンバー各人がそれぞれの都合で月曜日担当okとか、金曜日担当とかを決めて受粉作業をこなしていくんですが、ボクは火曜日授粉を担当。その担当日のこと。前の週に授粉した雌花が果たして順当に育っているかどうかを確かめねばなるまいと、トンネルを大きく開けて授粉済みの雌花を探していましたら、耳元でミツバチの羽音がブンブン。トンネルの中にはかなりの数が飛び交っています。

 朝早くから働くミツバチたちの様子をじっと見ていましたら、さすがですね、花粉をたくさんつけていそうな雄花には時間をかけて蜜を吸っているような感じです。下腹部にも足にも花粉をたくさんつけているミツバチがいたので、すぐ隣に咲く雌花に乗り移ってくれと、期待を籠めて見守っていると、なんと雌花とは反対方向に咲く雄花に移動。乗り換えたばかりのその雄花はまだまだ若く、花粉もほとんど出していません。どうせ花粉集めをするのなら、もう少し目的意識を明確にして作業をしてもらいたいものだと、恨み半分でそのミツバチを見つめていると、まるでこちらの視線を意識したような、さらにはその視線に籠めた恨みを読み取ったかのような表情で、ボクの方に向かって飛んでくるではありませんか。『ゴチャゴチャ言ってないで、仕事の邪魔をしないでよ。静かにしてられないんだったら、どっかに行けよ』と言っているような、硬い表情。そうかそうか、そちらの仕事は授粉ではなく、本来は花粉と蜜集めでしたよね。どうも、申し訳ない。この炎天下、ご苦労様。

 思えばいろいろのことがあって、やっと大玉のスイカを収穫までこぎ着けました。
 直径30センチ超のスイカは文句なく甘いと言うことも分かりました。20センチクラスはどうもぼんやりとした甘み。スイカははやり大きく成長したものが当たりなんですね。

 3.11で被災した三陸(陸前高田)の漁師さんに食べてもらおうと、スイカを作って今年で4回目の夏です。年々、栽培技術も向上して、「今年はまだ届かないなあ」と待ち望まれる品質目指して、これからも頑張ります。

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↑手前が雄花でそのすぐ左に咲くのが雌花です。雄花の雌蕊が成熟していないと、いくら形だけの授粉をしても巧くは行きません。果たして順当な授粉にこぎ着けたかどうかは、翌週になって、気持ち果実部分が大きくなったかなと目視するくらい。
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↑このミツバチが働き者で、何遍も何遍も成熟した花を選んでは花粉集めをしていました。それで、雄花ばかりを選んでいたので、思わずクレームを付けたところ、ムスッと硬い顔をして、ボクを諌めにきたのです。
# by 2006awasaya | 2014-08-07 19:49 | 真剣!野良仕事

BaliでPapa Jegogに会う!

2014.7.25(金)
BaliでPapa Jegogに会う!

 三男舜太が生まれる前ですから、もう20年以上前のことになりますでしょうか。妻の広子もボクも民族音楽が大好きで、なかでもインドネシアの音楽に無条件に惹かれる性癖があるようです。このバリ好き夫婦で行ってきたバリのジェゴグ報告です。
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↑巨大な竹の楽器に潜り込んで撮らせていただいた写真です。もの凄い迫力でした。
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↑憧れのPapa Jegog、Suwentraさんとの記念写真に舞い上がる広子でした。
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↑コンサート終了近く、メンバーが太鼓を打ち鳴らしながら雄叫びを上げているシーン。来日した折のコンサートでは目にしなかったリラックスした楽しさが表情に満ちあふれていました。

Suar Agungを知るまで

 今は亡き小泉文夫先生の『人はなぜ歌をうたうのか』(冬樹社)の中に、[ジャワのガムラン音楽の特徴]という見出しで整理された文章があり、一言でガムランを説明するのは難しいので、西洋音楽との対比でこんな説明しているくだりがあります。

「合奏の仕方に特徴があります。たとえばその中にとくに重要なところがあると、西洋音楽の場合だったら、その音は重要ですから、原則として大きな音を出します。たとえば、バッハの音楽などで、フーガにおけるテーマは非常に重要です。左手の小指を使って演奏しなくてはならないところにテーマが出てくると、そこのところをわざと強い音を出し、他の音を抑えながら演奏するという風に習っていますが、インドネシアのガムラン音楽では、重要な音は、重要だからこそ逆に、小さな音で演奏することが珍しくありません。
 それから、旋律の重要な骨組みになる音は、わざと遅れて出すこともします。他の楽器といっしょにポンと出すのでは目立ちませんから。ジャワの楽器はほとんど叩く楽器ですから、目立つためには変わった音で叩くか、ないしは遅れて叩くのです。そうすると、その音が非常に重要だということが分かるのです。」

 西洋音楽とインドネシアの音楽の考え方には、こんな基本的な差異があったんですね。
 そういうちょっとした違いに目がいくようになると、いよいよ音楽の面白みが湧いてくるものです。
 そのちょっとした違いが判る時期、1982年(昭和57年)に、バリから本格の舞踏団が来て、その公演を聞いたことが、ボクのはじめてのインドネシア体験だったような気がしています。

 「楽舞夢幻ダルマ・サンティ舞踊団公演」と、公演パンフレットに楽舞夢幻の文字が躍っています。1982年10月6日(水)の国立劇場小劇場でした。
 この来日の公演日程は10月5日が初日。翌6日の2日目を三宅坂で見た訳ですが、8-9日=ラフォーレ原宿、11日=宇都宮市文化会館、15日=滋賀会館、16日=神戸文化ホール中ホール、17日=京都会館第1ホール、20日=広島市青少年センター、22日=大分県立芸術会館、23日=武雄市文化会館、25日=鹿児島県文化会館、27日=那覇市民会館とつづき、西日本各都市を駆け巡り、急ぎ足でバリへと帰って行ったことが分かります。

 その後、バリからさまざまな舞踏団が毎年のようにやって来て、その大半は東京公演を開いてくれるので、必ず聞きに行ったものでした。

 東京公演があれば聞きに行きましたが、一度だけ、ウブドに近いタガス村のタガス・グヌンジャティ歌舞団の追っかけをやったことがありました。1990年(平成2年)の夏のことです。
 タガス・グヌンジャティ歌舞団の公演がライトアップされた東京タワーをバックに、芝の増上寺境内で行なわれ、その翌々日には深川のお寺の境内で催され、タガス・グヌンジャティはコンサートホールのような閉ざされた室内空間ではなく、お寺や神社の境内でのオープンエアーでの公演スタイルにこだわっていたように思います。その最終公演が和歌山県新宮市の渚の宮であり、当時はほんとうに暇だったのか、そこまで追っかけで聞きに行ったものでした。この渚の宮会場が写真などで見るbaliそっくりで、黒潮に乗ってやって来たミクロネシア人たちがこの熊野の渚に船を乗り捨てて、さあ、お腹も減ってはいるけど、まずは陽気にやろうよと言っているような、晴れやかな表情で演奏していたのが今でも印象に残っています。

 そして三男舜太が生まれる2年ほど前に、やっと現地バリに行き、本物の空気に触れることが出来たのでした。ウブドを中心に、タガスとかプリアタンとかギャニャールで開かれている音楽祭や夜の公演を巡り歩き、ケチャやガムランを聞いて回っている折、青銅製のガムラン楽器とは違った、竹の楽器によるグループ『Suar Agung(スアールアグン)』を知ったのでした。
 竹の太さ、長さの違いで小型から大型の竹管打楽器を14台配置して構成されているアンサンブル、この編成をジェゴグと呼んでいるのですが、実際には竹の直径が20〜30センチはある巨砲としか言いようのない重低音担当の楽器をJegogと言うんだそうです。この編成を2組、左右に配置し、右のチームが気持ち良さそうにメロディアスな旋律を奏でていると、それを邪魔するように左のチームが不協和音で妨害に入り、しかしながらその妨害に負けてなるものかと右のチームがいっそう激しく自分たちのメロディーを主張し、そうなるとなおさら、気持ちよく演奏するチームを妨害阻害せんものと、邪悪で不気味な音階で割って入り、邪悪を主張する。会場全体は演奏者、観客を含め混沌として、何がなんだか判らないような、一種名状しがたい混乱に包まれ、やがて混乱に耐えぬいたチームが勝ちという演奏会がジェゴグのコンサートなのです。音楽を演奏しながら勝ち負けを競うという、ごくふつうの音楽世界ではあり得ない、不思議な演奏会なのです。

 このジェゴグをバリのどこで聞いたのか、今では判然としませんが、その翌日、二人してサヌールやウブドの音楽ショップを覗いては、スアールアグンのカセットテープを探し求め、テープがあればすべてを買い求めました。当時はクレジットカードもなく、わずかな現金だけでのお買い物。バリのお土産はいっさい買えないまま、数十本のカセットテープだけを大切に抱えて帰ってきたような気がします。
 
 はじめてバリに行った数年間は、本当に幸せでした。毎年のようにSuar Agungが日本公演にきてくれていて、バリに行く必要がなかったからです。一番強烈に記憶に残っているのは1997年8月、佐渡・小木港背後にある城山公園で行なわれたアースセレブレーションでのことです。三男舜太がまだ4歳前後の、妙に堅太りしていた時期に聞きに行ったことです。レンタカーを両津で借り、小木の小さな旅館に泊まり、翌日、一面の芝生が広がる城山公園で、ジェゴグの恐ろしいまでの不協和音の渦をものともせずに、転がったり跳びはねる舜太。聴衆も踊り狂ったように五体を躍動させているものですから、特段、舜太が騒ごうが泣き叫ぼうが注意もされず、好きなように暴れられる至福を味わっていたようです。
 その翌年は山形の鶴岡で公演があると聞き、旅行手配をしたものの、仕事の都合で断念。翌年の1999年夏から、毎年のように来日。東京公演にはジェゴグを聞きに行き、その都度、Suar Agungのリーダー、Suwentraさんのさっそうとした指揮ぶりをほれぼれと客席から望遠。2008年、錦糸町駅北口にある墨田ポリフォニーホールでの東京公演を最後に、足が遠ざかってしまいました。天候に左右されない利点はあるものの、コンサートホールという閉ざされた室内空間で聞くジェゴグは、やはりちょっと違和感があるように思えてきて、Suar Agungの本拠地、バリ島の西部にあるヌガラという町に行って、実際の気温と湿度の中で、聞いて見たいと言う思いを肥大させていたのです。
 いつかはヌガラで生のジェゴグを聞いてみたい、行ってみたいと思い続け、その思いが叶ったのが今年でした。

Papa Jegog、Suwentraさんがいた!

 Suar Agungのリーダー、Suwentraさんは国内外の音楽雑誌にも紹介されている超有名なアーティストです。コンサートが始まる前にステージに立ち、曲目の紹介からジェゴグを構成する楽器の説明、ジェゴグの基本構造など、柔和な表情ときれいな日本語で説明をし、合掌しつつ深々と一礼し、くるりと客席に背を向けてステージ脇に引き上げて行くのですが、長髪を後頭にひっつめに結った大髻がふわりと揺れるシーンが何とも魅力的なのです。大きく弧を描くポニーテールの動きがコンサート開始を告げるミューズ神への合図なのかもしれません。
 ジャカルタで国内線に乗り換え、バリのングラ・ライ国際空港から出迎えてくれたガイドさんの車でウブドのホテルにチェックインし、荷物を部屋に置いてすぐ、ホテルの車で、Suar Agungのジェゴグコンサート参加者が集合するパノラマホテルまで送ってもらったのです。ですが、途中、交通渋滞が激しく、約束の時間午後3時30分には5分ほど遅れてしまいました。日本を発つ前に、今夜のコンサート参加者は10名と聞いていました。10名に満たないとコンサート自体が催行されません。ングラ・ライ国際空港に着いてすぐ、出迎えてくれたガイドさんに事情を説明し、電話で確認してもらったのです。すると、10名は集まらなかったものの、8名でも実施してくれるとのことで、喜び勇んで集合場所に急いだのでした。
 集合場所のパノラマホテルに着くと、玄関脇にどこかで見かけたような方がいるではありませんか。人違いかも判りませんが、でも、ステージの上でいつも笑顔を絶やさないSuwentraさんを見間違えることはありません。びくびくしながらも、『スアール・アグンのリーダーでいらっしゃる……』と、挨拶にもならない挨拶をすると、『ようこそ。お待ちしていました。スエントラです』と、カタカナを読むような発音で、見知らぬ日本人観光客の我々を出迎えてくれました。集合場所には案内のガイドさんかSuar Agungの若手スタッフが出迎えてくれると思い込んでいただけに、まさか、リーダーご自身が出迎えてくれていたとは。Suar Agungの魅力に魅せられて以来、年に一度はコンサート会場に足を運んできた我々です。そのリーダーのSuwentraさんご自身が出迎えてくれていたのです。すっかり舞い上がってしまいました。
 すぐにトヨタのランクルに乗せられ、約3時間半先のヌガラへと走り始めました。あとで地図でウブドからヌガラまで、直線距離で60km、じっさいに走った道路をトレースすると、100kmはある一般道を走りに走って、ヌガラを目指します。途中、ウブド市街を出たところで交通整理の信号がありましたが、信号で整理された交差点はその一カ所だけでした。でも、道を譲り合ってのマナーが感じられて、怖い思いはしませんでした。運転はSuar Agungのメンバーが、そして助手席には、我々が憧れてきたSuwentraさんが座り、まあ、さまざまな話題をおしゃべりしてくれて、まったく飽きる暇もなく、途中2回、トイレ休憩で車を止めた以外はずっと車を走らせ、陽が傾きかけた7時前にSuar Agungの活動の本拠地に着きました。

 車中、兼ねて聞いてみたかった事柄を尋ね、丁寧に返答していただき、コンサート以上の感動に浸る3時間30分でした。食べ物の話、天気の話、交通渋滞と道路事情の話、最近のバリ人気質の話、Suwentraさんご家族の話、イスラムとヒンドゥーの棲み分けの話、中国資本が入ってきている話、日本人観光客の穏やかで優しい振る舞いの話などなど。そのなかから、Suar Agungに関連する話だけをピックアップしてみますが、そのほんのサワリだけ。

Q いまのスアール・アグンと、10年前のスアール・アグンにちがいはありますか?
A スアール・アグンはアカデミックじゃないから、ユニバーシティに入らないと楽譜が読めない。新しい曲を作るのですが、団員は耳で覚えるため、1曲に3カ月の練習が必要。伝統的な曲ばかりだと若い人はあきてしまう。それでいつもいつも新しい曲のことを考えている。10年前のジェゴグのコンテストの頃から、地元では私は「パパ・ジェゴグ」と呼ばれている。私は好きなことだけしているから基本ハッピィだね。いつもニコニコしていられる。

Q バリにもたくさんの日本人プレーヤーが習いにきていると思いますが、バリ人プレーヤーと日本人プレーヤーではなにか違いはありますか?
A 私はバリ人、オランバリ。だからインナーパワーがある。日本人もガムランやジェゴグやダンスを習いにくる人、多い。日本人はすぐに覚えられて、テクニックはすごい。すごいけど、やはりバリ人の私たちのガムランやジェゴグとは違う。テクニックが巧ければいいと言うことではない。心の中にインナパワーがあるか、ないか。でも、私はサムライにはなれない。それと同じ。

Q いまスウェントラさんが抱えている音楽上の悩みはありますか?
A 一番太い竹がヌガラにはない。島の中央、山の奥の方に行かないと太い竹が見つからない。その一番太い竹をたたく専用のハンマーはゴムで出来た丸い小石のようなハンマー。昔はゴムの木を切って樹液を太陽にかざし、まる1日乾かして作りました。いまもそうやって作っています。一番前の楽器をたたくのは、古いタイヤを再利用したものを使っている。木のハンマーは、乗ってくると興奮のあまり激しくたたいて割れてしまう。ゴムは割れたりしない。

Q 日本公演は楽しいでしょうか?
A 若い人に、私たちが作り上げてきた音楽を託さないといけない、ということを私は坂東玉三郎さんに教えてもらった。新潟県佐渡で開催されているアースセレブレーションで、鬼太鼓座の舞台監督をしていたのが玉三郎さん。いろいろ教えてもらいました。いい人、真面目な人の元に神様は降りて来る。

 夕刻7時30分にSuar Agungの活動本拠地に着きました。Suwentraさんの住まいでした。とても広い敷地奥の芝地に、大小14台のBamboo Xylophone Ensembleが並べられ、ランプと篝火の明かりが入り、それからの約2時間、大波にもまれ、うねりに身を任せるジェゴグ時間が始まったのですが、妖しいまでのこの数刻の印象はまた別の機会に報告することにします。

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↑帰宅して、レコードやCDを整理していましたら、20年前にバリで求めてきたカセットテープが出てきました。写真左は1988年、地元ヌガラでの録音。中は1991年、FESTIVALでの録音。右は未だ若きSuwentraさんの顔写真を使ったパッケージ。これらのカセットテープは、デッキを処分してしまったので聞けませんが、その後発売になったCDに再録音されて発売されています。ただし、ビクターから発売されたCD「ジェゴグ/大地の響き」が重低音を大切にした名盤CDで、その後、あれほど買い集めたカセットテープはほとんど聞かなくなってしまいました。
# by 2006awasaya | 2014-07-25 16:52 | 行ってきました報告

【真剣!野良仕事】[220=お芋三種を定植した訳]

2014.7.24(木)

お芋三種を定植した訳
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↑6月16日に定植した時のお芋三種の畝です。左から右に「紅はるか」「宮下さんの安納イモ」「ほしキラリ」。

 小松菜とかホウレンソウなどの葉もの野菜は、種を播き発芽してからが結構な手間がかかるので、週一程度の見回りではなかなか立派にしっかりと育ってくれないものです。出来上がりを見て、「ああ、おいしそうな」という評価をいただくには、それなりの丹精が必要なのです。葉もの野菜って本当に難しいんです。
 好きな自転車で湾岸道路を走っていたら、橋の欄干に左手をこすってしまい、その場ではグローブをしていたので何ということはなかったけど、帰宅後、風呂から上がって見てみたら、赤く腫れていたりする。そうか、それで今朝は左手が痛いのかとか、昨夜は録画しておいた海外ドキュメントを集中して見てしまい、それで目がスカスカするんだとか、前日前夜の負荷が朝までに解消されないことが多く、そんなこんなを理由に、ぐずぐずと畑に出かけずじまい。さまざまの場面で歳を感じさせる今日この頃なのです。
 それゆえに、植えたら基本的には草取りだけを丹念にすれば結構な収穫が期待できるネギとか、いも類とかに最近は偏ってきています。ちょっと前だったら、そうした面倒そのものが楽しくて、収穫時期を迎える喜びも空想しながら額の汗を拭ったものですが、歳を重ねてくると、フットワークも悪くなり、手を惜しまずに作業をすることが出来なくなっているのです。その割には欲ブカ。実に嫌な人格になってきている。そういった高齢者の「費用対効果」、つまりは少ない労働に対しても、しっかりした収穫が期待できる作物の開発が種苗メーカーではなされていたんでしょうね。種苗メーカーから送られてくる野菜のカタログを見ていると、「手間いらず」「病気に強い」「失敗知らず」なんてキャッチコピーが増えているように思います。


 うーん、それでこんなフレーズに、この春、惹かれてしまったのです。

【ほしキラリイモ】
 干しいもの代表品種「タマユタカ」を超える美しさ! 淡黄色の美しい肉食で、干しいもの一部が白く硬化するシロタの発生がほとんどなく、干しいもにした時の見た目がキレイで、蒸す時のデンプンの糖化が進みやすいので、甘い干しいもが出来やすい。サツマイモネコブセンチュウ、つる割病に抵抗性を持っています。


 そうなんです。妻が干し芋大好きで、しかも値段が高いのでなかなか買えないなんて愚痴がボクのココロに根を下ろしたまま、もう何年も経つのですが、いつかはお金のことを気にすることなく、存分に干し芋を食べさせてやりたいとの思いから、干し芋の一大産地の茨城県土浦あたりまで車を走らせて求めてきた干し芋専用品種「イズミ13号」のイモヅルでチャレンジを重ねているのですが、毎年ネコブセンチュウにやられ、なかなかに見た目にも素敵な干し芋が出来ませんでした。そうした苦い思いもあって、このフレーズに跳び付いてしまったのです。

【宮下さんの安納イモ】
 ブランド品種としてすっかり定着した、種子島が誇る極甘さつまいも! 焼くと蜜があふれ出すほどに甘みたっぷりで、スイートポテトみたいにねっとり甘ーい。


 安納イモも、洋菓子のスイートポテトのようで、もう嫌だ、もう食べきれない、見るのも嫌だと言うほど食べてみたいお芋だったのです。その安納イモのスペシャリストが作った安納イモを作って食べてみたい。ああ、美味いだろうな。

【紅はるかイモ】
 甘味が強くて風味良く、蒸かしいもにすると、とっても甘~い、しかも貯蔵性に優れ、2カ月以上貯蔵したイモは、蒸かしいもにしても焼きいもにしても絶品の甘さ!!食品カタログでも人気の『甘太くん』や『蜜衛門』などは、ある特定の地域で栽培されていたり、特殊な貯蔵方法で寝かせた『べにはるか』のこと。人気のブランド芋は、実はこの品種。サツマイモネコブセンチュウに対して抵抗性を持ち、育てやすいのも魅力。味・外観・収量ともに「高系14号」を上回る逸品なのです!!

 
 どうです、この説得力のあるフレーズ群。今年の始め、年間でどんな野菜を作ろうかというぼんやりとしたラインナップを、カタログを見ながら頭の中の畑の畝に定植していたのです。とにかく、あこがれのお芋を三種類、ネットで注文し、6月中旬、郵送されてきましたので、6月16日(月)に定植してきました。
 それから2週間後の7月6日(日)、もうしっかりと根も下ろしてきたので、土寄せをしておきました。あと1カ月もすれば、葉を茂らせた畝になっていると思います。ああ、収穫の秋が待ち遠しい! 果たして妻は喜んでくれるでしょうか。満腹のお腹をさすりながら、もう見るのも嫌って顔をしてくれるでしょうか。ああ、待ち遠しい。
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↑7月6日に土寄せをしたお芋三種の畝です。同じ環境に植えても、成長具合に結構な差異が出るものですね。ふつうは畝にマルチシートを敷いてあげるのですが、暑い夏を迎え、地温が上がりすぎることを考えると、このようにむき出しにしてもいいのかなと。周囲の仲間たちは必ずマルチシートで覆っていますが、別にマルチをしなくても立派に育つことを確認したくて、こうしました。

# by 2006awasaya | 2014-07-24 14:43 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[219=「Jazz in 竹林」報告]

2014.6.3(火)
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↑[2014.6.1 10:07] Bridge Ship Jazz Bandの面々が練習開始。ふだんは室内で練習しているので、こうした戸外での音の響きがどんなものか、そのあたりを探っているのでしょう。相当入念な練習ぶりでした。約2時間近く、本日の曲目すべてをおさらいしていました。ボクは生ビールの手配をしたり、蚊取り線香に着火して竹林各所に設置したり、駐車指示をしたりしながら、練習とはいえ、厚みのあるビッグバンドの音量に包まれていました。
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↑[2014.6.1 12:53] 開演間近で、お客様も席につき始めました。Bridge Ship Jazz Bandメンバーの「クラシックのコンサートじゃないんだから、軽くいっぱい飲みながら気軽な気分で聞いていただきたい」との要望もあり、それではということで「演奏を聴きながらビールを傾けて多いに楽しんでください」とアピール。この趣旨を深く汲み取っていただいた農園メンバーの阿部さん、金子さん、井上さんは、すでにして開演前にいいお顔。いいもんですね、昼日中のほろ酔い姿。
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↑[2014.6.1 13:23] 竹の葉が深く厚く積もっていて、フカフカの竹林です。ここに演奏者にはパイプ椅子に座ってもらい、三脚の譜面台を置いてもらいましたので、相当不安定な姿勢です。微妙にゆらゆら揺れて定まらない姿勢制御に気をとられ、演奏に集中出来にくかったと思います。誠に申し訳なく、お疲れさまでした。それでもとってもステキな演奏でした。
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↑[2014.6.1 13:33] 客席側から見た竹林会場。
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↑[2014.6.1 13:40] バンドメンバー側から見た竹林会場。
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↑[2014.6.1 13:47] 第一部の最後に、船橋在住のジャズボーカリスト・河村留理子さんが登場。まったくのサプライズでした。『On the Sunny Side of the Street』と 『All of Me』でした。ありがとうございました。手前でカメラを構えているのが安藤信作さんで、留理子さんの旦那さまです。

2015の薫風コンサートに向けて

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↑[2014.6.1 15:27] Bridge Ship Jazz Bandのバンドメンバーも合流しての海鮮バーベキュー。もともとは三陸支援の海鮮バーベキューでしたが、バンドメンバーの方がマグロのカマとホタテを大量に差し入れてくれて、ボクらが予定していた以上の充実した海鮮バーベキューとなりました。料理を担当してくれた女性陣の川口さん、阿部さん、曽根さん、篠塚さん、東海林さん、大村さん、鶴見さん、大槻さん、また、男性陣の阿部さん、小林(靖)さん、大村さん、井上さん、金子さん、臼井さん、鶴見さん、山口さん、尾上さん、飯島さん、ありがとうございました。来年もまた、このように楽しい薫風コンサートが実現できるよう、がんばりましょう。関係各位、お疲れさまでした。


 昼日中から生ビールをいただき、快い音楽が間近でしかも生で聞けて、おしゃべり好きな同好の友がいて、竹林を渡り来る風がさわやかだったら、こんな極上の時間はそうそう滅多に流れてくるものじゃありません。

長谷川 阿部さん、個人的なことを聞きますが、天皇陛下が主催する園遊会に呼ばれたこと、あります?
阿 部 え? オリンピック選手や超有名人がずらりと並んでいる前に、天皇陛下が一人一人に話しかけるあの園遊会のこと?長谷川さん、呼ばれたことがあるの?
長谷川 いえいえ、とんでもないです。滅相もありません。お門違いってものです。でも、ボク、昭和天皇の時代からあの雰囲気が好きでして。テレビで報道されるあのシーンを見ているだけで、表情が和らいでいるんです。それくらい、好もしく思っているんです。
阿 部 で、その園遊会がどうしました?
長谷川 あはは、今日の竹林コンサートとこのバーベキューの雰囲気があの園遊会に似ているんじゃないかと、ふと、そう思いましてね。天皇陛下が会場から去り、残された選ばれし人がたが逆上に似た上気を表情に残しつつ、誰彼となくおしゃべりを交わす。そんなふうにして園遊会は終えていくんじゃないかと空想しているんですが、今日の薫風コンサートがその部分で似ているんじゃないかと。
阿 部 なるほど。そういう雰囲気はありますね。
長谷川 阿部さんがこしらえた竹林のバーベンチ、あれはビールを飲みながら体を預けるにはちょうどいい按配でしたし、三陸支援の竹製募金箱も阿部さん作だし、いろいろの貢献、ありがとうございました。
阿 部 いえいえ貢献だなんて。でもよかったですね。この雰囲気。
長谷川 もう一杯、いかがです。
阿 部 生は旨いからねえ。生ジャズもいいねえ。来年もお願いできたらいいね。
長谷川 ええ、大半の人がそうおっしゃっています。飯島さんにも尾上さんにも強力にプッシュしておきましょう。

 そんなこんなのおしゃべりが竹林各所で渦巻いていて、軽い目眩いを眉根のあたりに漂わせつつ、なんとも名状しがたいステキな気分で「Jazz in 竹林」は終了したのでした。
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↑[2014.6.1 15:30] やんごとなきありがたき人が去り、奇妙な開放感に身を任せつつ、酩酊を加速する人、海鮮をどん欲に追求する人、音楽談義に埋没する人、さまざまな渦を発生させるところこそが、園遊会にも似た好もしい在りようでした。

*[13:33] [13:40] [15:27] [15:30]の写真は大村和夫さん提供です。長谷川は酩酊していて、コンサート第一部で千鳥足でした。
# by 2006awasaya | 2014-06-04 12:31 | 真剣!野良仕事

花見川遡上サイクリング

2014.5.30(金)
花見川遡上
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↑東京湾岸の幕張から花見川を遡上してきました。印旛沼まで。まったくこれでは鮭ですね。道中で一番気持ちよかったのがここ、花島橋から弁天橋にかけてのこのエリアです。
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↑花島橋から弁天橋にかけて未舗装のロードを走る勝さん。
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↑花島橋から弁天橋にかけて未舗装のロードを走る長谷川です。
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↑印旛沼のほとりにある佐倉市のオランダ風車にて。

 自宅から自転車で湾岸道路に出て、千葉方面へ。ららぽーと、マリンスタジアム、メッセを横目でチラ見しつつ、大型車もバンバン走るので、絶えず正面を向いて慎重にペダルを30分もこぐと、花見川に架かる橋を渡ることになります。この橋を渡った先の海側にサイクリングセンターがあり、花見川サイクリングロードが川筋にそって設定されているのです。
サイクリングの先輩である勝さんから「気持ちのいい極上のサイクリングができる道ですから、近いうちに走りにいきましょう」とかねてよりお誘いをいただいていて、二人の空き時間がちょうど重なった5月25日(月)にこのコースを走ってきたのです。

  いやあ、実走してみて驚きました。写真を貼付しますので、爽快を同感してください。

 それ以上にただ今現在、感激しているのが荒木稔さんという方のブログに到達したことです。
 誘われるままに花見川を遡上し、印旛沼まで走りに走り、予想外の逆風に逆らいつつも到達できたことも嬉しい限りですが、この荒木さんのブログを知ることができ、興奮しています。

 利根川東遷とか、利根川の氾濫対策として印旛沼の水を新川・花見川を経由して東京湾に流すプランが江戸時代の享保・天明・天保に企画実施され、その度に失敗を重ねつつ、明治・大正・昭和にこの壮大な事業は引き継がれ、ようよう、昭和41年に酒直機場・大和田排水機場が竣工して「悲願」が達成された訳ですが、これらの歴史的事業を知ったのは快適サイクリングから帰ってきて翌々日、写真を整理しつつ、花見川の歴史を調べはじめてのことでした。
 調べはじめると、やはり面白いですね。書籍では「印旛沼ものがたり」「印旛沼掘割物語」「江戸時代の土木技術」などが館内閲覧書として船橋中央図書館にあることが確認できましたので、いずれ近いうちに読みにいくとして、花見川開鑿工事を幕府が5つの藩に押し付けたことの記録はないものかと、ネットで調べていたのです。
 それで先ほどの荒木さんのブログに到達したという訳です。世の中には「公開する」ということに大きな価値をおいている方がいるんですね。誰でも自由に、しかも無料でこうした知の集積にコンタクトできるということに第一義をおく方がいらっしゃる。
「花見川流域を歩く」http://hanamigawa2011.blogspot.jp/2014/04/blog-post_4.htmlという表題のブログですが、最近、こんなに優れたブログにお目にかからなかったので、余計に感動しています。地勢学に興味のある方はぜひ閲覧してみてください。
# by 2006awasaya | 2014-05-30 18:19 | 行ってきました報告

【真剣!野良仕事】[218=スイカの授粉開始]

2014.5.29(木)
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↑西瓜の雄花です。直径15mmくらいの小なさ花です。
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↑西瓜の雌花です。スケールモデルのように小さな西瓜が花びらのすぐ下に見えますね。産毛に包まれて、もう一端の西瓜の形をしています。花の直径は10mmでした。

西瓜の雄花と雌花

 季節は巡り巡って、もう半月もすると梅雨。ですから、その前にスイカの花で露払いをしておきましょう。4月初旬に定植したスイカは、ほぼ2カ月を経た5月下旬、ビニールのトンネルの中でチラホラと咲き始めています。かなり小さなこの花を見ていると、鮮やかな明るい黄色が網膜に残り、心から癒されますね。
 カボチャもキュウリもメロンもズッキーニも、みな同属ですから、ほぼ同じように明るい黄色の花ですが、改めて『色の手帖』でこのスイカの花の色の名前を調べたところ、雄花はカナリヤ色、雌花はレモン色が近いようでした。色を形容する言葉はなかなか実態を形容しておらず、各人の記憶に蓄えられているイメージの鮮度にも左右されるので、雄花がレモン色で雌花がカナリア色と感じる方もいるでしょうし、感じ方の幅が実に幅広いのが面白いなあと、今年もそんなことを考えながら授粉作業をしていました。
 ところで、トンネル内に咲く西瓜の株数40のうち、雄花が20花、雌花が5花くらいで、全くの不釣り合いでした。こんなに雌雄で数に差があると自然授粉はほとんど不能で、それゆえ人工授粉が当たり前なのですね。

秋海棠西瓜の色に咲きにけり

 初物好きで、食いしん坊な芭蕉だけに、西瓜と言えばみずみずしい水果のイメージしかなかったのでしょうね。ピンク色の秋海棠(しゅうかいどう)の花を見て西瓜を真っ先に空想した芭蕉ですが、可憐なレモンイエローの西瓜の花を身近に何遍も見ていれば、レモンイエローに輝く別の句を残してくれたはずです。芭蕉没後7回忌にあたる元禄14年に成立した支考編『東西夜話』にこの句が収められていて、それによると芭蕉最後の年の元禄7年に詠まれたとあります。全国を行脚した芭蕉でも、所詮は農家出身ではないので、花までは知らなかったに違いありません。ああ、誠に残念です。
# by 2006awasaya | 2014-05-29 23:12 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[217=Jazz in 竹林]

2014.5.11(日)
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↑飯島農園の好々亭にて。出来上がったばかりのポスターを手にする畑のメンバー。写真後列左から小林さん、尾上さん、井上さん、前列中央が大村さん、篠崎さん。

竹林で待ってますよ

 飯島農園の初夏の定例行事「薫風コンサート」。今年の内容が決まりましたので、お知らせいたします。なんと、今年は「Jazz」なんです。竹林でジャズ。ミスマッチぽくって、いい感じでしょ。東洋の器にもられたアメリカンスイング。昨年の薫風コンサートでは津軽三味線と篠笛でしたから、余計にそう考えるメンバーも多くいる一方、サックス一本のシンプルで鋭角的なジャズを夢想したメンバーもいて、25名からなるビッグバンドが竹林に来るってわかった時点で、「竹林に案外、似合うかも」という総意になり、竹林会場に下見にきていただき、細目も決まってきて、それらをもとにポスターを作りました。
 畑のメンバーが集う好々亭に、出来上がったポスターをもって立ち寄ると、ちょうどメンバーが多数寛いでいて、「長谷川さん、そのポスターを持ってあげるから写真に撮っておこうよ」ということになり、この素敵な写真となった次第です。大判のプリントをいつもいつも引き受けてくれているTさんに、改めてお礼申し上げます。

【第7回薫風コンサート】

出演 Bridge Ship Jazz Band

曲目 ・Moonlight Serenade(ムーンライト セレナーデ)
   ・Little Brown Jug(茶色の小瓶)
   ・Sesame Street(セサミストリート)
   ・やさしさに包まれたなら
・Sing Sing Sing(シング・シング・シング)など

日時 6月1日(日) 開場 12:30 / 開演 13:00 / 終演 14:00予定

*雨天中止です。前日の5月31日(土)18:00に天候判断し、開催か中止かを下記ホームページにアップします。なお、電話による薫風コンサート開催か中止かのお問い合わせは、6月1日(日)9:30〜12:00、産直の店「味菜畑」(☎ 047−456−2750)にてお受けいたします。

入場 無料

会場 飯島農園竹林 レジャーシートをご持参のうえ、バスを利用して、お越しください。

以下にポスターの表面と裏面を添付しておきます。蛇足ですが、重要な情報を一つ。
当日、会場では生ビールを飲みながら楽しんでいただけます。
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# by 2006awasaya | 2014-05-11 11:14 | 真剣!野良仕事

釜山でうろうろ부산에서 어슬렁어슬렁

2014.3.15(土)
釜山でうろうろ
부산에서 어슬렁어슬렁

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↑国立金海博物館に近い古墳公園にて。このあたりが狗邪韓国、あるいは現代韓国では金官加羅と呼ばれる王族集団の中心地だったとか。

■凡一から国立金海博物館へ

 釜山(부산=プサン)に行ってきました。
 かねてから訪ねて見たい博物館がありましてね。
 国立金海博物館(국립김해박물관=クン二ップキメパンムルガン)と言うのです。釜山市西隣の金海市(김해시=キメシ)にあります。釜山市もここ数年の地下鉄路線網整備が進み、釜山の中心街から何回か乗り継ぐと約1時間弱で行けることがネット上でも確認でき、それで、この博物館に行ってみたいという思いがますます高まっていたのです。
 去年になってから、より詳しい情報を得ようと、国立金海博物館のホームページ(http://gimhae.museum.go.kr/)を覗くと、2013年4月から館内展示方法を全面的に改装するとかで、その工事に9月間かかると書かれていました。指を折ると昨年末か遅くても今年の年始早々には完了しているはずで、2月に入ったら行く準備を始めればいいかと、楽しみを先延ばしにしていたのです。
 ところが、楽しみは唐突にやってくるものですね。大学生になった息子の休みともちょうど重なったものですから、この2月下旬、便利な荷物持ちとして釜山に連れて行くことにしたのです。
 金海国際空港(김해국제공항=キメクッチェコンファン)から釜山市内のホテルに荷物を置き、一息入れてから夕食を兼ねて、地下鉄で西面(서면=ソミョン)へ。ホテルは地下鉄1号線の凡一駅(범일역=ポミルヨク)から歩いて5分と交通至便な位置にあり、凡一駅から西面駅までは2駅分の距離です。この西面という街は東京でいう新宿歌舞伎町のような繁華街で、ボクが行きたかった書店、教保文庫(교보문고=キョボムンゴ)釜山店も西面駅から歩いて10分ほどのところにあります。この書店はソウルのビジネス街・鐘路(종로=チョンノ)にもある全国展開の大型書店で、ここで釜山市域の地図、韓国全土の道路地図、それに韓国語の勉強を兼ねて料理ブックを購入しようと、レジで聞くと、かなり広い店内の奥の奥のほうを指さします。天井からは各ジャンルを示す案内プレートが下がっていますから、すぐに分かります。幸いなことに「料理(요리=ヨリ)」と「地図(지도=チド)」が同じところに並んでいました。料理のコーナーは日本と同様、健康指向が強く、食べてきれいになるとか、野菜中心のメニューで健康になろうとか、さまざまな企画本が平台に並び、どれも買って帰りたかったのですが、地図2冊だけでも大変な重さで、仕方なく、料理関連の本は1冊だけということにしました。お粥の本も清潔そうなレイアウトで、とても惹かれたのですが、地図帳よりも大型の本でしかも重い。その隣りにあった365種類のサラダの本にしました。レイアウトがきれいで、しかも全365ページで構成されているB5サイズの大型本、『365샐러드(サムベックユックシムオーセルロドゥ)』を15,800원で求め、腹を空かせた息子のために焼き肉屋さんへ。それにしても、まあ、なんてよく食うのでしょうか。

 釜山の地下鉄はホーム側にも転落防止シャッターがあるので、混雑していても線路に落ちることがなく、とても安心ですし、地下鉄の車内アナウンスも韓国語、日本語、英語の順で放送され、車内掲示用モニターも、東京の山手線車内のドア上モニターより大きなモニターがドア上ではなく、車内中央の天井近くにあるので、このモニターをちらちらと見ながら到着駅名をチェック。安心して移動できます。

 さて、西面でウナギとカルビを思いっきり食べた翌朝、近くのコンビニで購入したオニギリ(1個80円位)の朝食を済ませ、国立金海博物館へ急ぎました。地下鉄1号線で凡一駅から蓮山(연산=ヨンサン)駅へ。蓮山駅で3号線に乗り換え、大渚(대저=テジョ)駅へ。ここで再び軽鉄道線に乗り換え、博物館(박물관=パンムルガン)駅で下車。この軽鉄道線というのはほとんどが高架の鉄道で、眺めがとてもいいのです。地下鉄の駅構内も似たような造りになっていて、本を読むか、息子とおしゃべりをするか、このどちらかの選択しかないので、正直なところ、あまり面白い時間とはいえません。座席が空いて座っても、うっかり寝込んでしまったら、途端に「今はどこ、私はだれ」状態の迷子になってしまいます。
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↑博物館駅で降り、見下ろす階段の先、支柱におばさんが座っていました。このおばさんに博物館への道を聞いたのです。

 凡一駅から乗り換えを2回して、1時間で博物館駅に到着。
 ホームから階段を下り、国立金海博物館へ向かいますが、場所がいまひとつよく分かりません。
 高架線はふつうのマンションの5階くらいの高さを走っていますので、地上に下りると、どっちが北か方角がチンプンカンプン。階段を下りた正面に高架線を支える円柱があり、その根元にうずくまるように腰を下ろしているおばあさんがいましたので、博物館の場所を聞いてみました。
「もしもし(여보세요=ヨボセヨ)。私、日本人です(저는 일본사람이에요=チョヌン イルボンサラミエヨ)。博物館に行きたいのです(박물관으로 가고 싶어요=パンムルガヌロ カゴシポヨ)。博物館はどこですか?(박물관은 어디이에요?=パンムルガヌン オディエヨ)」
 たどたどしくこのように問い掛けましたが、知らん顔をされてしまいました。
 やはりまだ、ボクの発音には問題があるのでしょう。あるいはボクのモノの尋ね方が上から目線だったからかもしれません。立ったままで突然「もしもし」ですから、礼儀を知らぬ無礼なヤツと思ったのかもしれません。
 腰をかがめて、同じ目線でもう一度きちんと挨拶をしてみました。きちんとしているかどうか、それはかなり怪しいのですが、ボクとしてはきちんと。
「こんにちは(안녕하세요=アンニョンハセヨ)、国立金海博物館はどちらにありますか(국립김해박물관은 어디에 있습니까?=クンニップ キメパンムルガヌン オディエ イッスムニッカ)。教えてください(가르쳐 주세요=カルチョ チュセヨ)」。
 するとまあ、「おやまあ、どうなさった?」といった軽い驚きの顔を浮かべてのち、手袋を脱いで人さし指で指し示してくれるではありませんか。確かに通じていたのですね。その指先の方角を見ると、写真で見たことのある煉瓦積みの四角い建物が、川の向かいの奥のほうに見えました。
「ありがとうございました(감사합니다=カムサハムニダ)。さよなら(안녕히 계세요=アンニョンイ ゲセヨ)」
 お礼を言い、河原に飛び石で置いてある石伝いに川を渡り、対岸へ。ああ、もうすぐ金海博物館です。うきうき。

■国立金海博物館から東莱へ

 舗道といい、車道といい、清掃がきれいになされています。舗道はカラータイルで、船橋でも住宅街や商店街にある吸水性のいいカラータイルでした。しばらく進むと、金海中学校があり、中学校の塀が切れ、その次が国立金海博物館の垣根が現われ、再び途切れ、付帯施設の通用門。この門から敷地内へ入っていけそうです。建物の正面に卵形の碑があります。うーん、このモニュメントは伽倻の建国神話に出てくる卵生神話の象徴なのかしら。首露王(수로왕=スロワン)が金の卵から生まれたことを表現しているんだろうな。卵の表面に「가야누리」と刻まれています。「カヤヌリ」と読めますが、「가야=カヤ」は文字通り「伽倻」でしょうね。「누리=ヌリ」は辞書を引くと「世の中」とありますから、「伽倻の世界」あるいは「伽倻の代」かな。辞書を持参してきてよかった。それにしてもこの書体はボクが大好きな書家さん、故・榊莫山先生のタッチそのものなんです。金海市にも、なんとも素晴しい書家さんがいるんですね。なんだかワクワクしてきました。
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↑どうです、いい書体でしょ。榊莫山先生の書にそっくりでしょ。

 ところで、本題の伽倻についてです。
 日本では『三国志』魏志倭人伝に紹介されている国名・狗邪韓国が一般的なようです。
 魏志倭人伝では「郡より倭に至るには、海岸に循(したが)いて水行し韓国を歴(ふ)るに、乍(たちま)ち南し、乍(たちま)ち東し、その北岸、狗邪韓国に到る、七千余里」とあるように、帯方郡から韓半島を海岸線に沿ってたちまち東し、たちまち南し、狗邪韓国に到着。ここまで帯方郡から7000里。ここから先は海を渡って対馬に、壱岐にと飛び石を伝うようにして北九州へとコースをとった一行ですが、その渡海地点がこの狗邪韓国、すなわち伽倻なのでしょう(現代韓国では駕洛、金官加羅という日本語標記がガイドブックでも、日本語訳された韓国語のホームページでも多いようです)。
 韓半島を高句麗(고구려=コグリョ)、新羅(신라=シルラ)、百済(백제=ペクチェ)で三分し、韓半島最長の長江、洛東江(낙동강=ナクドンガン)下流域のわずかなスペースが伽倻に当たるエリアです。

「物部はいやな(587)やつだと蘇我氏いい」。

 日本史の年代を記憶する語呂合わせで、ボクは587年、物部氏滅亡と覚えたのでしたが、その滅亡に到る60年前に、伽倻からの救援要請を磐井に依頼し、拒絶されたところから勃発した「磐井戦争」が527年。このあたりの年代は、一度覚えると、なかなか忘れるものではありません。磐井戦争当時から韓半島では騒然としていたのでしょう。ついに新羅に侵攻されて、西暦562年に滅亡した伽倻国ですが、いま、そのほぼ中央に、ボクは立っている訳です。
 ここ伽倻の首露王陵がある位置は、関西エリアに置き換えると、大和川の河口から内陸へ遡って藤井寺か羽曳野あたりに該当するのではないでしょうか。背後に急峻な山を背負い、南は洛東江が作り出したデルタ。鉄器と海洋進出で栄えた伽倻の都です。卵形の碑を背景に、記念写真も撮りました。もうすぐそこが伽倻についての新規発掘展示をする博物館本館です。なんだかいよいよ本気でドキドキしてきました。
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↑国立金海博物館のシンボルモニュメントがすぐ近くに見えています。
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↑赤いカーテンで覆われているあたりが正面入口です。

 それにしても、今日が平日ということもありますが、見学者がほとんど見当たりません。そのかわり、静かな環境で館内見学できるのです。館内でいろいろ写真をとることになるでしょうから、受け付けで「写真を撮ってもいいですか?」の韓国語、「사진을 찍어도 돼요?=サジヌル チゴドテヨ」と、口からすらすらと出てくるように、何遍も何遍も繰り返し呟いていたのです。

「サジヌル チゴドテヨ」

 すぐ左手を見ると、駅を下りてすぐにあのおばあさんに教えてもらった方角に見えた煉瓦の塔のモニュメントが間近に見えます。「국립김해박물관」(国立金海博物館)と縦組みで書かれています。その背後に茶褐色で低層の建物も見えます。さらにその背後には荒い岩肌を見せる山岳が見え隠れしています。

「写真を撮ってもいいですか」

 再び正門まで移動し、館内略図と建物配置図を見直しました。配置図によると、目の前の幅の広い階段は館内見学を終え、下りてくる出口部分で、館内への正面入口はこの幅の広い階段左手の奥にあるはずなのですが、今は赤いシートで覆われています。それにしても人影がありません。

「사진을 찍어도 돼요?」

 赤いシートをめくり上げて内部を覗くと、何やら工事中。一部は足場が組まれていて、展示という雰囲気はどこにもありません。
 まさしく工事現場。しかも、ここにも人影がありません。仕方なく出口の階段を上がり、奥へと進みましたら、書類を抱えた少しばかり肥った女性がいましたので、「こんにちは(안녕하세요=アンニョンハセヨ)」と、元気よく挨拶をしたら、「日本語、大丈夫ですよ」と、ボクの挨拶言葉を聞いただけで日本人とわかったのでしょう、そんな優しい対応をしてくれる女性でした。

 そこで、得意の日本語で、「国立金海博物館を見学するために来たのですが、閑散としています。昨年春からの改修工事が未だ終わっておらず、開館出来てないということでしょうか」と、ちょっぴり不満そうに苦情を申し上げたところ、大変恐縮したように背を丸め、頭を下げて「そう、そうなのです。3月に入ったら開館出来る予定でいま工事中なのです」と。
「でも、ホームページをチェックしてきたのですが」と、さらに不満そうに訴えると、「あと数日後の開館なので、まだホームページには記載してなかったのです。それはお気の毒なことをしますね」と、抱えている書類をさらに抱え込むようにして事情を説明してくれるのです。「それはお気の毒さまでした」と言うところ、『それはお気の毒なことをしますね』と言う表現がなんともかわいらしく、すべてを許す気になってしまいました。日本語の慣用句でも、表現次第ではこんなにも新鮮な響きがあるのだと、感動してしまいました。

 さて、ここで恨み辛みの繰り言を言いつづけても、何の得にもなりません。
 そうと分かれば、おいしいものを食べに行って、気分転換といきましょうか。博物館が休館だったこと、まことに幸いながら、息子も責めてきません。
「よし、おいしいお好み焼きを食べに行こう!」
「なにそれ。肉じゃないの!昨日食ったのは牛だったけど、次は豚って言ってたじゃない、サムギョプなんとかって言うんだっけ」
「いやいや、サムギョプサルって正確に言えよ。ほら、言ってみな。聞いてんのか!ま、いいか。牡蠣やエビやらが気ままに乗ったお好み焼きで、トンネパジョン(동래파천)っていう、美味いお好み焼きがあるんだ。去年ソウルに行った時も食べたろ。油で揚げてあるから外側はカリっとしてるけど、中はふわトロ。細いネギがぎっしり敷き詰められてるから、とろけるように甘いんだ。あのパジョンの海鮮風。うまいよ、期待していいぞ。釜山大学を見に行くついででもあるし、そのすぐ近くの東莱(동래=トンネ)という街においしい店があって、ここからそこまでは約1時間。地下鉄を2度乗り換えるだけだから、おまえは寝てればいいよ」
「ああ、そうする」

 ここで注記ですが、ボク、ふだんの会話はとても穏やかな丁寧語を使うのですが、相手が自分の子どもだと、どうやら上から目線でモノを押し付けるようなぞんざいな物言いになるんです。蛇足ながら一言お断りしました。

■東莱パジョンからチャガルチ市場へ

 さて、電車の接続が思いのほか良くて、45分で東莱駅到着。トンネパジョンをおいしくいただき、ビールもいただき、金海博物館に次いで行きたかった海辺の市場、チャガルチ市場(자갈치시장=チャガルチシジャン)に向かいました。
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↑これがトンネパジョンです。ビールがことのほか、おいしかったです。
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↑地下鉄から地上に出てきたところにこの看板。しっかりカタカナ表記もあり、なんの不安もありません。
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↑これが農協ハナロマートの一階部分です。

 地下鉄1号線チャガルチ駅(자갈치역=チャガルチヨク)で降り、地上に出ると、すぐ目の前に「農協ハナロマート」がありました。ここでおみやげ用のワカメを購入し、海のほうへと移動。うーん、本当に潮の香りがしてきましたよ。交わされている言葉も、どことなく漁師っぽい。

 いやあ、凄い喧騒です。上野のアメ横の年の暮れでもこんな雑踏はなかなか出現しないだろうし、しかも上野の場合は高架下の一条ですが、こちらは何列もその横丁が入り組んでいるので、雑踏の流れに身を任せるしかないようです。あとで地図を見直しましたら、その雑踏は新東亜市場という市場で、そこをすり抜け、次に焼き魚の露店がつづく通りを抜けると、目指す市場にたどり着きました。日本語で「シーフード通り」と書かれている通りの海側が、全面ガラス張りのモダンな建物になったチャガルチ市場でした。
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↑チャガルチの市場とビルを歩き回り、すっかり韓国っぽい雰囲気を漂わせています。写真の左手はすぐに海です。

 市場ビルの中は大ざっぱに言うと1階が区分けされた鮮魚店、2階が食堂になっていて、どこも大変な人出。地元船橋の中央市場でも、水産のコーナーでは独特の掛け声で「らっしゃい! えー、らっしゃい!」なんで唸るような叫ぶような発声をしていますが、こちらでもきっと「安いよ、安いよ」とか、「買わなきゃ損だよ、持ってきな」などと道行くひとに話し掛けているんだろうと思うと、ああ、意味も分からずニコニコしてはいかんと、館内を一巡して出てきてしまいました。

 そうだ、このチャガルチの市場ビルから海沿いに300mも東へ行くと、乾物専門の市場がありますので、そちらを見学してからホテルに引き返そうということになり、息子の同意も取りつけ、正面に釜山大橋とロッテデパートを遠見にしながら乾物横丁へと入って行きました。
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↑乾物横丁です。本当に人影がないんです。

 ところがどうしたことでしょう。乾物横丁には同じ間口の店先には店番もおらず、お客さんの姿もついに見ませんでした。猫の姿も見ませんでした。鮮魚のカジャルチではワラワラといた人影は、わずか200m、いえ、100m 離れただけで、閑散。閑古鳥。国立金海博物館状態です。

 乾物横丁は海苔の専門店、ワカメの専門店、スルメの専門店、カワハギの専門店、チリメンジャコの専門店という具合に、乾物の種類で一軒一軒別々に軒を連ねています。しかも道を挟んだ向かい合わせが同種の乾物を売る店で並んでいます。乾物につづいて、韓方医薬で使う材料を商う店がつづき、ロッテデパートで突き当たりとなりますが、ああ、ついに全長300mの乾物横丁では、お客さんはボクら二人だけでした。

 この乾物横丁のほぼ中央あたりがワカメゾーンで、そのうちの一軒の店先に、伝統的な乾物ワカメ(건미역=コンミヨック)を売っていたので、「これはいくらですか」(이건 얼마예요=イゴン オルマエヨ)と大きな声で店の奥にいたおじさん(아저씨=アジョシ)に声掛けしたら、日本語で「どうせ買うならこれのほうがいいよ」と、錆びた声が帰ってきました。
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↑乾物横丁のほぼ中間点にあったワカメ専門店の店先。伝統的な乾燥ワカメを見つけ、店の奥にいたおじさんに声をかけました。
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↑これが伝統的な乾燥ワカメの十字縛りです。一番上の一行は국산수산물(クッサン スジャンムン=国産水産物)と書いてあります。その下は품명(プンミョン=品名)と書いてあり、건미역(コン ミヨック=乾燥ワカメ)と書かれています。その下、文字が大半蹴られていますが、원산지(ウォンサンヂ=原産地)と書かれていて、これは기장산(キジャンサン=機張産)と書かれていました。おじさんの話では、最近は中国産のワカメが入ってきていて、安いので困っていると言っていました。

ボク この十字に結ぶのが伝統的な乾燥ワカメの韓国スタイルだと聞いたんですが、現物を見たのはここが初めてでした。一つおいくらですか?
アジョシ 500ウオンだよ。水で戻すと10倍に膨れるから、大きめの桶でやるといい。それよりいいワカメがあるからおみやげにどう?
ボク 機張(기장=キジャン)のワカメですか?
アジョシ 機張のワカメもあるけど、ウォンドのワカメもいいもんだよ。おみやげにはそれがいい。
ボク 高いのですか?
アジョシ ああ、高いよ。
ボク いくらですか?
アジョシ 7000ウオン。
ボク 4つください。
アジョシ これはどうする?
ボク それも4つ。

 ああ、いい買い物をした。機張のワカメは日本でいうと三陸ワカメかな。ウォンドのワカメって、どこだか分からないけど、鳴門のワカメって感じなのかしら。もちろん、三方を海に面した韓国では、ワカメにもいろいろな名産地があり、それぞれの産地にはそれぞれの贔屓筋がいるんだろうな。ボクは一時期、房総半島の南端に近い内房の太房岬の館山湾側で獲れる大葉ワカメを贔屓にしたことがあったなあ。塩蔵ワカメだったなあ。それ以前には外房勝浦のワカメも贔屓にした時期があり、これも塩蔵ワカメだったなあ。つい最近は三陸ワカメを贔屓にし、食べて応援することにしていますが、気になるなあ。ウォンドってどこなんだろう。

 ホテルに帰って、買ったばかりの韓国全土地図で調べたら、全羅南道(전라남도=チョルラナムド)の南にある島で、済州島まで南へ100km、釜山まで東へ240km ほどに位置する島でした。すぐ西には干満の差が激しいことで知られている珍島があり、日本の佐世保九十九島周辺とよく似た多島海風景が広がる穏やかな一帯なのでした。序でに携帯mapで調べたら、日本名は「莞島」(원도=ウォンド)でした。

 で、結局、伽倻を中心に据えた古代韓国紀行のつもりで釜山を訪ねた今回は中途半端なワカメ報告「釜山でうろうろ=부산에서 어슬렁어슬렁(プサネソ オスルロンオスルロン」となってしまいましたので、出来るだけ早めに、捲土重来、国立金海博物館に再チャレンジするということで、アンニョンハセヨ。

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↑帰宅して、伝統的な乾燥ワカメがどんな程度のワカメか、食べてみないと分かりません。さっそく水で戻してみました。これは直径10センチ程度の乾燥ワカメです。
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↑水で戻して半日、十字の縛りもほどけて、ボウルいっぱい。肉厚で日本でふつうに買うワカメと変わりありませんでしたが、これで50円ですから、日本国内産は価格競争に曝されると、いよいよ厳しいでしょうね。
# by 2006awasaya | 2014-03-15 18:08 | 行ってきました報告