【真剣!野良仕事】[216=夢見る旨さ、牡蠣のオイル漬け]

2014.2.20(木)
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↑オイル漬けの牡蠣です。漬けて4日目。待ち切れずに食べはじめてしまいました。クラッカーを敷き、レタスを添えて。作り方を以下に書きましたので、やってみてください。

至福の味わい! 牡蠣のオイル漬け

 昨年暮から「食べて三陸を応援する」という三陸プロジェクトにかかわってきました。お陰様で三陸の海産物を身近にして、ホタテにしても牡蠣にしても抜群の鮮度を食卓に載せることが出来、それはそれで至福の時でした。
 ただ一点、鮮度、鮮度と自分の中で大騒ぎし過ぎて、結果、大急ぎで食卓に載せ、大急ぎで食べつくし、いわゆる「味わっていただく」という余裕をおおいに欠いていたかと、内心忸怩たる思いを胸に、それでも「応援できるうちは食べ続ける」という思いを優先させ、食べ急ぐ日々でした。

 バレンタインの日も大雪でしたが、その前の週末にも大雪があり、その降り積む雪の日のことです。三陸プロジェクトのリーダー、風戸さんという方が「ネットで牡蠣のこんな調理例をアップしていて、ああ、自分にも出来そうだと、やってみたのよ。そしたら思いのほか美味かったんで、試食してもらおうと持ってきたんだけど、一つ、いかが」と。ピクルスなどを漬ける広口の瓶の蓋を開け、お箸で一粒、牡蠣を摘んでくれたのです。
 それがオイル漬けの牡蠣。

 ああ、旨い。
 なんだこれ。

 こんな稚拙な表現で申し訳ないのですが、味わいを伝えるための言葉というものは、味わったそばから突いて出てくるという訳にはいかないものですね。
 たしか、以前、この食感とこの旨味を味わったはずだが、さて。うーん、思い出したぞ。牡蠣の薫製をオイル漬けにした缶詰だったか。ノルウエーの漁師がラベリングしてある四角い石鹸のような缶詰。でも、あれってオイルの香りがボクにはきつくて、せっかくの薫製の味わいが内に籠ってしまい、それでボクは湯通ししてオイル分を洗い流して食べるのです。でも、このヒト手間が面倒で、おまけに指先といわず、シンク全部がギトギト。後始末を考えたら、ま、ちょっといいかあ、とね。で、ここ10年は牡蠣の薫製缶詰、食べた覚えがありません。

 でも、風戸さんが摘んでくれた牡蠣の粒には、オイルの匂いが強くない。強くないというよりはほとんど感じられない。牡蠣の旨味だけが頭蓋に広がる感じでした。
 もっと食べたい。もう2、3粒は味わってみたかったけど、でも、そこはぐっとこらえて。見栄っ張りだったか。おおいに後悔しています。

長谷川 ネットで仕入れたって言ってたけど、そのURL、あとでmailで流してくれます?
風 戸 いま、ここで教えることも出来るんです。それほど簡単なんだけど。
長谷川 最近は記憶しておくことが難しくて、出来ればmailで。
風 戸 はい、了解!

 そんなこんなで広田湾のカキ漁師、吉田さんのカキ2パックを手に、帰宅してみると、すでに着信アリ。
「小太郎のまんぷく日記」というブログで、愛媛県の女性の方。以下がURL。
http://blog.goo.ne.jp/1008kotarou/e/0b4952f680acc3ea355abd77d1435a47

 うーん、調理手順がきれいな写真で紹介されていて、さっそくその手順通り、やってみました。
 ボクにでも十分にできる簡単さ。しかも、この簡単で、想定を遥かに上回る旨味。
 見栄を張ることもなく、存分に、飽きるまで味わってみました。
 ビールでも、ワインでも、なんにでも合いますが、新潟下田村出身のけいくまさんがウチに立ち寄り、お土産がわりに置いていってくれた八海山の焼酎「よろしく千萬あるべし」がことのほかぴったりで、おおいに堪能しました。
 風戸さん、小太郎さん、ステキな情報、ありがとうございました。

以下、では、
「牡蠣のオイル漬け」
レシピの公開です。

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↑岩手県陸前高田の広田湾でカキ漁師をしている吉田善春さんの生カキ。三陸支援プロジェクトでは、この吉田さんのカキなど、産地直送で購入しています。200gで800円です。2月に入って、カキが急にぷっくりしてきました。「フルッティ ディ マーレ 三陸」というプロジェクト。応援してください。問い合わせは「sanriku@mbf.nifty.com」へ。
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↑200gとありますが、パック全体で300g弱、カキの粒だけで250gありました。2パックで24粒ありました。
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↑片栗粉を降りかけて、下洗い。やさしくもみ洗いをし、これを2回繰り返しました。ひだの部分にカキの殻が入っていることも、まま、あるので、ひだの部分は入念に。
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↑流水で洗うと、ぐっと手間が省けます。
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↑水を切った状態。
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↑カキを下洗いしていて気が付いたのですが、ひだの部分、真っ黒なものと薄茶色のものなど、けっこう個性があるんだなあ。
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↑あらかじめ用意しておく材料。トウガラシ、ニンニク(粒のままと潰したもの)、オイスターソース、月桂樹の葉(庭にあるのを摘んできたので、青い)。
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↑焦げ付かないように、テフロン加工のフライパン使用と小太郎さんがすすめていたので、そのとおりのパンに、水切りをしたカキ500g、24粒を投入。
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↑強火で1分経過。じゅぶじゅぶと音を立て始める。
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↑強火で3分経過。水分がとび始める。ぷっくり度合いが目立つようになる。加熱用の生カキゆえ、十分に火が通っているを確認できる。
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↑さらに強火で1分経過。ここでオイスターソースを加え、馴染んできたところで潰したニンニクとトウガラシを投入。
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↑強火で5分経過。すっかりいい色になってきた。焦げ付かないように、パンを小刻みに揺する。おいしい香りが立ち始める。ウチの豆柴小夏が足元から離れない。
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↑味見をしないでこのまま先に進む訳にはいかないので、2粒、試食。ウマイ!
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↑風戸さんのような手頃な瓶がなかったので、少し浅いタッパーに、1時間ほどコンロから外し余熱をとったカキを移し、月桂樹の葉を数枚散らす。
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↑オリーブオイルと菜種油のどちらかにしようと匂いを嗅いでみる。オリーブオイルはやはり匂いが強いので、ほとんど無臭の菜種油に決定。
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↑オイルをヒタヒタまで注ぎ、蓋をして室温で保存。小太郎さんによると、食べられるのは2日後からで、保存期間は2カ月とか。カキがこんな長期間、保存することが出来るなんて、ああ、食べ急ぐのではなかったと、激しく後悔しつつ、オイルに漬けたばかりのカキ2粒を再び試食。んまい!

オイスターソースの分量について
一番肝心の「オイスターソースの分量」を明記するのを忘れました。
ここで紹介したのは大さじ2杯ですが、今後は4杯と倍量にすると、薫製したような風味風格をコート出来ると思いますので、牡蠣400〜500g、粒数でいうと30粒前後の場合は大さじ4杯で調理を進めてください。
以上、反省を籠めて。
# by 2006awasaya | 2014-02-20 14:27 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[215=船橋の海辺はグリーンの海藻で縁取られていました]

2013.12.8(日)
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↑本日早朝の船橋海浜公園の浜辺。レンブラント光線と言うか、天使のハシゴが何本も何本も架かっていて、それはそれは夢見心地の浜でした。薄暗いのですが、小夏は張り切ってバシャバシャやっています。遠景は幕張から千葉市方面です。
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↑潮が引いていましたので、すこし沖のほうまでお散歩。
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↑周囲が明るくなってくると、波打ち際が鮮やかなグリーンで縁取られていました。遠景は幕張から千葉市方面です。写真の右手には君津の火力発電所の巨大な煙突が見え、振り返ると富士山も見えました。空気が澄むこれからはいつでも富士見の浜です。

夢見るような浜辺にて

 久しぶりに船橋海浜公園の浜辺へ、小夏を連れてお散歩です。
 今日、12月8日〔日〕は風もなく、穏やかなお散歩日和でした。小夏は潮の香りが好きなのか、いつもはクンクンと電柱や植え込みを嗅ぎ回ってばかりですが、ここ海浜公園はクンクンする回数がほとんどなく、すたすたと海辺へ。キッと頭を上げ、気持ちよさが歩く姿勢で判るようです。
 小夏に先導されて砂を踏みながら水際まで下りていくと、そこでようやく日が昇り始め、雲間からひらりが射し始めてきました。天使のハシゴがいくつも下りてきて、まさに夢見心地。
 でも、サクッサクッとした砂浜の歩き心地が、ヌルッとする。なんとなし気持ちが悪い。礒の香りもいつもより強い。小夏は水辺のバシャバシャ感を楽しんでいるのに、水から上がると、いきなりズボッって感じで足を取られて身動きができない。何だか変だなあ。
 トイザらスの倉庫を右に見て、江戸川放水路河口近くの堤防まで歩くが、何だか気分がおかしい。
 30分もすると、明るくなってきて、様子がわかった。波打ち際から約2メートル幅でアオサがべったりと打ち寄せられている。アオサは、過剰な海水の栄養調整、並びに浄化を果たしていると、なにかの本で読んだことがあり、このアオサを畑の堆肥づくりの一部に利用している農家がいることも知っていましたし、つい1カ月前の11月10日(日)に、より大々的な規模でアオサ対策を兼ねての[東京湾アオサ・プロジェクト])がこの浜で展開され、その模様もこのブルー文字の[東京湾アオサ・プロジェクト]をクリックしていただくと、該当ページが開いて、その模様が紹介されていますのでぜひご覧いただきたいのですが、そうか、そう言えば1カ月前も、海辺はグリーンに彩られていたなあと思い出した次第。このまま放置しておくと、アオサからグリーンの色が抜けて、妙に白っぽい脱水状態のアオサとなり、波打ち際がふわふわした白いカサブタで埋め尽くされ、また海へと戻っていってしまう。せっかくアオサとなって海を浄化してくれたのに、また海へと捨ててしまう。
 このアオサ、何とかしたいなあ。飯島さん、お知恵をお貸しください。
# by 2006awasaya | 2013-12-09 15:27 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[214=来年用に220球のタマネギ、植えてきました]

2013.11.12(火)
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↑10月31日(金〕の午前中、注文してあったタマネギの苗が届き、翌々日の土曜に定植してきました。ジャンボジェットという名前のタマネギ110本、極早生の大玉という名前のタマネギを同じく110本、畝を作り、タマネギ専用のマルチシートを掛け、定植してきました。

来年もタマネギ長者を夢見て

 タマネギはたくさん出来ても長期保存がしやすく、しかも日々の料理にはすぐ使えて便利だし、おまけに今はやりの「血液サラサラ効果」が期待できる野菜だしと、家では歓迎される野菜なのです。これで2年連続でタマネギ長者の至福を享受して、さて来年も至福笑いをしたいものだと、ネットで注文できるページをあれこれ眺めながら、一つの重さが300グラムにもなる「ジャンボジェット」と同じく大玉で超極早生の2種類を9月下旬に発注。
 ところが、待てど暮せど苗が届かない。
 ジリジリしながら、「自分は本当に注文したのだろうか」、「注文したと思い込んだまま、肝心の支払いをしなかったのではないか」など、疑心暗鬼で暮らすこと約2ヶ月。もういいや、お気に入りの品種でないかもしれないけど、飯島農園の近くの長野種苗で買って定植しちゃおうかと、路線変更を決意した翌日、段ボール箱に入ったタマネギが到着。
 箱を開けると、説明書が。
【ジャンボジェット】 3月下旬収穫予定、250-300g。日もちがする。100本690円。
こちらが噂の大玉超極早生玉ねぎ!九州~四国の暖地なら通常栽培でも3月下旬頃には約250gに。さらにマルチ栽培で肥大スピードを上げれば約300gの大玉に!球形で、食味にも優れます。
【極早生の大玉】 3月下旬収穫予定、250g。収穫後になるべく早く食べること。100本690円。
病気に強く作り易い超極早生品種! 極早生なのに3月下旬頃には250gの大玉が収穫可能です。多収性で玉揃い良く甘味も強くて食味も素晴らしいパーフェクト玉ねぎです。
 
 そうそう、この説明コピーに引かれて、注文したんでした。
 で、11月2日(土)の午後、自分の区画に行って整地し、畝を作り、マルチシートを張り、実際には220本の苗を定植してきたのです。

 ところが、定植してしばらくして、長期予報では今年の冬はもうすぐそこに来ていて、しかも厳寒。場合によっては温暖な千葉県でも降雪が予測されることもあるなど、心配材料が目に付き、そうか、ネットを張っておこうかと、翌週の土曜日、11月9日(土〕にネットを掛けてきたのです。
 こうしておけば、ちょっとした降雪でも平気です。
 昨年はタマネギの原産地調べで中央アジアということが判り、放ったらかしておいても丈夫に育つことも確認済みで、事実、雪に埋もれたまま1週間を経過しても平気な顔でいたタマネギです。ですが、定植直後はやはり多少の保護観察下においてあげないとやばいかもしれないので、ネットのトンネルをしてきたのです。
 あとは期間を置いてモンゴルの馬頭琴とウズベキスタンの民族舞踏曲を聞かせに行ってあげれば、今年もタマネギ長者、間違いなしか。
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↑11月9日(土)、先週に定植した畝にまずグラスファイバーポールで支柱を。畝の脇にネットを置いて。独り農業はなんでも独りでやるから楽しいんだなあ。
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↑グラスファイバーポールにネットをかぶせる。
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↑トンネル両端を絞って始末する。
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↑トンネルの裾がぱたぱたと羽ばたかないように、要所にペグを打ってお終い。この日は風もなく、作業がしやすかった。
# by 2006awasaya | 2013-11-12 18:22 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[213=今年のリンゴは絶品でした]

2013.11.11(月)
今年のリンゴは絶品でした

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↑これが群馬県川場村の宮田リンゴ園にある長谷川のリンゴの木です。収穫前に一枚、撮っておきましょうか。
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↑子どもたちの都合がつかず、今年も夫婦と小夏で川場村まで走ってきました。道中、ずっと寝てきたので、なんだかよろよろ寝惚け顔の小夏です。
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↑妻が収穫をしている間、小夏と一緒に散歩。広ーいリンゴ園は下草がきれいに刈り込んであるので、とてもシットリと柔かな感触で、お散歩がとっても楽しい。ただ歩き回っているだけでこんなにも溌剌としている。人の言葉が通じていれば、もっともっと喜びを伝えてくれるはずですが。
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↑小川のほうに長征。なにかガサゴソと音がしていますので、覗いてみると、流れにゴワゴワした袋が枝に引っかかっていました。
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↑脚立を立てて、中ぐらいの高さまで収穫しているところです。これより上のリンゴはボクが担当します。
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↑約40分で全部収穫しました。いつもいつも丹念に玉回しをしてくれているので、全身が均等に美しい色味になっています。このケースには50個前後が入ります。全部で約200個のリンゴです。昨年もその前のだいたい200個前後だったのは、宮田さんが摘果して管理してくれているから。この木にはこれくらいの数量のリンゴがあっているのでしょう。
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↑なんというステキな色でしょうか。一個を接写で撮ってみましたが、さて、色の名前は何と呼んだらいいのでしょうか。「日本の伝統色(色の小辞典)」によると、左隅にかけての濃い色味は「牡丹色」でC18M82、中央附近は「躑躅色」でC3M90Y16、右上のハイライト周辺は「茜色」でM100Y60K35が妥当。要するに完熟した陽光の色は単色で塗りつぶす訳にはいかない穏やかな林檎色と呼んだらいいのでしょうか。序でに表面にある黄色いドットは「萱草(かんぞう)色」でM46Y78です。
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↑200個を収穫して、なんだか一回り大きくなったような気がします。また来年も宜しくお願いします。来年は孫の陽介を連れてきますので。

 秋の連休最終日、自宅を朝早くに出発し、関越沼田で下りて、今年もリンゴ狩りにいってきました。ご主人の宮田さんによると、「異常な暑さが続いた夏ですが、心配するほどではありませんでした。また例年にない大型の台風も来ましたが、このあたりはお陰様で風の向きが良かったのか、被害はほとんど見当たりませんでした。つい2週間ほど前から甘味も乗ってきて、少しほっとしています。ま、食べてみてください」と、穏やかなご主人にしては少しばかり言葉数が多いのは、よほどに満足した出来上がりって自信の現れでしょうね。

 さっそくリンゴの木の下で剥いて食べてみましたら、ご主人のおっしゃるとおりで、香りも高い素晴しいリンゴでした。去年は果肉が柔らかく、出来上がりの印象は毎年違うものなのだなあと思ったものでしたが、今年の陽光はしゃきっとした果肉の硬さ、甘味、酸味、色艶など、今までの記憶では一番美味しい部類の林檎でした。一年間の管理、どうもありがとうございました。また来年も宜しくお願いいたします。
# by 2006awasaya | 2013-11-11 18:00 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[212=三陸通信5●第2回三陸懇親会報告]

2013.11.10(日)
ひょうたん島表敬訪問
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↑女性陣は音感がいいのか、iPhoneでダウンロードした校歌を聞きながら、斉唱の予行練習。
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↑大槌湾に浮かぶ蓬莱島、通称「ひょうたん島」を正面に見る岸壁で、兼ねてからの飯島さんの念願だった「釜石小学校校歌」を歌う参加メンバー。
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↑デジタルズームで精一杯望遠にして撮った蓬莱島。ロウソク型の灯台も立ち直り、島へとつづく堰堤もほぼ完成していた。
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↑今年の三陸行には思わぬ参加者が。ボクがむかし勤めていた会社の若き女性とその友人です。ありがたいことにfacebookつながりで参加してくれました。掌にひょうたん島を乗せるなんて構図は思っても見ませんでした。やわらか頭って、かなかないいもんです。

 顔を合わせるたびに、飯島さんから「釜石小学校の校歌、知ってる?」「釜石小学校の校歌、井上ひさしさんの作詞だってこと、知ってましたか?」「あの校歌で勇気づけられたんだそうです、救援の手が入るまで、そして救援の手が入ってからも」「去年は行けなかった大槌ですが、今年はなんとしてでも行きたい。ひょうたん島をこの目で見たいんです」などなど、さまざまに問われ続けました。きっとボクだけではなく、視界にはいるほとんどすべての方々に、うわごとのようにおしゃべりしたに違いありません。

長谷川 それじゃあ、今年の三陸行きのテーマは「ひょうたん島を見ながら、釜石小学校の校歌を歌う」ということにしましょうか。
飯 島 それを前面に出して、はたして良いものか。これは飯島個人の思いなので、それを理由に皆さんを誘うわけにはいかないのではないでしょうか。もう少し考えたいと思いますが。
長谷川 物事には個人と組織があり、個人が抱いた思いを実現するためには、ときに論理的な整合性がとれなくても、平気な顔をして、突っ走る。言い出しっぺの個人が繰り返し繰り返し、初めてしゃべりような顔をして、その思いをしゃべりつづけていれば、しゃべり掛けられたほうも、それは以前に聞きましたと思う一方で、そうか、それほどまでに思い焦がれているのかと、心を傾けてくれるに違いありませんよ。そうした思いに賛同してくれた方々で大槌に行くわけで、強制もお願いもしていないのですから、とりいそぎ募集をしてみませんか。参加者が少なかったら、それはその時に新たに考えればよろしいわけで、とりあえず募集してみましょうよ。

 そんな会話があった数日後、飯島さんの思いをわずかに滲ませた募集のチラシを作りました。

 チラシのタイトルは「自慢の野菜をもって、話を聞きに行きますよ!三陸の漁師さん!」としました。もともとは「おいしい野菜公園2007」のT女史が音頭を取り、始めた飯島農園の被災地支援です。その後、さまざまなご縁で岩手県陸前高田と大船渡の漁師さん達と知りあい、三陸の漁業復興の一助になればとの共通の思いを抱いて続けられた企画です。夏には夏野菜とスイカ、冬には大量のネギを中心に、その他野菜とは直接関係ないながらも、こんなものでよろしかったらという品々を送ってきましたが、年に一度は現物を持参して届けるツアーを実施、今回は2年目の持参ツアーです。

 この三陸支援という本線に、参加する各人のこれまたさまざまな思いをぶらさげ、本線を太く継続することが大切なことで、そのためには個々の思いを前面に出しても、背面に裏張りしようと、脇を固めようと、それは各人の自由なはずです。

 飯島さんの思いは大槌湾にて、釜石小学校校歌を斉唱したいということですが、ボク個人の思いは、大きな大きな、夢のように大きな写真と再会したいというものでした。

 大震災の年の10月に、高校生の息子を連れ、当時ボランティアの拠点だった遠野から沿岸各所にお手伝いに入りましたが、その年の夏に妻が入った大槌町の惨状が記憶に残っていましたので、大槌行きのチームに加わり、大槌町赤浜地区で清掃作業をしてきました。その帰りがけにトイレ休憩で立ち寄った「川の駅横田」で見た陸前高田の、夢のように美しい写真にもう一度再会したいというのが、ボクの思いだったのです。畳一畳はあろうかという大きく引き伸ばされた写真には、震災前の、満開の桜堤とその背後に広がる松原が写っていて、もう40年以上も前のことですが、学生だった頃にあの松原で海水浴に興じたことがあっただけに、異常に懐かしい風景だったこともあり、この写真をもっとゆっくりと眺めることで、40年前のあの日のことを思い返したい、そんな思いでいたのです。
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↑東日本大震災の年の10月に訪れた大槌湾赤浜地区。目印だった赤いローソク型の灯台が根元から折れていた。

 震災の年の10月に見た大槌湾に浮かぶ「ひょうたん島」の写真を大きく掲げ、行程などの必要事項をしるし、その脇のスペースに「釜石小学校校歌」を添えて募集チラシを構成しました。

長谷川 これが三陸行きの今年のチラシですが、いかがでしょうか。
飯 島 倒れたタンクの脇に見えているのがひょうたん島ですか。赤いローソクの形をした灯台が、たしか、もう元通りの姿で再建されていたと思いますが、これでいきましょうか。大槌に入ってからその日に夕方までに大船渡まで戻るコースが、時間的には結構シンドイですが、トイレ休憩の回数を減らすとか、昼食時間をゆっくりとれないことなど、注意書きが必要になるでしょうな。その点、フォローをお願いします。

 そうして迎えた出発日前日までに、以下の野菜類を準備して三陸に向けて出発したのです。
【三陸の漁師さんへの持参目録】
1=無農薬サツマイモ(飯島幸三郎) 8袋
1=無農薬コシヒカリ新米(飯島幸三郎) 30kg
1=フローズン茹で落花生オオマサリ(松本伸一) 10kg
1=かがまずに使える竹製ロング靴べら(坂本剛規) 30本
1=和装巾着袋物(川口章子・大村悦子) 20袋
1=和装メモ帖(長谷川智昭) 10冊

 写真に掲載したように、大槌湾の岸壁で、移動中のバスの車内でiPhoneからダウンロードした釜石小学校校歌のメロディを参考に、景山さんの斉唱指導でなんとか声を合わせて車内で数回リハーサルを繰り返し、ひょうたん島を眼前にしつつ、歌うことができました。

長谷川 たまには恥ずかしげもなく、大きな声を張り上げて歌うってのも、これはこれでなかなか楽しいことですね。
川 口 この歌詞には釜石とか岩手とかの地名が入っていないのが素晴らしいて、誰だかが指摘していたけど、まさしくそのとおりで、歌うことで勇気づけられた人が多かったんだろうと思いましたね。
大 村 華麗な形容詞も使っていなくて、基本的には動詞で構成されているでしょ。だから誰もが歌っていて気持ちがいいんだと思うんです。私たちが気持ちよく岸壁で歌っているのを、地元の方かしら、なんだか嬉しそうに見守ってくれていましたね。なかには写真を撮ってる人もいて、そういうサービスもできたし、それなりにいい記念になったと思いますね。
長谷川 「君が代」に替えるのは難しいので、なにかの節目に日本国第2国歌として支持してくれる人がたが増えるといいなあと思いました。ラジオ体操第一に続いて、ラジオ体操第二のメロディーみたいに。
飯 島 その主旨に賛成!飯島農園の農園歌として、今後も歌っていきたいと思いましたよ。

 大槌湾をあとに、今夜の宿のある大船渡市越喜来(おきらい)へ。そして、宿舎にて三陸漁業生産組合の瀧澤さん、遠藤さん、伊藤さん、平田さんの出迎えを受け、一献二献三献と重ね、陶然とした懇親会となりました。
 その翌朝、ホタテ養殖の現場へと案内してくれた瀧澤さんと遠藤さん。この日は日曜日。お休みなのですが、われわれをホタテ養殖現場に案内してくれたのでした。

ホタテ漁を体験
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↑越喜来湾の崎浜港を出航し、外洋に出るあたりは湾口の両サイドからの波がぶつかり合うために波もひときわ盛り上がり、大揺れの漁船。瀧澤さんの後ろ姿が逞しくも頼もしい。
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↑こちらは遠藤さんの第五崎浜栄丸。大きなうねりを切り裂きながら雄走。この日は空も海も鉛色。
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↑ホタテ養殖の現場に到着。震災の年から3年を経過して、今年からいよいよホタテの出荷ができる。その成育具合が気になるところ。
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↑ホタテ貝に穴を開け、ロープに括りつけて垂下する「耳吊り」と呼ばれる養殖法を、このあたりでは採用している。垂下する1本のロープには約150前後のホタテが縛りつけられていて、そのロープを引き揚げながらホタテを収獲しているところ。
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↑収獲したホタテにはイソギンチャクやフジツボ、ムール貝などがびっしり。どこにホタテ貝があるのか判らないほど、びっしりとムール貝で鎧われている。米づくりや野菜づくりで言うならば、草取りに相当するのかな。厄介な作業だけど、きちんと除草しないと肝心の野菜やお米が負けちゃう。同様に、ホタテも貝の外周にフジツボが付着すると、きちんと二枚の貝が閉まらなくなり、ヒトデなどの攻撃を甘受することになる。この清掃作業は年に何回か、やるという。この清掃作業を体験してみませんかと瀧澤さんのお誘いに甘んじて体験させてもらう。
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↑鉈のような包丁で、ガリガリ、カンカンと汚れを取り除くと、はい、ご覧の通り、きれいになったホタテ貝。でも、まだまだ。もっと丁寧に掃除しないと、売り物としては出荷できない。
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↑清掃作業もう一息のホタテ。まだ汚れがついている。
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↑これで清掃作業完了。これくらいきれいにしないと売り物にならない。
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↑作業を教えていただいたおかみさん二人を囲んでの別嬪写真。
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↑体験作業を終えて参加者、漁業者の共同メモリアルショット。
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↑これほど新鮮なホタテは刺し身でしょ。
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↑新鮮だからって、刺し身ばかりでは飽きてしまう。貝焼きのうま味はまた格別。甘味がぐーんと主張していた。旨かった。

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↑第2回三陸懇親会報告書。

 大槌湾視察、ひょうたん島を前に見ながらの『釜石小学校校歌』斉唱、ホタテ養殖の現場体験と、当初の思いを実現し、帰途に「川の駅横田」にトイレ休憩を兼ねて立ち寄ってもらいました。3年ぶりの「川の駅横田」です。あの夢のような写真に再会できるとワクワクしながらトイレ横にある通路に入ったのです。畳1帖を横にしたくらいの大きな写真ですから、すぐに判るはずです。でも、見当たらないのです。掲示場所が変わったに違いありません。同じ棟にある畳敷きの大広間は閑散としていましたが、その壁面には掲示物はありません。広々した売り場にも、玄関周辺にも見当たりません。あれれ。胸苦しくなってきました。レジの女性に「これこれこういう写真が震災の年に飾られていて、その写真を再び見てみたいと仲間を連れてきたのですが、その写真が見当たらないのです。ご存知ないでしょうか、あの写真」。

 レジの女性は事情を察してくれて、電話でどなたかに連絡をとってくれました。待つこと数分。責任者という方がお見えになりましたので、もう一度繰り返して説明しましたら、そういう写真があったような、なかったような、「なんとも申し訳ありませんが、記憶にないのです。震災の年には、さまざまなアングルの、さまざまな季節の陸前高田を写した写真を飾ったので、おっしゃっている写真がどうなったか、いまひとつ明瞭に説明できず、申し訳ありません。その写真を見るために、わざわざ立ち寄ってくれたのですか。そうですか」と、気の毒がられるやら、謝まられるやら。

 バスに戻って、車内で待っていてくれたメンバーに事情を説明。
「写真がなかったのなら仕方ないですね。長谷川さんの思いはまだこれからも続くのですから、それはそれでいいじゃありませんか。思いはずっと続いていたほうが。では東京に向けて出発しましょうか」と運転席の飯島さん。小雨降るなか、帰途に就きましたが、はて、あの夢見るような風景の陸前高田の写真はどこにいってしまったのでしょうか。陸前高田の昔を知る方々も同様の喪失感に、なすすべもなく、立ちつくしているのでしょう。ボクの思いは一枚の写真が見当たらないだけですが、写真に写っていた風景そのものが奪われた方々にとっては、天を仰いで呪うほかに、いったいどうすればいいというのでしょう。
 幸いなことに、座席にうずくまってシュンとなっているボクに言葉をかける方もなく、それを良いことに、帰ってから息子になんと説明したものか、あれこれ思いを巡らせていました。さて、どれほど寝ていたのでしょうか、目を覚ましたら郡山の手前でした。
# by 2006awasaya | 2013-11-11 15:27 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[211=念願の千粒重20gをわずかに超えました]

2013.10.16(水)
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↑まずは今年初めて作ったミルキークイーンを500粒、数えたところです。
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↑数え方をいろいろに変えて、やっと1000粒、数えたところです。所要時間は22分。
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↑1000粒を数え終わったら、次に1000粒の重さを量るために、一個所に寄せ集めるのですが、これ、結構な決断をしないと出来ません。息を殺して、時に鼻息も止めて数えた1000粒ですから。
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↑3回計量して、3回とも19.8gでした。
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↑コシヒカリ1000粒を数えたところです。
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↑まず500粒を一カ所に寄せる。
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↑これも3回計量して、20.3gでした。
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↑左がコシヒカリで右がミルキークイーン。コシヒカリの方が光沢があり、クズ米、が少なかった。

コシヒカリ千粒重20.3g

 深夜に一人、息を殺して、ひい、ふう、みい、よ、と数え、すぐに、この数え方に飽きたので、二の、四の、六の、八の、十と数え方を変え、そうかそうか、生活のあらゆる場面が学習なりと、最近習い始めた韓国語で1、2、3に相当する일(イル)、이(イ)、삼 (サム)、사 (サ)、오(オ)、육 (ユック)、칠(チル)、팔 (パル)、구(クウ)、십(シップ)と10まで勘定をし、さらに日本語の「ひい、ふう、みい」に相当する하나 (ハナ)、둘(トゥル)、 셋 (セ)、넷 (ネ)、다섯(タソ)、여섯(ヨソ)、일곱 (イルゴ)、여덟(ヨドル)、아홉(アホ)、열(ヨル)で、十まで数え、こうやって数え方を取っ換え引っ換えしながら10分が経過し、誰を呪うわけにもいかぬまま、さらに10分が経過。むかし見たヤクザ映画のワンシーンに「卓袱台返し」ってのがあったけど、ひっくり返すに至る心情が判りかけて来たと相前後して、なにやら自制心が急激に緩んできて、それに入れ替わるように憤然とした、名状しがたい獰猛野蛮が肥大してきて、そうか、このままこの肥大を続けているとあの「卓袱台返し」が確実に実行されるなあと、妙に冷静な自分が呟き始めたちょうどその時、10の列が100列、都合1000粒を数え終わったのでした。

 この作業の厳粛な意味を判らぬ人が見たら、なんと無意味なことをする輩なりと、唖然とした表情のまま立ち去るだろうし、カミュにかぶれたことがある人なら、「うーん、この不条理な世界に、まだシジフォスが生きていたか」と、これまた見てはいけないものを見てしまった後悔を奥歯でかみ殺しながら立ち去ったに違いない。

 今年は本命のコシヒカリに加えてミルキークイーンも5畝作った手前、こちらの千粒重もカウントしなくてはいけないので、ミルキークイーン1000粒を数え終えた。所要時間22分。
 自暴自棄状態に陥る前に、間髪を置かずにコシヒカリのカウントに移る。所要時間は18分と4分の短縮だった。

 さて、計量。

 昨年のコシヒカリの千粒重は20g手前だったので、何とか今年の主軸のコシヒカリは20gをオーバーしたいところ。粒の見た目では、ミルキークイーンよりもわずかながら大きく見える。期待している目で見ているから、余計にそう見えるのかもしれないが、計量メジャーに乗せてみると、20gをわずかに超えているように見えるではないか。針がなかなか静まらない。20の目盛りを前後しながら止まった。20gをわずかに超えている!
 都合3度量ってみて、3回ともにコシヒカリの千粒重は20.3g、ミルキークイーンは20gにわずかに届かず19.8gだった。去年のコシヒカリ千粒重を記録したボクのブログ[192=1000粒、カウントしました!])を参照してくだされば判りますが、千葉県のコシヒカリ標準千粒重は20gなので、0.3gとは言え超えた!
 以上、千粒重の巻。

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↑コシヒカリ。
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↑ミルキークイーン。
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↑ふさこがね。
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↑コシヒカリ8とミルキークイーン2の割合のブレンド。

 さて、試食。

 収穫したお米の配分を終えた翌週、お米のメンバーで「食味比べ」をすることにした。この日、銚子で米づくりを始めたメンバーが「ふさこがね」を持ってきてくれたので、食べ比べる選択肢は4つ。
 1はコシヒカリ、2はミルキークイーン、3はふさこがね、4はコシヒカリ8にミルキークイーン2の割合のブレンド米。
 以下、ボクの感想。
 コシヒカリ=パサパサもせず、程よい咬みごたえ。うーん、とてもおいしい。
 ミルキークイーン=少しモサモサした口当たり。冷めたら意外においしいのかも。
 ふさこがね=ブラインドテストだったら、コシヒカリと間違えてしまうかもしれない。ふつうにおいしい。
 ブレンド=レストランや食堂など大きなお釜で炊いたご飯のような、しっかりとした口あたりがあり、びっくりするほどおいしい。
 参加したほぼ全員がほぼ同様の感想を漏らしていたが、食味をあれこれするのって、本当に難しいものだと言うことだけは判った次第。

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↑食味比べに参加した面々です。
# by 2006awasaya | 2013-10-17 15:06 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[210=故人を偲ぶ写真が撮れましたよ]

2013.10.1(火)
その節はこの写真を肴に
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↑我ながら、うーん、いい写真だなあとホレボレする写真です。稲穂の抱え方も我が孫を抱くようで、うーん、至福の一葉ですね。

 人生で5回目のお米の収穫を終え、刈り取りを終えた田んぼで撮っていただいた写真です。9月22日〔日〕に最後の収穫を終えた折り、ハサ掛けで干したまっすぐに延びた稲穂一掴みを抱きかかえながら、メンバー各人がそれぞれ記念に撮っておきましょうという話になり、ひとりひとりで撮ったのです。
 気持ちよく晴れ渡ったこの日の天気も良よかったのか、人生の節目節目でさまざまに撮っていただいた写真のうちで、一番こころが晴れている写真が撮れたと自讃しています。
「はーい、とにかく、いい顔、してくださ〜い。美しい情景を思い出しながら、はーい、撮りますよ!」と声掛けしてくれたので、炎天下、全身を汗みずくにしながら草取りをしたこと、一本一本田植えしたこと、なかなかまっすぐに直線を維持できず曲がってしたった田植え機での田植えシーンなどを思い浮かべていたのです。

「アゴ引いて! はい、撮りました。はい、次の方どうぞ」
 つい2週間ほど前に免許更新で撮られた免許証写真と見比べると、いよいよもって我ながら、表情も硬からず柔らかからず、少しばかり誇らしげな人生が撮れていました。パスポートの写真も、免許証の写真も、この写真を使ってくれると嬉しいのですが。

 メールで送信されてきたこの写真を家族に見せましたら、妻は「お葬式の時って慌てて故人の写真を探しまわるよね、葬儀屋さんの一方的な指示があってから。ジイジの時は恭太の結婚式の時に撮った写真がすぐに見つかって、本人もいい写真だと言っていたことでもあるし、それを葬儀用に使ってもらったでしょ。焼香に来てくれた方々からも、いいお顔をされていますね、なんて言われたりしたことがあったでしょ。それと同じで、智昭さんの人生を振り返るにはいい写真だと思うな」と。
 故人を偲ぶ一枚の写真として、この写真を使って欲しいものだと、深く同意した次第です。この写真を肴に、「なんでまあ、あんなに米づくりに夢中になっちゃったか。人の行動ってのはなかなか判らないもんですなあ」とか「あれで日焼けを相当気にしていたようで、日焼け止めクリームをこまめに使ってたんだって。もともと色黒なんだから、気にするのはおかしいって本人に言ったことがあるんだ。そしたら急に機嫌が悪くなっちゃって、きっとセルフイメージは白皙の書斎派を願望していたのかしら」なんて、ひそひそ話をながながとしていただきたいものです。

 『徒然草』に「よき友三つあり。一つは物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには知恵ある友」(117段)とあるそうで、それを下敷きに、芭蕉は笈日記に
米くるる友を今宵の月の客
と詠んでいます。
 加藤楸邨先生は、この「米くるる友」について、「実際にお米を携えて来た友と解すべきではなく、常日ごろ面倒を見てくれる友と心の中で言ったものであろう」とクギを刺しています。晩年に近い芭蕉には、よき友が多数いたんでしょうね。

 お米が繋ぐよき思い出。

 今秋もまた、よき友に恵まれて。
# by 2006awasaya | 2013-10-01 15:08 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[209=ブータン製メモ帖を和のテーストで]

2013.9.25(水)
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↑お土産にいただいたブータン製のメモ帖を参考に、和のテーストに作り替えた試作第1号。麻の葉模様の夏着をほどいて洗い張りし、和紙を裏打ちしてから少し厚めの段ボールに着せ、ササコハゼで留めるようにして和のテーストを出してみました。

和テイストのメモ帖

 飯島農園の畑には、山に魅せられた方々が結構いるんです。北海道の大雪山に行ってきたとか、尾瀬を歩いてきたとか、キリマンジャロ山頂の豹を見たいがために遠くアフリカまで出掛けていったへミングウエイ好きのご夫婦がいたりと、まったく優雅な人生を送っている方々のなんと多いことか。

 そんな畑のメンバーの一人から、「ブータンの山に行ってきたのよ」と、まるで高尾山に登ってきたみたいな物言いでおっしゃる奥様がいて、ああ、羨ましい。空気は美味かったですか、とか、国全体が傾斜のキツイ斜面でしたか、とか、お花畑はきれいでしたか、とか、頓珍漢な質問をして辟易とさせてしまったのですが、後日、その方からいただいたのが、このブータン土産のメモ帖。実にステキな意匠。素朴な竹片を留め具として使った巧みさ。大げさに言えば息を呑む思いでした。丸い抜き型で表紙に当たるベロ部分に穴を開け、その位置に合わせて抑えの下紙に切れ目を2本入れ、ブータンのどこにでも生えていそうな竹を薄く削いだ竹片で挿して留める。

 う〜ん、なるほど、いい感じ。裏返したり、かざしたり、実際に使ってみて、そうか、この留め具である竹片は簡単になくしてしまいそうだなあ。紛失すると綴じられなくなって困るなあ。この一点を中心に考えを巡らし、そうか、足袋の留め具などに使われている「コハゼ」ならばいけるんじゃないかと、さっそく試作をしてみました。ちょうど手元に和綴じ用の帙(ちつ)に使うササコハゼ(小さなコハゼという意味)があり、また、解いたばかりの着物地がありましたので、この着物地を洗い張りし、和紙を裏打ちして、メモ帖のカバーとして試作してみたんです。

 作り方の要領がわかってくると、もっともっと作ってみたくなって、初めは書道用の半紙をカットして厚さ10mmに束ねてからメモ帖サイズに裁断。それを四つ目綴で製本し、そのサイズに合わせてメモ帖カバーを作ってみたりしたのですが、書道用半紙を裁断するのに一苦労。

 そこで近くのロフトに行ってメモ帖をいろいろ購入してきて、サイズを測り、型紙を作ってみたんです。メモ帖と一口に言っても、いろいろなサイズが市販されていたんですね。で、一番出回っていて安価なB7サイズのメモ帖をもってボクのメモ帖基本サイズとしました。

 布の柄も着物地以外に、リバティなどの花柄も和装本を作るときの控えで持っていたので、それらでも作ってみました。B7のメモ帖が1冊10円、3センチにも満たないササコハゼが1個50円。製作費用中でなんと一番高い値段がササコハゼとは。いよいよ日本から日本的なものが姿を消していくのがわかります。でも、こんなに高いんじゃあ、使わなくなるのも仕方がないか。そういえば、足袋ってここ30年、履いたことがなかったなあ。あ、いやいや、農作業では重宝している地下足袋は毎週履いているし、この5年で3足目だし。でも地下足袋のコハゼは金具だしなあ。これが象牙製のササコハゼだったら、一つ1000円はするだろう。いま手元にあるササコハゼも、きっとなにかの大型動物の骨だとは言え、値上がりする前に買いだめしておこうかしら。

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↑留め部分はこんな仕掛けになっています。右がブータン製、左が長谷川製。

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↑ササコハゼをはずしたところ。

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↑もっとたくさん作ったのですが、この中では左から2番目の縞柄がお気に入りです。
# by 2006awasaya | 2013-09-25 22:43 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[208=今年の収穫]

2013.9.24(火)
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↑2反4畝の田んぼにはコシヒカリを、この5畝の田んぼにはミルキークイーンを田植えし、今年も夏の日照りと夏の終わりに来襲するだろう台風に脅えながらも、除草に励み、ご覧のとおりの収穫をこのメンバーで得ることが出来ました。風通しよく、刈り取った稲ワラを乾燥させるにはハサ掛けにまさるものはなく、かつては日本のどこにても見られた、しかしながら今ではほとんど見られなくなったお米の国のシンボル、ハサ掛けです。そのハサ掛けを背景に、気持ちよきメンバーと今年も無事稲刈りを済ませることが出来ました。

今秋も佳き実りでした

 飯島農園のエントランス脇には神田(「しんでん」と読みます)と呼んでいるおよそ5坪の田んぼがあります。われわれが米づくりに挑戦している八千代市の田んぼの田植えをした5月25日(土)の朝、この神田にて伊勢神宮の外宮神前祝詞を上げ、本年の豊作を祈願したものです。

 ふだんは神も仏も信じていないにもかかわらず、まことに勝手そのものですが、この時ばかりは丁寧に奏上した祝詞の効果があったのでしょうか、約4カ月後の9月14日(土)に約2反の稲刈りをし、一週間後の9月21日、22日、23日の連休に脱穀を済ませました。惚れ惚れするくらいの出来です。

 脱穀作業を始めるに当たって、脱穀初日の早朝、神田の稲刈りをし、生け垣をハサ掛けに見立てて稲束を干し、豊作御礼の祝詞をメンバー全員で神妙に伊勢神宮内宮神前祝詞を奏上しました。

神風の伊勢の国
折鈴五十鈴原の底津石根に
大宮柱太敷立高天原に比木高知て
鎮座坐す掛巻も稜に尊き天照皇大神
亦の御称は憧賢木厳之御魂天疎向津比売之命
亦の御号は天照大日霊之命の大朝廷を祝斎を云巻も畏加礼ど
天津日嗣知食皇命の大御代を
常磐に堅磐に護り奉り給ひ
現き青人草をも恵み幸へ給へる広く厚き御恩頼に
報ひ奉ると称辞竟奉りて拝み奉る状を
平けく安けく聞食と恐み畏みまをす
(伊勢神宮の内宮神前祝詞)


 その後、八千代市の田んぼに移動して脱穀作業を開始、3日間で2.4反の脱穀を済ませました。丁寧に慎重に稲刈りと脱穀をしたつもりでも、田んぼには稲刈り時に刈り残されたり、結束もれでこぼれてしまった稲穂が散見。これらを、ミレーの落ち穂拾いに倣い、一本一本拾い集めると一握りの稲束にもなるんです。毎秋、こうして拾い集めた稲束を我が家の一番目立つ場所に掲げ、実りに感謝を捧げるのです。

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↑5年分の稲束です。写真右が本年産の稲束。

 それがこの写真ですが、なんだか年を追うほどに稲束が太ってきているようで、本年分の稲束を脱穀して籾摺りし、精米すれば、きっとご飯茶碗三杯の銀舎利になるんじゃないでしょうか。

 それはそうと、本年分は籾状態でまだ玄米になっていませんが、玄米になった時点で今年のお米の粒を1000粒数えて重さを計ってみたくて、いまからワクワクしています。頭を垂れた稲穂の具合を見る限り、粒が大きいのです。しかも肉厚な感じがしています。ふつうに炊いてもふっくら美味しそうなお米の予感がしています。昨年のお米は台風で倒伏したり、水管理ができなかったりで、小さく肉厚も薄かったりで、その証明としては1000粒の重さ、これを業界用語では「千粒重」と言うのですが、20gちょうどでした。1000粒で20g。千葉県の標準千粒重は20.4g(コシヒカリ)に比べても下回っていて、実際のところ粒の小さなお米だったのです。去年のボクのブログ[192=1000粒、カウントしました!])とその前年のブログ[171=3年目の稲穂])にも書きましたので、参照してください。
 それが今年の粒はまったくの憶測ですが、21gはありそう。はやく玄米を分けてもらい、1000粒を数えたくてうずうずしています。
# by 2006awasaya | 2013-09-25 21:15 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[207=三陸通信4●ご一緒、しませんか]

2013.9.2(月)
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↑三陸へ漁師さんたちの話しを聞きに行くツアーの2013年度版A4案内文です。

ひょっこりひょうたん島へ

 顔を合わせるたびに飯島さんから、「釜石小学校の校歌、知ってます?」と問い掛けられた時期がありました。先月も、先々月も「知ってます?」と聞かれ、そのたびに、「ええ、聞いたことはあります!」とか「震災後に、知りました」とか「飯島さんに聞かれて、ユーチューブにたどりつけ、聞くことが出来ました」とか、返事の内容を少しずつ変えながらやり過ごしてきましたが、実際のところは少しばかり鬱陶しかったのです。世の中の想定問答集は、きっと、この鬱陶しいと思う気持ちを相手に伝えつつも、正面切って「ああ、鬱陶しい」と言葉にしては言い出せず、初めて聞かれた時の感情の複雑さを目許に漂わせつつ、いい時に気の利いた質問をしてくれましたねと、表情全体を解凍させ、「同じ問題意識を共有していますよ」という気持ちを伝えることに終始しているはずです。青天の霹靂なんていう熟語は、深い思索の末に解答がつかめず、その無念の浪費に対して白旗を揚げることであり、そもそも、事前の周到な想定なしには使えない言葉ですから。

 何回目かに問われた後、想定の域内で足踏みしたまま、ボクは少しも問われたことに対しての新たな深化も進化も見せていないことに気付き、唖然となったのでした。「とにかく返事を返すことが大切で、少なくともその礼儀だけは失することはなかった、ああ、よかった」と安堵しているような、弛緩した自分を見る思いでした。お返事ロボットと化していたのです。
 飯島さん、お許しください。

 少し、ボク自身のことをおしゃべりします。
 ボクが通った小学校の校歌はどんな歌だったか。ぼんやりながら覚えているのは、歌い終わりの句が「西小岩」と繰り返される歌詞だったこと。そのことははっきり思い出せるのです。結構しつこく覚えています。通った小学校は江戸川区立西小岩小学校。社会に出るまでは東京都江戸川区小岩に住んでいましたから、地元の同級生とたまに道で出会うこともありました。まさか校歌を歌うと、仲間意識が確認できるなんて考えは、はなから持ち合わせてもいませんでしたが、なんらかのつながりを必要とするときには、校歌の最後のフレーズを口ずさめば、それだけで結構満足できたものでした。

 家の前を改正道路、いまは蔵前橋通りと言われている幅の広い通りですが、小岩駅北口の西で二股に分かれて、一本が当時は工事中でしたが、この工事中の道が新小岩を経由して平井大橋へと進む道、もう一本が四ツ木街道となって奥戸方面へと向かうのです。その分岐あたりを六軒島といいました。その六軒島に交番があり、交番と石屋さんの間の、細く曲がりくねった道を入っていくと、西小岩小学校の裏門に出ました。石柱の門扉を入ると、右手は民家が校庭に出張っていて、左手に木造の小屋があり、のちに図書館になったり、壊されてプールになったりしたのですが、ボクの記憶では卒業するまでは図書館だったような気がしています。校舎は逆L字の木造2階建てでした。

 ところが、風景は思い出せても、さて、校歌の歌い出しはなんだったのか、思い出せないのです。3部で構成されていた校歌の歌い終わりだけは鮮明に思い出せるのです。1番は「ああ うるわしき 西小岩」、2番は「ああ きよらけき 西小岩」、3番は「ああ かぎりなき 西小岩」。小岩町の西の一画をそんな高らかに誇らかに歌ってよいものかと、すこしばかり引いた気持ちで地名を斉唱して終える校歌だったのですが、はてさて、どうやっても全体が思い出せないので、ネットで検索すると、なんとまあ、便利な世の中になったものです。歌詞と曲が紹介されていて、そうそう、こんなメロディだったと、当時の細々した事柄もいっしょにくっついてきて、おかげで60年前の江戸川区西小岩の風景がマダラ模様とは言え、部分的には昨日のことのように鮮明になってきています。

江戸川区立西小岩小学校 校歌(詞=野村旻 曲=下総皖一)

1、朝日は昇る 青空に
  雲かとまごう 桜花
  学びの園に 咲きみちて
  ああ うるわしき 西小岩
2、け高き富士の 嶺遠く
  緑あやなす 木の葉かげ
  学びの窓に 照り映えて
  ああ きよらけき 西小岩
3、流れ果てなき 江戸川の
  水際に巣立つ 羽ばたきは
  学びの里に こだまして
  ああ かぎりなき 西小岩


 木造校舎の2階から、校歌に歌われたとおり、気高き富士山がシャープにすそ野を広げて見えていましたし、江戸川下流に東京湾へのショートカットフローとしての江戸川放水路の開削建設も姿を現しはじめ、さらには湾曲して流れる中川の洪水対策だったんでしょうか、新中川という定規で筋を引いたような直線的な新規の河川開削もぼぼ同時期に着工され、生まれて初めてみる巨大マシーンが動き回る工事現場には日曜日ごとに見学に行った覚えがあります。
 校歌に歌われていた「果てなき江戸川」までは家から歩いて20分くらいでしたし、江戸川に架かる鉄骨トラストの市川橋を渡って国府台までよく遊びに行ったものでした。その市川橋を渡る際、大型のトラックが通るたびに橋梁全体が激しく上下に揺れて、とても怖かったことが思い出され、そんな危険を冒しても、緑なす川向こうの国府台は魅力的な遊び場でした。

 序でと言ってはなんですが、中学校の校歌も思い出せる範囲でやってみると、なんとこちらは歌詞は覚えているのですが、メロディがどうやっても出てきません。わずか55年前のことにもかかわらず、ああ、どうしたことでしょう。小学校の校歌は思い出せて頭の中がすっきりしたというのに、中学時代はまるで暗闇。
 駄目モトでこちらもネットで検索すると、出てきました。しかもメロディもです。

千代田区立一橋中学校 校歌(詞=本校国語科 曲=国枝重寿)
 千代田の杜の緑濃く
 学びの街に生い立ちて
 まことの道を求めつつ
 集いは固し一橋

 理想の灯ははるかまたたき
 つとむる心に希望はあふる

 朝夕を師と共に
 文の林を分け入りて
 ああ向上の径拓かん


 昭和37年(1962)3月に、たしかにこの中学校を卒業しているのですが、こんなドラマチックなメロディだったとは、少しばかり驚きました。一節目の「千代田の杜」はフラットに、重々しく、二節目の「心に希望はあふる」になると一転、転調して甲高い高音で盛り上がり、そしてつづく第三節の「径拓かん」では胸を張り太い声で、なにかしらの決意を表明するぞ、そんな虚勢にも似た起伏あるメロディラインでした。ただし、この校歌を繰り返し何遍聞いても、かつて斉唱したはずなのに、歌えないのです。再現能力がまったく欠落してしまったのでした。ああ、困ったものです。

 そもそも、学校に対してのボクの希薄な思いから言うと、飯島さんが篤い思いでしきりに問いかけてくれた「釜石小学校の校歌」はなんとも新鮮で強烈でした。
 第一に西小岩だの千代田の杜だの、特定の地名が出てこないのです。地名が出てこないということは風景を描写する必要がないので、つまり、富士山とか西小岩などの地名がそもそも出てこないので、美しいとか、気高いとかの形容詞が登場しないんです。
 そのかわり、全編、どのように生きたらよいか、どのように話したらいいのか、具体的な動詞で構成されているのです。さらに、困ったときはどうしたらいいのか、具体的な動作が明示されていて、たとえば、「目をあげて、あわてずに、手を出して、ともだちと手と手をつないでしっかり生きる」と書かれている。骨太に生きるための指針そのものです。さすがに井上ひさしさんの文章でした。肉を削いで骨格だけで自律するジャコメティの彫刻。あの強靱な自律を思い浮かべてしまいました。

岩手県釜石市立釜石小学校の校歌
 いきいき生きる いきいき生きる
 ひとりで立って まっすぐ生きる
 困ったときは 目をあげて
 星を目あてに まっすぐ生きる
 息あるうちは いきいき生きる

 はっきり話す はっきり話す
 びくびくせずに はっきり話す
 困ったときは あわてずに
 人間について よく考える
 考えたなら はっきり話す

 しっかりつかむ しっかりつかむ
 まことの智恵を しっかりつかむ
 困ったときは 手を出して
 ともだちの手を しっかりつかむ
 手と手をつないで しっかり生きる


 この釜石小学校の校歌の詞を味わいながら、歌いながら、定員20名のバスで三陸へと向かう。これが今回のバス旅行の一つの目標でもあるのです。
 いかがですか。いっしょにこのバスに乗って、蓬莱島が浮かぶ大槌町大槌湾を訪ねます。ご一緒しませんか。袖触れ合うも他生のご縁です。10月19日(土)20日(日)の1泊2日のバス旅です。
 蛇足ながら、蓬莱島は井上ひさしさん作の「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島です。
# by 2006awasaya | 2013-09-02 15:11 | 真剣!野良仕事