【真剣!野良仕事】[206=三陸通信3●なにゆえ三陸?]

2013.8.1(木)

そもそもなにゆえ三陸なんですか?

■糸の発端■

 飯島農園の園主・飯島幸三郎さんは「海」への強い憧れを持ちつづける農業人で、ちょっと気取って「空海山」とサインしたりするオシャレ心も持ち合わせています。岩手県陸前高田市出身の水産学者・小松正之氏(政策研究大学院大学教授)とは3.11東日本大震災以前から交遊があり、東日本大震災直後、小松氏に次のような相談事を持ちかけたのだそうです。
「壊滅的な津波被害に見舞われた三陸沿岸の漁師さんたちに、海への恩返しというつもりもあり、我々が収穫した野菜を送りたいのですが、どうしたものでしょう。畑の仲間にも、同じような思いをいだいている方も多く、それで小松先生に相談した訳です」。
 すると、小松氏からは、
「陸前高田、大船渡ともに大きな被害があったところです。それぞれに知り合いがいますので、その方々の連絡先をお知らせします。そちらに送ってください。きっと喜んでもらえます」と。

 掻い摘まむと、このような経緯で、飯島さんと三陸の漁師さんとの付き合いが始まったのでした。

 さて、3.11東日本大震災の直後から、個別でボランティアに現地に入る方、支援物資を町会レベルで収集発送する方、勤務する企業内で支援チームに参加する方など、さまざまな立場と考え方で応援支援されてはいるものの、飯島農園の「畑の仲間」として支援できることはないのかと、小さな声を上げた女性がいました。
「船橋でも耕作放棄の田んぼや畑が目に付くようになり、こうした空き地を利用して、被災地へ農薬を使わない新鮮な野菜を送ることができないか」と提案したのです。
 飯島園主の賛同を得て、数人の有志で、「被災地も夏は暑かろう。気分も滅入っているに違いない。そんな鬱憤を発散してもらえるような、例えばスイカを作って現地にお届けできたらいいのになあ」と、スイカプロジェクトを組み、飯島農園の一画を提供していただき、スイカの苗を定植し、盛夏を迎える前に収穫。送り先については小松氏から連絡のあった、陸前高田と大船渡の漁師の皆さんへ、お正月の福袋のようなサプライズも味わえるようにと、段ボールの中央にスイカを据え、その周囲に白ナス、エダマメ、キャベツにトマト、オクラにニンジン、ジャガイモなど畑の仲間の自慢の成果を持ち寄り、畑のメンバーでもある阿部冨美子さんの絵手紙やハーブ畑を管理する吉本フジ子さん手作りのヨーロピアン匂い袋「サシエ」、ペットの豆本などを同封して発送したのでした。

 これが2011年7月下旬の第1便でした。さらに8月中旬に第2便、第3便と段ボールに梱包して発送。

 2012年に入り、昨年同様、野菜類を被災地へ届けようと、スイカ、メロン、夏野菜などに加え、竹とんぼ、豆本など、各メンバーの持ち寄った野菜以外の小物も段ボールに詰め、この8月中旬に発送したのでした。

 ところが、発送した直後から、「自分たちが送った野菜類が、はたして現地の方々に喜ばれているんでしょうか。ほんとうに現地の方々が必要とされているものをお送りできているのでしょうか。そのあたりを確認しないまま、一方的に送り付けて、はたしてよいものか」という自問問答がメンバー間で交わされ、これを受けて8月下旬に飯島園主が陸前高田・大船渡におもむき、津波被災地の現状を見聞しつつ漁業関係者と懇談。

 船橋に帰ってきて、その折の印象を次のように説明したのでした。

「野菜類をお送りした陸前高田の区長・伊藤光男さんに会ってきました。カキ養殖の漁師さんとも話してきました。いままでメディアで報道されていることと、現地で見たことには大きな違いがありました。私たちがお送りしたわずかな農産物も、とても喜んでいただけたことがわかりました。そして同時に、現地の漁師さんと直接、もっと時間を気にせずに話をする機会が欲しいなあと、強く思いました。そこで畑のメンバーを募って、もう一度お訪ねしていいかと聞いたところ、おおいに歓迎すると言われ、それで懇親会を企画したのです」と。

 さっそく、畑のメンバーを中心に、2012年11月3日(土)と4日(日)の1泊2日小旅行参加を募った次第です。
f0099060_1737767.jpg

↑昨年2012年の三陸へ漁師さんたちの話しを聞きに行くツアーのA4案内文です。とても盛況でした。

 出発日の1週間前に、「ちばコープ」「おいしい野菜公園2007」のメンバー22名を核とする総勢35名が飯島農園のサツマイモ畑に集合し、サツマイモ掘りに協力。後日、米袋に12kgのサツマイモを詰めた合計25袋と本年2月に仕込んだ味噌5kg樽4つを、当日の朝、マイクロバスに積み、11月3日(土)の6:30、15名を乗せて飯島農園を出発し、柏駅にて3名を拾い、総勢18名で常磐道、東北道を走りに走り、14:15、待ち合わせ場所とした岩手県陸前高田市の海辺に近い駐車場にて区長の伊藤光男さん、第八丸吉丸の吉田善春さんと合流。
 伊藤さんの案内で陸前高田の津波被害による現況をご案内いただき、陸前高田物産センターに立ち寄り、地場産品購入。つづいて東隣する大船渡市へ移動。こちらもまた津波被害は凄絶で、我々のマイクロバスに同乗された伊藤さん・吉田さんの説明を、ただただ謹聴するだけでした。


■はたしてお役に立ったのか■

 民宿海楽荘の新館大広間で我々18名を迎えてくれたのは以下の方々でした。

 伊藤光男さん(陸前高田市・区長)
 吉田善春さん(陸前高田市・第八丸吉丸)
 瀧澤英喜さん(大船渡市・三陸漁業生産組合長理事)
 遠藤誠さん(大船渡市・三陸漁業生産組合理事)

「2012年の夏、こちらに来たおり、さきほど陸前高田をご案内いただいた伊藤さんから、首都圏の方々が何を考えているのか、知りたいと思っているし、逆に、我らが何を考えているのか、聞いてくれることで、復興復旧に向けての我らの考えも整理できるということをおっしゃっていまして、それで仲間を募ってまいりました」と飯島さんが挨拶の口火を切り、「私ども畑の仲間を代表して、おいしい野菜公園2007の事務局を預かっている尾上清義さんからこの懇談会の趣旨を説明してもらいます」と、尾上さんを紹介。
 尾上さんの挨拶は簡明で、畑の仲間のこと、昨年今年と続けてきた支援応援の内容を説明し、「今後も、船橋で野菜を作り、津波被害の中で立ち上がろうとされている皆さまのお力になれるか、なんとも頼りない我々ですが、精一杯のことをこれからも続ける所存ですので、どうかよろしくお付き合いください。また、そうすることで飯島さんが築いてきた三陸のみなさまとの絆を強めることにもなるので、現地の実情を細大漏らさず見聞して帰りたいと思います。しっかり聞いて帰ります」と挨拶。

 続いて伊藤さんが立ち上がり、白髪をかき上げてから一礼。
「本日、みなさまのバスに同乗して陸前高田の中心部をご案内した伊藤です。やっと瓦礫撤去が済んだといった状態です。復旧も復興もまだまだこれからです。震災から1年半が経ち、まもなく二度目の冬を迎えるところです。みなさまから届けられる野菜類がそんななかで、なんとも嬉しく、ありがたく、私、区長をしていますが、仮設にお住まいの方々にひとつひとつ説明しながら配るんです。去年は我々が見たこともない、あれはなんというナスでしょうか、大きなグリーンの、白ナスというんでしたか、あれが珍しくて、こちらではお目に掛かれない珍しいナスでした。いっしょにレシピが入っていまして、輪切りにしてステーキのようにして食べるとウマイって書いてあったので、そのとおりにして食べたです。みんなうまい、うまいって。ほんとうにうれしく、おいしくいただきました。ありがとうございました。被災地ではこうした繋がりが嬉しいものなんです。飯島さんをはじめ、わざわざ三陸まで来ていただいて、ほんとうに嬉しい限りです」

 続いて立った吉田さんからは、震災直後の話が披露されました。
「自分はカキやホヤを養殖している漁師です。地震を感じて、すぐに船で沖に出ました。大きな波を二つ越え、沖へと逃げました。ものすごい波でした。津波の波です。考えるのも恐ろしい大きな波です。陸ではもっともっと恐ろしいことになっていたんですけど、筏もなにもかも流されていまに至ります」

 遠藤誠さん、瀧澤英喜さんもそれぞれ自己紹介をいただき、懇親会が始まりました。

 座を替えながら、津波の話をうかがおうと吉田さんの横に座り、あらためて挨拶を申し上げましたら、
「伊藤さんが挨拶の中で白ナスの話をしてましたでしょ。竹とんぼも喜ばれたですよ。オモチャなど、何もかもを失った子どもたちが喜んだと思うでしょ。あはは。そうではなく、大人たちが喜んでね。だって、子どもたち、遊びかたが判らないです。どうやって遊ぶものか。そう言えば教えなかったなあって。大人たちはそれで子どもたちといっしょに遊べたわけよ。いっしょに遊ぶのって、あの時以来ほとんどなかったもんで。今年いただいた野菜の中の竹とんぼ、嬉しかったなあ」

 この吉田さんの披露された竹とんぼのエピソードは、まことに意味の深い話でした。

 船橋にいて、あれは喜ばれるだろう、とか、こんなものはゴミになってしまうに違いないし、かえって失礼かもと憶測を巡らすことは、ほとんど意味のないことだったのです。ゴミとなって処分されようとも、考え過ぎて送らずにいることのほうが問題だと思いましたが、こうした点については余計な判断をする前に、まずは実行が先という理解が妥当だと思います。

 実はボクは趣味で豆本を作っていまして、被災地にも犬や猫が好きな方はたくさんいらっしゃるだろうしと、犬と猫の自家製豆本を数冊、スイカの脇にしのばせたのです。
 先ほどの吉田さんの話の続きです。

「竹とんぼのついでと言ってはなんですが、かわいいペットの小さな本が野菜といっしょに入っていましてね。うちの子が犬が好きなもんで、めざとく見つけて、わあ、可愛いって。夢中になって読んで、家族全員で回し読みし、いま、だれんところにあるか分かりませんが、あの本も嬉しかったなあ」

 この吉田さんは、飯島さんが最初にコンタクトした海洋学者の小松正之氏と同級生なのだということも、おしゃべりを聞くうちに分かりました。


■思いを引きずったままに■

 翌日の朝、囲碁の黒石を敷き詰めたような碁石浜に下り、さらに、碁石岬の突端を巡り、区長・伊藤さんの先導でふたたび陸前高田へ。前日、現地案内のために待ち合わせた駐車場にて、あらためてサツマイモとお味噌のお礼を言われ、お別れしました。

 この日も前日と同じく快晴。国道45号から284号を走り、東北新幹線の高架をくぐり、一関市街に入り、平泉の中尊寺へ。境内は大混雑。信仰と観光が同居する世界遺産で、金色堂を拝観して早々と帰途に就きました。
 この帰途のバスの車中で隣り合わせた秋山さんと、常磐線柏駅で下車するまでのおよそ6時間、今回の三陸行についてしゃべり続けました。

長谷川 印象に残ったことからおしゃべりしませんか。ボクは復興復旧が掛け声ばかりで、現地ではいっこうに進んでいないことに正直、驚きました。震災の年の10月中旬に、遠野のボランティアセンターから陸前高田市の長部地区へ、そして津波被害の甚大だった大槌町の赤浜地区と、瓦礫撤去作業の一員として、高校生の息子を連れて入ったことがあります。その折に見た風景と、今回、伊藤さんにご案内いただいた陸前高田の風景がほとんど変わりがなかったという印象が強く、復興復旧が思った以上に進んでいないと感じました。国があれほどの予算をかき集めても、こちらに使われていないという印象を持ちました。秋山さんは今回、どんな印象を得ましたか。
秋 山 僕は飯島さんが三陸行きのために配ったA4の案内文に、「被災された方々と腰を据えて話をすることが、なによりも大切だ」と書いてあったのですが、そのフレーズどおり、伊藤さんでしたか、現地の方とほんのわずかとはいえ、お話しすることができ、とてもよかったです。現地の方の話をしっかりと聞くということの大切さ、とでも言ったらいいでしょうか。
長谷川 まさしくそのとおりですね。ボランティアで現地に入っても、なかなか被災された方々と直接お話しすることは難しいと思います。質問すること自体がはばかられる。写真を構えてシャッターを押すことも憚られる。遠野では写真を撮れても、陸前高田の一本残った松の木も、大槌のひょっこりヒョウタン島のモデルになったと言われている沖に浮かぶ小島さえ、写真に撮って持ち帰れませんでした。写真を撮ることすら憚っているのですから、我々外部の個人がお手伝いできることは限られていて、道路脇の側溝清掃とか、津波に襲われた畑での瓦礫分別とか、ごく限られた作業を限られた時間で終えると、ボランティアスタッフリーダーの合図で、現場に一礼。ボランティアセンターのある遠野に引き上げる。現地の方々は現地の方々で、やることは山ほどあり、ボランティアスタッフはそうした現地の方々を気遣いつつ、黙々と清掃作業をする。個人レベルでの交流というチャンスは、むしろ成り立たなくてもよいのだという思いが強くあったので、ボクもいま秋山さんが指摘したフレーズに惹かれて参加したんです。
秋 山 それから、飯島さんたちが今回自分の畑から収穫して持ってきた農産品、おイモでしたか、「これ、私たちが作ったんです」と手渡せる農産品が、もちろんこちらでもお金を出せば買えるものでも、受け取る現地の方々には、やはり嬉しいのでしょうね、ありがたいのでしょうね。
長谷川 伊藤さんが宴半ばでこんなことを言ってました。「昨年、今年と畑で作ってくれたスイカやカボチャ、トマトやインゲン豆、いろんな品目の野菜を送ってくれて、ほんとうにありがたかったです。自分はそれらの野菜を自分の地区に配って歩くことが役割なので、いただいた農産品を被災家族に、これこれこういう人たちが送ってくれたんだよ、ありがたいことだなあと、健康具合や生活ぶり、困っていることはないか、チェックしながら手渡すのです。すると、受け取るほうも、まったくありがたいなあ、え?船橋かい、その農園があるのは。むかし行ったことがあるよと、話しがどんどん続いていくんです。手渡すモノがあり、そのモノにくっついているエピソードをきっかけに、話しがどんどん広がっていく。そういうごく当たり前の日常会話ができるってことが、無性にありがたい」っておっしゃっていました。
秋 山 そうでしたか。確かにそのとおりですね。過酷な状況ですものね。何もかもが津波で持っていかれて、陸前高田の市役所前に献花台が設けられていましたでしょ。みなさんも合掌してましたし、ぼくも手を合わせて。凄惨な風景のただ中で、しばらく頭の中がほんとうに真っ白でした。
長谷川 ぼくの中の凄惨な風景というと、空襲で被災した終戦直後の東京下町の写真なのですが、その記憶にある写真を見ているようでした。ボクは戦後生まれですから、実際にはそういった風景は知らないのですが、父も母もこの風景の中で歩き回り、暮らしたんだろうと。陸前高田でも気仙沼でも大船渡でも、建物の土台だけがある。間取りがわかる。ここが玄関で、ここは海が見える気持ちのいい居間だったろうな。ここは隠居部屋かな。床にタイルがあるからお風呂場だろうな。土台があって、家があったということはそこにきちんとした暮らしがあったはずでしょ。そうしたことを考えると、むやみに現地の方に話しかけて、心を乱すことにでもなったら、と。それで余計にボクは無口になる。

 帰りの車中で、印象に残っている部分だけを思い返してみましたが、ほかの席に座っているメンバーも、きっと同じような思いでおしゃべりを重ね、あるいは独り三陸の風景を回想していたに違いありません。

 もう一つ、秋山さんのおしゃべりを付け加えます。
 今回の日程中、予定していた大槌行きが、時間の都合でキャンセルされたことです。
 1日目の宿泊予定旅館「民宿海楽荘」に夕刻までに入るために、大槌行きはキャンセルとなりました。懇親会の席に、我々を迎えてくれる現地の漁師さんたちを待たせるわけにはいきません。このことは仕方ないとして、翌日、平泉の中尊寺拝観をキャンセルして大槌にまわるか否かの意向をメンバーに計ってもよかったのではないか、という点です。

秋 山 懇親会が終わり、それぞれ部屋に引け、懇親会で話された事どもを話題に、一献、傾けていましたよね。
長谷川 ええ、ボクはもっぱら川口さん、大村さん、景山さんと夢中でおしゃべりしていました。
秋 山 その席で、ぼくと神辺俊治さんはこの大槌行きキャンセルについて話していたんです。
長谷川 え!そのこと、まったく聞こえてきませんでした。
秋 山 神辺さんが言っていたんです。大槌に行けなかったこと、まことに残念だと。
長谷川 それぞれ、あそこに行って見たい、ここを見ておきたいという思いは、今回参加されただれにもあったでしょうね。例えば、いま運転を担当してくれている細谷さんは、「陸地に乗り上げたままとなっている第十八共徳丸をみなさんに見ておいてもらいたいから」と、中尊寺に向かう途中でもあるしと、気仙沼市に立ち寄ってくれましたし、ボクにも同様の思いがあって、陸前高田のあの美しい高田松原が、ワイドに引き伸ばされ、大きなパネルになって掲示されている「川の駅」があるんです。ちょうど気仙川に沿って満開の桜、その先の海辺には高田松原が横たわっていて、夢を見ているような美しい海岸風景が「川の駅よこた」にパネル掲示されていて、トイレ休憩を兼ねて立ち寄っていただきたいとお願いしたのですが、実現できませんでした。神辺さんの話に戻ると、世界遺産の中尊寺拝観よりも大槌をひと目、記憶しておきたいという思いが強かったのでしょうね。そうした「思いを残す」というか「思いを引きずる」、あるいは「後ろ髪を引かれる」という、残念無念を記憶することも、今回のサブテーマとして、おおいに価値があることじゃないでしょうか。


■無理なく継続する応援■

「懇親会を終えるにあたり、飯島農園に集う者を代表して、ひとこと、ご挨拶申し上げます」と、座を立ち、われわれ18名と現地から参加してくれた漁業関係の4名を前に、こう切り出した尾上清義さん。以下のような思いを言葉にして懇親会を閉じたのでした。
「地元のデパートやスーパーで被災地の物産市があると聞けば、行って購入し、さらに、体力に自信があればボランティアに参加したりと、さまざまなスタイルで、メンバー各人が被災地を支援応援していますが、それ以上に、畑の仲間といっしょに、できる範囲で応援支援を続けていくことが大切だと実感しました。『継続はチカラなり』の喩えをあらためて肝に銘じております。来年も再来年も、農産物を送り続けたいと思います」と。
 その挨拶姿を見上げる区長・伊藤さんの表情がなんとも穏やかで、こう言ってはなんですが、ステキ!でした。

 今年も2013年10月19日(土)〜20日(日)の1泊2日で「三陸懇親会」を企画しています。詳細は飯島さんにお尋ねください。
# by 2006awasaya | 2013-08-01 17:40 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[205=三陸通信2●バーベキューパーティ報告]

2013.8.1(木)

f0099060_17184375.jpg

↑岩手県大船渡市三陸町越喜来の漁師、遠藤さん(左)と陸前高田市の区長、伊藤さん。タコカゴ漁では大変お世話になりました。今年の秋にもまたお伺いします。

話の糸口

 タコカゴ漁に乗船させてくれた漁師の遠藤誠さんとは、どんな方なのか、興味が湧くでしょ。三陸漁業生産組合の理事も務める進取の漁師さんなんです。「三陸のタコ漁 乗船記」でも分かるとおり、笑顔がステキで、瞳に力があり、そしてなにより、両の手が大きく力強いこと。まさしく漁師さんの手なんです。この分厚な両の手で握手をされると、全身を大きなパワーで包みこまれるような、ム、なんだこの安らぎはと、不思議な感触が伝わってきます。右手だけを差し出し、シェイクハンドする儀礼的な握手でも、ふだんからその習慣がないだけにドギマギしてしまいますが、遠藤さんの場合は左手も加わりますので、圧倒的なたっぷり感におぼれてしまいそうです。

 ところで、遠藤さんが理事をされている「三陸漁業生産組合」については各自で調べてみてください。
 ボクがweb上で調べた範囲で申し上げると、この新しい漁業組合を突き動かしているキーワードは「6次産業化」でしょうか。

 漁業は農業・林業と同じく自然に対して直接働き掛けることで業を産み出す「1次産業」に分類されています。1次産業で生み出された産品に加工という価値を付与して業となす「2次産業」は、漁業関連では「水産加工業」です。この水産加工品を魅力的に組み合わせるなど、さらに魅力をシェイプアップする産業を「3次産業」といいます。ここまでは産業構造を分かり易く説明する分類学に過ぎません。三陸漁業生産組合が進取だというのは、1次+2次+3次=6次という新しい視点と考え方で三陸の海を見詰めたところにあるのです。自分たちは魚を獲る人、加工するのは別な人がやり、加工品はさらに別な人が売るのでは、震災前の自分たちの姿と同じではないか。自問自答を繰り返すうち、同じような視点と考え方を共有する仲間が増え、さらに知恵を出し合い、新しいスタイルを作り上げた。それが三陸漁業生産組合なのです。
 漁もすれば、加工もし、まったくの新規分野に売り込みもする。
 勢いが第一からして違います。
 応援団も増えてきた。
 飯島さんも、実は応援団の一員だったのです。

 話がなかなかバーベキューパーティに辿り着けませんが、もうしばらくお付き合いください。
 そもそも、なにゆえに三陸の漁師さんなのか、この最初の一歩を説明しておかないことには、船橋から600km離れた岩手県陸前高田と大船渡市三陸町越喜来を結ぶ糸が見えてこないと思います。その最初の結び目について、2年前からのエピソードを真剣!野良仕事[206=三陸通信3]にまとめましたので、そちらを読んでいただければと思います。飯島さんの頭の中で結び始めた「農業と漁業の共生」というイメージが少しずつ形になってきていると思います。

 さてこそ。調達した三陸の食材へと話しをやっと進める下準備、いやいや舌準備が出来たようです。写真をベースにバーベキューの様子をスライドショーにしていきましょう。

f0099060_1720180.jpg

↑発泡スチロールのトロ箱には、三陸の海の幸。白い腹を見せているのはナメタガレイ、その下にはカジカ、口から空気袋を出しているのは深い海にすむドンコ、かな。これとは別に、タコと、組合長理事の瀧澤英喜さんからいただいた毛ガニもいっしょに船橋の飯島農園竹林のバーベキュー会場へと発送された。

f0099060_17202084.jpg

↑発泡スチロールのトロ箱の蓋を閉める前に、海水を凍らせて作った砕氷を詰める。真水の氷と比べると、はるかに鮮度を保つ能力が上とか。小さな氷を一つ摘んで口に含むと、しばらくして溶けだし、確かに口の中が海になった。

f0099060_17201392.jpg

↑船橋に届いた大きな毛ガニ。瀧澤英喜さんからは茹で方のポイントを伝授されたので、この日、調理を担当する大村さんと川口さんに携帯で、瀧澤さんから聞いたとおりの内容を直接、伝えました。「毛ガニの腹側に塩を擦り込んでから、多めの熱湯で茹でてください。茹で時間は15〜20分。ポイントは塩を腹側に擦り込むこと。これだけを守ってもらえれば、三陸の毛ガニの美味さは分かってもらえます」と。

f0099060_17204155.jpg

↑タコの茹で方も、遠藤さんから詳細なノウハウが伝授された。「大きめの鍋に熱湯を用意する。湯が煮立つ前に、タコの表面のヌルを塩揉みして取り除いておく。水洗いしてからタコを熱湯に。だいたい5分から7分。箸で突いて、通ればOK。火傷しないようにタコを湯からあげ、氷水に浸ける。家庭用の冷蔵庫の氷よりはコンビニなどで売っている氷があったら、それのほうがいい。一匹目を茹でたら、煮汁は捨てずに、足りなくなった分を足して、また同じように茹で、氷水で冷やす。本当は一匹目を茹でる時、番茶を入れるのがいいんだ。番茶の葉っぱを布の小袋にいれて、いっしょに茹でるのね」と。

f0099060_1721455.jpg

↑飯島農園竹林のバーベキュー会場。左から調理担当の大村悦子さん、金子さん、阿部さん。

f0099060_17213087.jpg

↑ビールの肴として絶大な人気を集めたのがこのナマコ。大村さんは、「これにレモンの輪切りが入ると、小さい頃にお袋が瀬戸内で獲ってきて食べさせてくれた味になるんですが」と。

f0099060_17215293.jpg

↑しゃれたレストランの一画に見えないこともありませんが、ただコンパネを渡しただけのテーブルです。集う人物がステキだと、雰囲気もステキに見えるから不思議だなあ。

f0099060_17221417.jpg

↑時間ぎりぎりでバーベキュー会場に滑り込んだ三陸調達組の風戸、長谷川と、会場準備担当の阿見さん。

f0099060_17231654.jpg

↑いつ見てもステキな笑顔の阿部さんご夫妻。

f0099060_17232798.jpg

↑素麺流しで盛り上がるハーブの吉本先生(手前)とブータンから帰ってきたばかりの川口さん。

f0099060_17233833.jpg

↑大槌に行きたかったと思いを残す神辺さん。

f0099060_17235816.jpg

↑畑ではいつもアドバイスとサポートをいただいている小林さん。

f0099060_17242348.jpg

↑川上で大半が捕獲されてしまい、川下ではほとんど収穫なしの素麺流し。凄絶な争奪戦は、むしろ子どもたちにしっかりと見せておくほうがいいのかも。


 いやあ、ことしも竹林バーベキューパーティは楽しかったですね。三陸の漁師のみなさん、おいしい野菜公園2007関係各位、そして飯島さん、ご苦労様でした。
# by 2006awasaya | 2013-08-01 17:31 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[204=三陸通信1●タコ漁体験報告]

2013.7.30(火)

三陸のタコ漁 乗船記

 三陸のタコ漁船に乗ってきました。タコ壺を使うのか、釣りをするように釣り針にエサを付けて獲るのか、それともタコが大好きな伊勢エビをオトリにしておびき寄せ、モリかなにかで突いて獲るのか。ボク自身なんの予備知識もなく、飯島さん、風戸さんに同行して第五崎浜栄丸に乗船し、なんのお手伝いも出来ないまま、その様子をカメラに収めてきたのです。
 まずはその一部始終をご覧ください。

タコカゴ漁一部始終

f0099060_21534167.jpg

↑【5:10】この日、2013年7月26日(金)の早朝、大船渡(おおふなと)市の越喜来(おきらい)湾に面した浜崎漁港からタコ漁に出る面々です。右から飯島幸三郎さん、伊藤光男さん、遠藤誠さん、風戸邦彦さん。撮影者は長谷川智昭です。海は穏やか。ただし、濃い霧が立ち籠めていた。

f0099060_21535554.jpg

↑【5:46】濃い海霧が立ち籠める中、越喜来湾の湾口に当たる大塩岬、首崎と廻り、最初のポイントに到着。このポイントへはGPSで確認しながら船を走らせていたが、長谷川と風戸は船尾に座って海を眺めるのみ。およそ30分後、ポイントに到着。この赤い旗のブイが目印。

f0099060_21543534.jpg

↑【5:48】船を前進後進と微調整しながら、赤い旗を結んだブイに近づけ、船上に引き上げる船長の遠藤さんと伊藤さん飯島さん。発泡スチロールとはいえ、とんでもなく重い。船上に引き上げると、このブイに結ばれたロープが深緑をした海の底から現れる。

f0099060_21545691.jpg

↑【5:56】ロープは何人が束になろうと人の力では巻き上げることなど出来ないが、巻き取り機にロープをセットし、巻き上げボタンを押すと、低いうなりを上げてタコカゴが現れる。最初のカゴが上がってきたが、タコは入っていなかった。

f0099060_2156425.jpg

↑【6:00】ロープには18m間隔でタコカゴが結ばれている。5カゴ目だったか、大きなタコが入っていた。カゴからタコを取り出すだけでも大変な作業だが、この大きなタコを水色の蓋付きバケツに入れるのも一苦労。蓋をとり、10kgはあるタコを入れ、素早く蓋をする。

f0099060_21564423.jpg

↑【6:02】タコカゴの中央に、エサのサンマを頭から刺している伊藤さん。背を上に、腹が下になるように刺すと、海底に下りた時、泳いでいるように見えるらしい。揺れる船上でこの作業をするのはなかなかに難しい。しかも次から次にこなしていかなくてはならない。

f0099060_2157669.jpg

↑【6:10】船は自動運転にセットされていて、引き上げ作業に専念できる。遠藤さんはカゴの引き上げ、伊藤さんはカゴの清掃とエサのセット、飯島さんはバケツにタコを入れる役割を勝ち取ったようだ。海に生きる男達は見ていて惚れ惚れするほど、動きに無駄がない。ただ感心するばかり。

f0099060_21574889.jpg

↑【6:33】カゴの数は60あった。最後のカゴに、小さめのタコ。タコの他に、ウニやヒトデやアイナメ、カレイ、ドンコなど、いろいろな魚が入っている。貝類も入っている。海の底にいる魚介がエサのサンマを食べにカゴの両サイドに開いた開口部から入って来るのだろう。

f0099060_21575939.jpg

↑【6:39】海底に仕掛けたカゴをすべて引き上げ終わったところ。30個ずつを上下ずらして積み上げ、この二山で60個のカゴを整理する伊藤さん。とにかく作業に無駄がない。遠藤さんは3つのローラーからなる巻き上げ機を止め、ロープの縒りを戻したりと、手際よく作業している。

f0099060_21592443.jpg

↑【6:41】タコカゴ漁の最中は、風戸、長谷川は見学。船舶免許を持つ飯島さんは嬉々として漁の手伝いをしているが、我々両名はウニをいただくのみ。海水で洗い、いただく。うーん、濃厚な味。二つに割る。海水で洗う。味わう。長谷川は船上で10個いただいた。

f0099060_21593319.jpg

↑【6:44】越喜来湾と吉浜湾を隔てる半島の突端、首崎と小壁崎の中間辺りでタコカゴ漁をしていたらしい。魚群探知器のモニターには水深106mとあり、すぐヨコのモニターは車のカーナビのような位置情報を示している。これがあったから、濃霧の中、このポイントにたどり着けたのだ。

f0099060_2203975.jpg

↑【7:02】位置情報を確認し、60カゴを、船を走らせつつ再び投下。このカゴが60個目のカゴ。船上はご覧の通り、整然とかたずいている。このあと、汲み上げた海水で甲板を隅々まできれいに洗い流す。段取りがまことに手際よい作業は、そばで見ていてとても気持ちがいい。

f0099060_22183.jpg

↑【7:03】赤旗を立てた浮遊標のブイを投下して、タコカゴ漁の作業はこれで終了。濃霧で視界がほとんどないが、どうやら半島の突端から20〜30m沖のところにいるらしい。海は穏やかで、風もなく、雨もない。絶好の漁日和。これで波があり、雨が降っていたら、つらい作業だったはず

f0099060_2211037.jpg

↑【7:46】さきのポイントから30分ほど経過した新しいポイントに到着。霧が若干ながら薄れてきて、岬の荒々しい岩壁が見える。水深は先ほどより20m ほど浅い80m。位置は吉浜湾に近い小壁崎沖のようだ。位置情報はログとして残せるので、洋上といえど、迷うことはなさそうだ。

f0099060_2213055.jpg

↑【7:54】遠藤さんと伊藤さんは新しいポイントで、もうすでに作業をしているが、見学組は仕事の邪魔にならないよう、ひっそりと船尾に身を縮めているか、ウニを洗って食べるかしかない。まったくありがたいことだ。NHKの朝の連続テレビ「あまちゃん」ではウニ1個が500円だったなあ。

f0099060_2215323.jpg

↑【8:05】タコカゴを引き上げると、タコ以外に小魚が入っている。少しばかり大きめの魚は取っておくが、小さい魚は海へ。そこにはウミネコが待ち構えていて、ちょっとした争奪戦を演じている。鳴声がニャーニャーと、まったくうるさいが、耳を澄ますと、鳴声に個性差があるようだ/font>

f0099060_2224654.jpg

↑【8:07】新たなポイントでは、もうしっかり乗船員の一員となり、かいがいしく働く飯島さん。揚がったタコを器用にバケツに入れ、蓋を閉められるようになっていた。遠藤さんは操船とカゴの引き上げとタコの取り出し。伊藤さんはカゴの清掃整理とエサ付け。飯島さんはタコの収納。

f0099060_2225643.jpg

↑【8:23】小さな魚は海へ返すが、カジカ、ナメタガレイ、アイナメ、ドンコ、ウニなどはカゴいっぱいになる。写真右の、腹を見せているのがドンコで、これの煮魚が昨夜の宿で出され、おいしいのにびっくり。コラーゲンたっぷりとかで、女性にはことのほか人気らしい。ああ、また食べたい!

f0099060_2234171.jpg

↑【8:24】第2ポイントでのカゴ引き上げを終え、投下を開始。船はあらかじめセットした設定に従っての自動操縦で動いている。波を切って進んでいるので、それが分かる。遠藤さんはタコカゴの上部を立て、クリップで留め、ロープの縒りを直し、すべてを確認してから投下していた。

f0099060_224551.jpg

↑【8:31】60個のカゴの投下を終え、目印のブイを投下し、崎浜漁港に戻る。出発時の濃い霧に比べ、だいぶ薄く明るくなってきた。断崖絶壁が意外に間近に見える時がある。カモメたちも、食べ物にありつけないと分かった時点で姿を見せなくなった。海上に響くのは船のエンジン音だけ。

f0099060_2242951.jpg

↑【8:43】船尾で左を見ると、霧の向こうに岩礁。すぐ脇だ。その険しさに思わず身を引いてしまうが、こうしたシーンには普段、なかなかお目に掛かれないので、何枚も何枚も撮影してしまう。あとで捨てることになると判っていても、シャッターを押さずにいられない絶景がつづく。

f0099060_224678.jpg

↑【8:45】船尾の真後にて5分ほどムービーで撮る。風上に向かって走っているようで、船が大きくローリングしたり、ピッチングしたりする。船上には手すりが各所にあり、移動する時も含め、たえず掴まっていないといけないと、スタート時点で厳重注意されたことを思い出す。

f0099060_225112.jpg

↑【9:12】崎浜漁港に戻ってきた。飯島さんだけが手伝えて、我ら両名、なにも手伝っていないにもかかわらず、潮風を浴びたせいに違いない、一仕事を終えて港に戻ってきた漁師気分になっている。声も顔も少しばかり錆びたようだ。大きなバケツからタコを出し、チェックする遠藤さん。

f0099060_2251378.jpg

↑【9:13】茶褐色の濃いタコ、白っぽいタコ。いろいろ個性があるのだろうか。大きなタコで20kg以上。おいしい三陸の魚介を食べて育ったのだろうし、さぞ美味いだろう。そんな思いで見ていたら、飯島さん曰く「あれほど剛腕なタコも、こうしてみるとなんともダラシナイもんだ」と。

f0099060_225142.jpg

↑【9:16】メインマストのウインチで漁獲の荷を岸壁に下ろす遠藤さんと、軽トラ荷台に移す伊藤さん。遠藤さんは左手に持ったコントローラーで揺れる船上から正確に操作。慣れとは言え、なかなか難しい作業なのだ。

f0099060_2263026.jpg

↑【9:25】遠藤さんの船「第五崎浜栄丸」。この時間になって、霧も晴れてきて、波がまったくない、穏やかさ。海はいつもいつもこんなに優しい表情を見せてばかりはいないこと、1年前に陸前高田の広田湾のカキ・ほや漁師の吉田善春さんから聞いたことなどを思い出していた。


なにゆえ三陸?

 7月25日(木)〜27日(土)の2泊3日で、三陸に海の幸を求めに行ってきました。海の幸?ええ、そうなんです。「飯島農園おいしい野菜公園2007」の、夏の定例行事「バーベキューパーティ」のための食材調達。
 表だってはバーベキューパーティのための食材調達ですが、この春先からスイカパラダイスのメンバー4名が丹精込めて作ったスイカを陸前高田市、大船渡市三陸町越喜来(おきらい)在住の漁師さんに送り届け、その帰りに三陸の海の幸を持ち帰ろうというドライブ旅行だったのです。
 船橋と三陸の陸前高田は地図上の直線距離で400km、走行距離で550kmと結構離れていて、車で走って6〜7時間は掛かる遠距離を、飯島さんの運転で飛ばしに飛ばし、着いた先は陸前高田の元高田松原前の駐車場。先年、お世話になった陸前高田市区長の伊藤光男さんとここで待ち合わせをし、約20km北東に位置する大船渡市越喜来へ。
 ところで、三陸までスイカを乗せた車を走らせたのには、いくつかの懸案がアリ、飯島さんが構想する「農業と漁業の共生」を実現するための打ち合わせも兼ねての三陸行だったのですが、ボクはその構想にはタッチしておらず、ただただ、スイカお届けグループの一員として、また、バーベキューパーティの食材調達担当として同行したのでした。
 
 スイカは陸前高田市区長の伊藤さんに手渡し、大船渡市三陸町越喜来の漁師、遠藤さんの誘いでタコカゴ漁に乗船させていただいたのです。
 その一部始終は「三陸のタコ漁 乗船記」で紹介しましたので、おおよそ雰囲気はつかんでいただけたかと思います。その食材は、越喜来の大きなタコとナメタガレイ、カジカ、アイナメ、ドンコ、これに加えて、三陸漁業生産組合の組合長理事を務める瀧澤英喜さんが獲ってきた大きな毛ガニを、バーベキューパーティに間に合うように、宅配便にて別送しました。この豪華で贅沢な食材の数々は、次のレポート[205=三陸通信2]にて紹介する予定でおります。それに加えて、飯島さんと三陸の漁師さんたちの絆が、いかなる経緯で結ばれたのか、この点についても、[206=三陸通信3]として近日中に、再び長々とレポートすることにします。乞うご期待を。

# by 2006awasaya | 2013-07-31 22:45 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[203=カメムシ発見]

2013.7.29(月)

出穂の穂先にカメムシ発見!

f0099060_21284396.jpg

↑2013年7月28日(日)、我々の田んぼのすぐ上の田に、カメムシ発見。ハエも多く散見されたが、カメムシが多いのに一同ショックを受ける。出穂したばかりの穂先に鈴なりで留まっている姿も確認。これから開花して結実をスタートさせる最初の一歩でこのカメムシに舐められたり吸われたりしたら、結実どころか、枯れてしまうに違いない。
f0099060_2129489.jpg

↑なんだこれは! 病気か? カメムシを発見してのち、きっとカメムシ被害にあったイネも多くあるはずと、注意深く見て回ると、もうすでにカメムシ被害にあったような稲穂が見つかった。たとえばこの写真。


 今月末、7月30日(火)に八千代市にある我々が米づくりをしている一帯に、ラジコンヘリコプターによる水稲病害虫駆除を目的とした薬剤の一斉散布が行なわれるので、散布後1週間は田んぼに近づかないことにしました。
 どのような薬剤が散布されるかというと、主にいもち病発生予防の薬剤で、その他に害虫駆除にも効果的な薬剤が散布されるということがJA八千代市のホームページに掲載されていて、散布エリアが地図でわかるようになっています。
f0099060_21302167.jpg

↑八千代市植物防疫協会のホームページに掲載されている散布エリアマップ。

 ところが、昨年まではどのような薬剤が散布されるのか、薬剤名が記載されていましたが、今年は薬剤名は記載されておらず、注意書きとして
「散布区域の水田に隣接する通学路や住宅等に薬剤が飛散しないよう十分注意し散布を行いますが、散布中は散布区域への立ち入り、農道の通行は避けて下さい。なお、散布後も1週間程は水田に立ち入らないよう、ご理解ご協力をお願い致します」とあり、問い合わせ先八千代市植物防疫協会の電話番号が記載され、細かな内容は電話で問い合わせる方式に変更されています。
 そこで、「八千代市植物防疫協会」を検索。すると、こちらのページには使用薬剤が明記されていました。アミスタートレボンSEとイモチエーススタークル粒剤の2種。

 注意事項として、こちらのページには寄り具体的な注意喚起が明示されていて、以下のように説明されています。

 使用薬剤は、農薬取締法に基づき空中散布用として登録されている、より安全性の高い薬剤を使用し、散布区域の水田に隣接する通勤、通学路及び学校、住宅地等に薬剤が飛散しないよう十分注意して早朝に散布していますが、次の点に注意し、ご協力をお願いします。
(1)散布地域には旗を立てますので立ち入らないで下さい。
(2)散布後一週間程度は、水田には立ち入らないで下さい。
(3)散布中は農道など散布区域内の通行や新川遊歩道付近での釣りは避けて下さい。
(4)散布中の児童等の通学には農道を通らないようにお願いします。
(5)万一、薬剤を吸い込んだり、身体にかかってしまった場合は、うがいや石鹸などですぐに水洗いしてください。気分が悪くなる等の症状が出た場合は、必要に応じ医師の診断を受けられるようお願いいたします。

 我々の田んぼは除草剤やその他の薬剤を使わずにお米づくりをしていますので、事前に八千代市農協に対し、「我々の田んぼには薬剤を散布しないでください」と申請し、受理されて、薬剤を散布しない田んぼであることをラジコンヘリコプターのオペレーターに分かるよう、目印としてオレンジ色の旗を田んぼの四隅に立てましたので、今回の薬剤は直接的には掛かりません。どのような散布の具合かは2年前にボクのブログ(「ラジコンヘリによる農薬空中散布」)で紹介していますので、参照してください。生え揃ったイネの上空約2〜3メートルを維持しながら金属的なモーター音を響かせて、ラジコンヘリをコントローラーでオペレーションするオペレーターともう一人の係員2名一組で散布する様子を掲載しましたので、そちらをご覧ください。我々の田んぼには薬剤を散布しない旨、オレンジ色の旗を四隅に立てていますが、すぐお隣りの田んぼには薬剤が散布されるわけですから、風向きによっては薬剤が飛散するに違いなく、「無農薬で作っています!」なんて胸を張れる米づくりにはなっていないのです。ただし、注意事項に説明してあるように、より安全性の高い薬剤と書かれていても、薬剤は薬剤。メンバー各位は、できるだけ薬剤は浴びたくないので、散布予定日7月30日(火)前に畦の除草だけでも徹底的に済ませておこうということになり、7月28日(日)の早朝から昼まで、草取りに励んだのでした。

 7月28日(日)。7:30から揚水する一方、刈り払い機と鎌で畦の除草し、すぐに大量の汗に堪えられずに休憩を取り、再び作業をし、この繰り返しを何回かした何回目かの休憩時に、メンバーの一人、Tさんが「穂が出ていますが、そのなかに黒っぽい穂もあるんですが、あれはなんでしょうかね」と、疑問を漏らしたのです。
 滴る汗をぬぐいながら一同、フリーズしたように一瞬表情をこわばらせ、Tさんを注視。
 一番早くフリーズが溶けた長谷川が、「Tさん、その黒っぽい穂って、どのあたりで見ましたか」と問い掛け、すぐにその現場に案内してもらったんです。
 なるほど、イネは出穂を始めていて、中には花を咲かせて籾殻部分を開けている穂もありました。その問題の穂は、授粉を済ませ開けていた籾殻部分を閉じて、実りへと向かう登熟初期の、少しばかり早熟のイネだったんでしょうか。
「病気じゃないといいんですが、一応、写真に撮って後で調べてみましょう」ということになり、この「黒い穂騒動」の後は、出穂を済ませた穂を鋭く観察しながら除草作業を続けたのでした。
 これだけきれいに除草したのですから、病害虫の住み処となる雑草は、これで向こう1週間、田んぼに立ち入らないとしても、生命力旺盛な雑草たちが景観を変えるほど、あるいはイネたちの姿を覆うほどには成長を進めることはなかろうと、現場から引き上げてきたのです。
 それにしても、イモチ病予防とカメムシなどの害虫を駆除する目的で明日、散布され、ここに紹介したカメムシらはきちんと殺虫されるでしょうか。それとも、薬剤が散布されない我々の田んぼに避難して命を生き長らえるのか。この件については8月11日(日)に除草作業が予定されていますので、その折に報告することにしましょう。
# by 2006awasaya | 2013-07-29 21:31 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[202=タマネギ長者となる]

2013.6.29(土)
タマネギ長者の神妙なる面持ち

f0099060_2135929.jpg

↑2013年6月29日(土)に収穫した大玉タマネギ220球とタマネギ長者

 昨年11月10日、16号線島田台に近い長野種苗で求めた大玉タマネギ230球を定植し、本日、まるまると太ったタマネギを、収穫してきました。
 全収量は220球で、1/2が直径10センチ強の真球。残りの3/4が直径8、天地9センチのラグビーボール型、1/4が直径5センチクラスのレベル以下品。この収穫に対しては、まずまずの上出来といわなくてはいけません。
 振り返ってみるに、今年に入って早々に降雪があり、凍ってしまった一時期があったことを考えると、まずまずの上出来と謙遜している場合ではなく、ドヤ顔で「やれば出来るのだ!」と周囲憚ることなく、自慢の一言を漏らしてもいいと思っていますよ、タマネギたちよ。ボクに出来たことは、原産地の音楽を初めから聞かせてあげることが出来ず、異教徒の呪文であるコーランを幼少期にしつこく聞かせ、その後に事実誤認に謝罪してのち、青年期に当たる時期に中央アジアの音源を聞かせ、やっと安寧な実りへの道へと歩む環境を用意できたことくらいでしょうか。

 収穫を終え、一輪車にタマネギを乗せて車まで運んでいましたら、ちょうどシマさんが草取りをしていましたので、思わず自慢してしまいました。

長谷川 ご無沙汰しています。シマさんのタマネギが先週、収穫を終えていましたので、今週はボクのところのタマネギを収穫してもいいんだと、それで今日、収穫してきたんです。どんなもんでしょうか。
シ マ まあ、こんなにたくさん?ずいぶんと大きなタマネギですね。立派なタマネギができましたね。おめでとう。
長谷川 シマさんにそんな風に褒められると、ほんとうに嬉しい限りです。シマさんが作っている具合を見ながら、トンネルをかけたり、トンネルを外したり、地上部の茎を折ったりと、シマさんのやっていたとおりに作ったので、お陰様で収穫にこぎ着けることが出来ました。本当にありがとうございました。
シ マ 腕を上げたのですよ。大きさといい、形といい、いいタマネギができましたね。ここ2,3日は風通しのいい所に置いておけば、今年いっぱいは食べられますよ。農家の場合は軒先なんかに吊るしておきますが、風通しのいいところに置いておけば、半年はもちますよ。いろんな料理に使ってください。

 ああ、シマさんに褒められるなんて、まったく嬉しいものです。

 それにしても、個人の家庭で220球のタマネギを消費するのは、ゲップが出るほど大変なことで、ご近所におすそ分けし、やっと100球を自家用として残し、本年の後半で消化するラフな消費計画をいま、立て終わったところです。毎朝の味噌汁の具には、かならず入ってくるでしょうね。肉ジャガにも、従来より遥かに大量のタマネギが投入されるでしょうね。

 これから毎日毎日、タマネギを使った料理が向こう半年もつづくかと思うと、嬉しいやら悲しいやら、タマネギ長者となったいま、新たな人生の局面に立たされたような、神妙な面持ちです。
 どんどんタマネギが消費できるレシピ、どなたかご連絡をいただけると嬉しい限りです。
# by 2006awasaya | 2013-07-01 18:12 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[201=真球の大玉タマネギ]

2013.6.5(水)
タマネギの原産地は中央アジアでした

f0099060_14542812.jpg

↑2013年6月3日に収穫した大玉タマネギ。直径9.5センチ、高さ9センチ。これが230球!

 どこを調べても原産地は「中央アジア」でした。タマネギ苗を定植した時点での調べでは、原産地は「ペルシャ」とあり、その乾燥した原産地を思い起こしてもらうには、生まれ育った土地に響き渡る音楽を聞いてもらうのが一番と、イランのイスラム教会で流されているコーランをネットで入手し、これをiPhoneに入れ、タマネギ畝で流し聞かせていたんです。

 昨年の11月中旬に定植し、活着した下旬にコーランを聞かせ、お陰様で天を突くようにすくすくと育ち始め、イスラム教会の尖塔にも似た天を突く尖りぶりに、ああ、ふるさとを思い出したにちがいないと、畑に出向くたびにコーランを聞かせてきました。

 今年に入って1月28日に降った大雪で、天を突く剣先が雪の重みで圧し折れ、なかには凍ってしまっている苗もあり、このまま放置しては過酷な環境に心も折れかねないと、慌ててトンネル掛けをしたのでした。

 トンネル掛けをした翌週、またふるさとの音楽でも聞かせて元気付けをしようかと思いましたが、でも待てよ、コーランばかりでは規範規律に厳しく、妙に背筋ばかりを伸ばした辛みが鼻腔を突き、肝心の甘味が欠如したタマネギになってしまうかもしれぬし、さらには八百万の神々が住まうこの日本の多神教世界への興味を失ってしまうかも知れず、第一、感情を抑え込んだ旋律のコーランそのものに飽きているかも知れず、さらにまた、田んぼの仲間に「コーランタマネギ栽培中」についておしゃべりした折り、「長谷川さん、もし、もしですよ、タマネギの原産地がペルシャだとしても、イスラムが興るずっと以前の記憶しか持っていなかったとしたら、コーランはその後に入ってきた異教徒の音楽として、案外迷惑顔で耳を塞いでいるかもしれませんし、もう一度原産地の確認をしておいたほうが懸命かもしれませんね」と、そんな根源を揺るがすようなアドバイスをいただいたこともあり、ボクの中では疑いなき定説となっている「タマネギ=ペルシャ原産」説をもう一度改めて見直してみようと思い至ったのでした。

 こうした調べものをするには、いまはネット検索でずいぶん、便利になったものです。ひと昔前でしたら、まずは大型書店に駆け込み、次に図書館の書棚を歩き、ついには目的の書籍に出会えぬまま、肩を落として帰宅するのが常でしたが、パソコンで検索ワードをキーボードで打つだけで、だいたいのことは調べることが可能なんですから、まったくありがたいものです。

 さて、ネット上で公開されているページを検索した結果、なんとしたことか、タマネギの原産は「中央アジア」が大多数だったのです。まことに浅学薄学で申し訳ありませんでした。でも、中央アジアというエリアにはいま、どんな国家があるのか、もう一度ネット検索してみると、「広義には、東・西トルキスタンのほかに、カザフ草原、ジュンガル草原、チベット、モンゴリア、アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含み、〈内陸アジア〉とほぼ一致する。これに対して狭義では、東・西トルキスタンのオアシス定住地帯のみを指す」とあります。

 うーん、オアシス定住地帯かあ。そうか、シルクロードの音楽を聞かせてあげれば、結球しつつあるいま、ふるさとを思い起こしつつ、さらに大きく成長してくれるに違いないと、手持ちのCDから「喜多郎」「草原のチェロ/モンゴルの馬頭琴」「オスマンの響き」からそれぞれオアシスっぽい音源をiPhoneに移し、畑に行って小一時間、聞かせてから帰宅。さらに「シルクロードのオアシス」「東トルキスタン」を検索ワードで、東・西トルキスタンとはどのあたりなのだろうと、さらにネット検索をつづけると、「新疆ウイグル自治区」と名前を変えて出てきた。

 なるほどそうか、中国人民解放軍による周辺諸国への侵略だったのか。ダライラマが亡命政権を点々と遷す「チベット自治区」についてはかつて若干ながら調べたことがあり、その非道は天安門事件の比ではないが、ローマに通じたシルクロードの中継都市国家であった楼蘭か。東トルキスタンが領土拡張の犠牲となっていたこと、迂闊にも無知のままでした。まったく、タマネギの原産地捜しどころの話では済まされず、丸一日を費やして調べまくっていましたら、とんでもないページに突き当たってしまったのでした。

 日本への原爆投下以前の核開発段階から東西冷戦が終結するまでの各国の核実験・核爆発が地球のあちこちで頻繁に実施されていて、核実験核爆発が行なわれるたびに、全地球マップにパッと発光する不気味な世界地図に突き当たったのでした。1年ごとの時間軸で1945年から1998年まで、地球各地で発光をつづける世界地図。イギリスはオーストラリアの砂漠地帯で、フランスはアフリカのサハラ砂漠で核爆発を実行していました。自国の領土ではなく、ともに帝国主義的な拡張手法で手に入れた領土で。核爆発の実行回数はアメリカ、ソビエトが最も多いですが、なかでも中国が行なっていた核実験が、新たに獲得した東トルキスタンのロプノール周辺で行なわれていたこと、また、中国政府公式発表ではこのロプノール周辺で46回の実験と発表しているが、この数字は実際には50回以上に及ぶと推定されていることなどが説明されていて、恐ろしいばかりの健康被害をこのエリアに暮らす人々に及ぼしていることなどの情報があふれ出してきた。
 ここまでお付き合いくださったのなら、この(「1945年から1998年までの核実験」)のブルー文字をクリックしてみてください。
 暢気にタマネギの原産地捜しをしている場合ではないことがご納得いただけると思いますし、ああ、この日本が天安門事件の国でなかったことに安堵するばかりですが、そんなこんなで、5月中旬は「モンゴルの馬頭琴」をメインに、「喜多郎」と「オスマンの響き」をたっぷり聞かせ、下旬になってシマさんのタマネギの成長具合をチェックしながら、草取りに励んだのでした。

 5月の最終週になると、シマさんのネギは地上の葉っぱが圧し折られています。あれれ、どうしたんだろう。
 畑のビニールハウスにシマさんがいらしたので、さっそく確認です。ありがたいですね、わからないこと、疑問に思ったことがすぐに聞ける環境って。

長谷川 お忙しいところ、申し訳ありません。ちょっと教えてください。タマネギの地上部が折られていますが、どうしたんでしょうか。
シ マ 肝心の玉に栄養が溜まるように、葉っぱは折っておくんです。
長谷川 ボクのタマネギなんですが、玉を見ると、大小があり、成長の具合もまちまちなんです。それでも折ったほうがいいんでしょうか。
シ マ 極端に小さな玉は別ですが、この時期、一斉に折っておけば、玉も大きさが揃ってくるんです。葉っぱが茶色く枯れてきたら、収穫してもいいっていう目安ですから、日陰の風通しのいいところに吊るします。半年はもちますよ。ずいぶん昔のことですが、子どもと北海道旅行に出掛けた折りに、一面のネギ畑のヨコを走っていたんです。そのネギがみんな、葉っぱが折れていてね。なんてかわいそうなと、車を止めてもらって、よく見たら、タマネギだったんです。その時、そうか、タマネギはこの時期に葉っぱを折って玉を太らせるのかと。
長谷川 さっそくボクの畝のタマネギ、葉っぱを折っておきます。
 
 6月3日(月)、葉っぱを折って1週間が経ちました。うーん、いい感じ。地球と同じ真球のタマネギが並んでいます。地球は戦後、核爆発やら人口爆発から海洋汚染などでずいぶん苛められたけど、どれどれ、とりいそぎふるさとの音楽を聞いてここまで健やかに育ったタマネギよ、おいしくなったかな。
# by 2006awasaya | 2013-06-05 15:04 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[200=タテ10円玉かヨコ500円玉か]

2013.4.9(火)
丈夫な苗を作るために

 2013年のお米づくりが始まりました。

 4月7日(日)、好人舎では飯島さんが大きな寸胴(ズンドウ)でお湯を沸かしてくれていました。
 お米づくりメンバーの一人が生卵を買いに行って戻ってきました。手には10コ入り生卵パック。すでに作業テーブルには食塩2袋。その脇ではお湯が沸きつつあります。丈夫な苗を作るためには、重量のしっかりした籾が必要で、今日はこの籾の選別と消毒をする日なのです。つまりはお米づくりがこの日をもってスタートするという、たいへんに晴れがましい日なのです。

 バケツに水道水(17℃)を汲み、食塩を投入攪拌し、比重1.12の塩水を作るのです。手元に比重計があれば簡単に指定の濃度の食塩水は作れるのですが、比重計がない場合はどうするか。ここで生卵の登場だったのですね。ご飯を食べないと一日がスタートできないほどお米好きの飯島さんのことです。かねてからどんなおかずで朝ご飯をいただくのか、興味がないわけではありませんでしたので、ああ、なるほど、米づくりが始まるこの日の朝は、伝統的な卵掛けご飯を掻き込んで元気をつけ、さあ、やるぞ、今年もと景気付けをしているのかなあと、この卵の意味をボクはぼんやりと同意していたんです。

 でも、朝ご飯のおかずではなかったようですね。

 バケツを攪拌しながらお米づくりの指導担当の鷹島さんが指示を出します。「卵、入れてくださ〜い!」。
 そうか、この卵は比重計代わりだったんですね。だれかが「何個入れる?」と聞きます。メンバーのだれかが「当然1コだよ」。でも、ボクは「その選んだ1コの卵が不良品だった場合も考えて、今ある10コ全部入れたら?」と提案。結局この提案は受け入れられず、中を取って半分の5コを水道水で洗ってから、バケツに入れました。

 鷹島さんが塩水選の説明文を読みあげています。

鷹 島 比重1.12から1.14の食塩水に生卵を入れると卵がタテになって浮かび、浮かんだ部分が10円玉くらいの円になる。
小 林 まだ、沈んでま〜す。全部、沈んだまま。
鷹 島 ということは塩が足りてないってコトだから、もっと食塩を入れてみて。比重が1.14になると、卵はヨコになって、しかも水面から顔を出す部分が500円玉の大きさになる。
小 林 はい、塩、入れてます。

 実際にはなかなか1.12の塩水にはなりませんでした。ボクは何度か指を突っ込んではなめてみましたが、相当に塩っ辛かったにもかかわらず、指定の比重1.12の塩水にはなりませんでした。確か、海水が比重1.025(この数字、2回目か3回目の米づくりに際し、同様の塩水選をしたあとで調べたような記憶があるものの、かなりアヤフヤ)で、海水に卵を入れてもすぐに沈んだような記憶があります。

鷹 島 もっと塩を入れないとダメじゃない。
小 林 もうずいぶん入れたんだけど。でも待ってよ、ほら、5コとも浮いてきた。塩は底に溜まったまま、なかなか溶けませんが、卵は浮いてきました。
鷹 島 比重1.12の塩水ができたってことだ。ほらほら、水面上に顔を出している円形も、10円玉程度じゃない?
f0099060_1122434.jpg

↑生卵5コがタテに立って浮かんでいます。水面に顔を出している部分は、確かに10円玉相当です。この時の塩水の比重が1.12です。

小 林 OK!できあがり。
長谷川 でも、ちょっと待って。その説明では比重1.12から1.14とありましたよね。比重1.14にすると、相当重量のしっかりした、身の詰まった籾じゃないと沈まないってことじゃないんでしょうか。いい苗を作るには、できるだけ重い籾を選んだほうがいいんじゃないでしょうか。ヨコ向き500円玉に挑戦してみませんか。
鷹 島 そうね。いいですね。1.14にしてみましょうか。塩を追加で入れてみると、お〜お、卵が寝はじめた。
小林 500円玉になってきたあ。この塩水で今年の苗籾を選別しましょうよ。
f0099060_1125145.jpg

↑今度は塩分濃度を高く調整していると、卵は寝転がってきて、どうです、500円玉くらいじゃないですか。

 以上のようなやり取りがあって、今年の種籾の選別は1.14の塩水選で仕上げました。選別に叶った籾は例年よりもいくぶん少なくなり、農園主には損害をお掛けしましたが、すくすく育つ丈夫な苗のためです、ごめんしてください。
 この後、種籾を60℃の温水に10分間浸け、通常の冷水で冷やし、発芽用のプールに移してこの日の作業を終えました。
f0099060_1132864.jpg

↑塩水の比重が1.14に調整したバケツに種籾を入れて攪拌しているところ。
f0099060_1133779.jpg

↑選別した種籾の塩分を水洗いしてから、60℃10分で消毒しているメンバー。

 帰宅して、どうしても海水の塩分濃度を確認したく、ネットで調べてみたんです。比重1.025という数字はほぼ誤りではないようでした。ほっとしたものの、指先を浸けてバケツの食塩水をなめてみた塩っ辛さから、まだ行ったことはないものの、「この塩分濃度は死海の塩分濃度に等しいのでは」と思ったほど塩っ辛い味でした。以前でしたら、疑問は図書館か書店に駆け込んで解決に近づいたわけですが、最近はネットで調べることのほうが多く、重宝しています。
 検索キーワードを「海水」「自宅で作る」「死海」「塩分濃度」など、いろいろの組み合わせで検索してみましたら、まあ、とびきりのページにたどり着きました。
「自分の風呂で死海が再現できるか」をテーマに、大量の塩を購入するとこから始めた青年グループの報告。久しぶりに大笑いしました。

 自宅の浴槽に死海を再現した青年グループのレポートは(「お風呂で死海の海を再現できるか!?」)として紹介されていますので、そのご苦労を思いつつ、大笑いしてみませんか。
# by 2006awasaya | 2013-04-11 11:16 | 真剣!野良仕事

【真剣!野良仕事】[199=長ネギ]

2013.3.26(火)
道しるべになってくれるか
f0099060_10524780.jpg

↑今年も長ネギを植えてきました。右隣のトンネルはコーランを聞かせたタマネギです。

 ネギを大量に輪切りにして納豆に混ぜ、鼻腔の奥をつつく辛味を楽しみつつ、涙をこらえ、掻き込むように食べる。ネバネバを箸で制御し呼吸を留めて掻き込むというスタイルも好きだし、第一、納豆とネギという取り合わせが好ましいなあ、好きだなあ。

 芭蕉もネギが好きだったにちがいない。好き嫌いを口にする様は我儘いっぱいの子どもを見ているようで、ただそれだけで不機嫌な顔になっている芭蕉の表情が浮かんでくるが、それにしても、ネギを詠んだ句からは「ネギよ、おまえも、う〜ん、なかなかのものだな」という位置取りがうかがえて、好き嫌いというよりも好ましい姿とうつっていたのだろう。
 とくに、この句を見ると、そんな思いがする。

今朝の雪根深を園の枝折かな

 いつものように加藤楸邨先生の解説に拠り掛かって、句の表面を撫で回してみると、今朝方の雪で、菜園が深く積もった雪で覆われ、どこに何があるのか、まったく分からない。そうか、青く天を刺すネギを道案内にしていけばいいのか、とおっしゃる。
 随分と深い雪。今年も雪はたびたび降ったが、幸いなことに、船橋では畑全体を覆うような雪はなかったから、芭蕉のようにネギを道しるべにして歩けなかったことが、ちょっぴり残念な気もする。雪国のかたから罵声をいただいても仕方がないが、どうかお許しを。
 ネギの句がもう一句ありました。

葱白く洗ひたてたる寒さかな

 こちらもネギをダイコンに取り換えてもカブラに置き換えてもいい訳ですが、ネギに思考を惹き付けられてほどけなかったんでしょうね。うまい、まずい、そういう味覚レベルの話ではなく、これはネギがもつ辛味に由来しているのだと思うのです。背筋を伸ばし、口元をすぼめるほどの辛味こそ、身を切る寒さとそっくりですものね。
 ボクは店頭に並ぶ真っ白な葱よりも、引き抜いたままのドロを身にまとった泥葱のほうが、長持ちもするし、寒さに負けないたくましさを感じて好もしく思うのです。

 で、昨年夏過ぎに植えたネギは最近、すべて引き抜いてさまざまに食べてしまったので、この秋用に植えてきました。
 はたして、道しるべになってくれますかどうか。
# by 2006awasaya | 2013-04-03 10:56 | 真剣!野良仕事

ソウルの大型書店とキリストの受難像

2013.3.22(金)
ソウルの大型書店とキリストの受難像

仁寺洞へ
 一昨年の暮、昨年の7月と、ソウルに行く機会がありました。行けば必ず仁寺洞=インサドン(인사동)に足が向かいます。
 今回も真っ先に歩いてきました。いわば表敬訪問みたいな気分で南から北へ、北から南へ紆余曲折を繰り返しながら、何度も往復してきました。

 もともとがオシャレな骨董通りです。王朝の正宮でもある景福宮=キョンボックン(경복궁)に近いこともあり、上品なお菓子屋さんとかお茶屋さんが一本入った脇道に隠れるように店を構えていたりして、さすがインサドンだなあ、伝統の奥深さが違うものだなあと、嬉しくなってついニヤニヤしながら、行ったり来たり、うろうろキョロキョロ。京都御所周辺の町歩きにも似た気分で歩けるのも、面白みの一つでしょうか。

 脇道、裏通りにも発見が潜んでいますが、表通りには老舗の文房具店とか骨董品の店がずらりと並び、この多少ホコリっぽいたたずまいに魅せられてきた日本人も多いと思います。ボクはぶらぶら歩きをしながら、韓紙=ハンジ(한시)を求めつつ数店をめぐり、それぞれの店独自の手漉き韓紙を求め、ああ、いい買い物ができたと、買い求めた韓紙を筒状に丸め、大切に抱えてホテルに戻り、再び夕飯に出て行くというパターンでソウルの街歩きを楽しんできました。

 前回も前々回も、さらに十数年前も気持ちよくいい買い物ができたのですが、この3月中旬に再びインサドンを歩いてみましたら、お店がずいぶんと商売替えをしているではありませんか。必ず立ち寄っていたお気に入りの韓紙屋さん5軒のうち、3軒はカフェ、飴屋さん、空き家になっていて、しかも、残りの2軒のうち、表通りの角にある韓紙屋さんは品揃えを大幅に変え、浅草仲見世の土産物屋さんと見まごうばかりの変貌ぶり。客層が町を変えるんですね。筆や硯、墨や紙を求める客層は極々わずかで、代わって若い世代はスマートフォンをもてあそびながら化粧品とオシャレなファッション目当てに闊歩しています。デジタルな世代には文房四宝は訳の判らない煩わしいだけの無用物なんでしょうか。

 ま、しかたがないか、時代が変わったんだ。日本だって変わってしまったんだから。

 ちょっと肩を落として、インサドンキルから地下鉄3号線が走る道幅の広い社稷路=サジンノ(사직로)に出て、V字に折れ、郵政局路=ウジョングノ(우정국로)を南へ。途端に東京の丸の内を歩いているような雰囲気です。背筋をしゃんと伸ばしたサラリーマン風の男女が、結構なスピードで大股で歩いています。手にはテイクアウトしたコーヒーカップかiPhoneよりずっと大きめのスマートフォン。ワンブロックにひょっとしたら2軒くらい、スターバックス(스타벅스)があり、ソウルっ子がこんなにもコーヒー好きだったのかとちょっぴり嬉しくなります。

 少し前のソウルのコーヒー屋さんで飲むコーヒーの味って、賞味期限切れのインスタントコーヒーか、トウモロコシ茶にコーヒー味を強引に添加したような、何とも言いがたい味のドリンクだっただけに、スタバっていうのはマクドナルドよりも凄いなあ。シアトルで飲んだコーヒーもお茶の水で飲んだコーヒーも、明洞=ミョンドン(명동)で飲んだコーヒーも、まったく同じ香り、テースト、おいしさ。世界標準というのは偉いもんだなあ。そんなことに感心しながら、郵政局路を南へ歩いて500m、鐘路=チョンノ(종로)との交差点に出る。広い広いこの交差点の地下には地下鉄1号線の鐘閣駅=チョンガッギョク(종각역)があり、鐘路交差点に斜めに向かい合う位置に、ソウルでも一二の大型書店が集中しています。

バンディ&ルニス チョンノ店へ
 韓国の出版事情を見てみたいという思いから、これら大型書店を見学するのが、今回の旅行目的の一つ。インサドンの激変ぶりに肩を落としつつも、まずは超高層ビルの鐘路タワーの地下2階にあるバンディ&ルニス チョンノ店(반디앤루니스종로점)へ。

f0099060_1619070.jpg

↑バンディ&ルニス チョンノ店のレジ近く。ベストセラーの円柱が気になりましたが、「やればできる」とか「スティーヴ・ジョブズに学ぶ人生の過ごし方」のような自己啓発タイプの書籍が多かったような。でもどんな本なのか、正確には分からないまま、広々した店内へ。
f0099060_16192520.jpg

↑趣味のコーナーには、こんな具合に座り込んで立ち読みする客が結構目に付きました。
f0099060_16193261.jpg

↑地下鉄鐘閣駅へ向いた出入口。

 驚いたことに店内の明るさ。書棚の間隔も広く、あまり圧迫感なく本選びができる。店内通路は大理石で冷たくクールだが、書棚が並ぶスペースにはジュウタンが敷かれていて、歩いた時の当たりがとっても柔らか、ゆったり気分。ところどころにイスも置かれている。これも嬉しい配慮。このジュウタン敷きに座り込んで立ち読みしている客が多いのが気になったが、ひょっとして座り込みをこの書店では許しているのかもしれない。
 そんなことを考えながら、店内を一巡。地下2階が地下鉄鐘閣駅への乗り換え通路に口を開けているので、通勤客も途中下車して立ち寄れる。これは便利だろうな。レジ近くの柱巻きにベストセラーのコーナーがあり、そこに並んでいたのは雰囲気としては自己啓発(자기계발)関連の書籍が多かったような気がしました。

永豊文庫へ
 いったんこの地下鉄出入口から鐘閣駅を経由して、交差点向かいにある永豊文庫=ヨンプンムンゴ(영풍문고)へ移動。こちらの書店は地下1階・2階からなり、やはり広い広い。地下1階のフロアーが東京駅八重洲にあるブックセンターの各階フロアーを合わせたくらいのスペースかな、AからHまでジャンルごとに分類。この分類は未確認ですが、バンディ&ルニスでも同様だったような気がします。Aは小説(소설)・エッセイ(에세이)・詩(시)・マンガ(만화)、Bは芸術(에술)、スポーツ(스포츠)、旅行(여행)、料理(요리)、健康(건강)、趣味(취미)、雑誌(잡지)類と分野別に整理され、Cは幼児(유아)から児童書(아동)、高等教育書(초등학습 )、Dは中・高等教育書、Eは工学(공학)、コンピューター(컴퓨터)、科学(과학)、医学(의학)、Fは辞書類(사전)、外国書籍(외국서적)と日本書籍、Gは経済(경제)、経営(경영)、自己啓発、Hは人文(인문)、宗教(종교)関連の書籍や雑誌がきれいに整理されていた。ハングルのmemoを取るだけで1時間も食われてしまい、レジ(계산대)のスタッフから変な目で見られていました。ただし、こちらでは座り込んでの立ち読みが禁止されているようで、座り込んで読んでいる客がスタッフに注意されていた。あれ、オタクでは座り込み読書は認めてないの?っていう尖った反応を見せつつ、しぶしびスタッフの注意に従うってシーンをAゾーンのマンガコーナー、Bゾーンの趣味コーナーとGゾーンの自己啓発周辺で多く見ました。ついでに地下2階に降りていくと、そこにはアップルコンピューターやスタバ、ミニレストラン、文房具などが並び、銀座伊東屋かロフトにいるようで、ここも楽しかった。いやあ、韓国語がばりばりなら、丸々一日いても飽きないだろうな。

f0099060_1620549.jpg

↑ヨンプンムンゴの店内。整然として分類された書棚。
f0099060_1620201.jpg

↑「小説、エッセイ、定番」とジャンル分けされたベストセラーコーナー。
f0099060_16202614.jpg

↑鐘路交差点にあるヨンプンムンゴの出入口。左にある看板に「冊香」とあったが、その意味がついにわかりませんでした。座り込んで立ち読みすることは禁止でも、イスに座ってしっかり読めるコーナーがあったような記憶がありました。船橋西武の三省堂書店では、同じフロアーにあるカフェに持ち込んでの読書OKで、ひょっとしたら同じ発想?

明洞聖堂へ
 予定ではこのあと、世宗路=セジョンノ(세종로)の李舜臣将軍像脇にある教保文庫=キョボムンゴ(교보문고)に行くつもりでしたが、時間が足らず、まことに残念ながらこちらは次回ということで、いったんホテルに引き返し、かねてから見てみたいと思っていた石像に会いに行きました。場所は明洞聖堂。

 ソウルの街中を歩いていると、いまでこそ超高層ビルが林立していて、なかなか見ることはできませんが、昔は南山タワー同様のランドマークだった煉瓦積みの巨大聖堂。移動していると、必ず尖塔部分が見え隠れしていたので、ああ、あそこにあるな、今度機会があったら行くことにしようと、改めて訪ねるという強力なきっかけもないままに訪ねずにいましたが、ちらちら見え隠れする明洞聖堂の境内というか敷地に、장동호(チャンドンホ) 作の、鑿痕が強烈に残るキリストの受難石像があると分かり、教保文庫にはまことに申し訳ありませんが、こちらを優先しました。

f0099060_1791159.jpg

↑ミョンドン聖堂への参道というかスロープは工事用の塀に囲われていて、歴史資料としての写真が掲出されていた。

 韓国のキリスト教の総本山としてあまりにも有名な明洞聖堂は小高い丘の上にありました。立地の場所が小高い丘の上だってことも、実際に訪ねるまでは判らなかったことで、このことにもちょっぴり驚いています。ミョンドンという地区は東京で言う銀座に相当する繁華街で、昼よりも夜のほうが賑わいをます一帯。賑わいを、一日の終わりに近い夜にピークするって一点で「銀座」だと思い込み、銀座だとすると、立地も銀座同様に平らで狭いところに商業ビルが建ち並んでいるとの思い込みがあり、まさかこんな起伏の激しい地勢だとは思いもしませんでした。冷静に振り返ってみるに、銀座というよりも、坂の多い渋谷に近いのではないでしょうか。同じ繁華街の渋谷だとすると、明洞聖堂の建つ位置は宮益坂を上がった青学あたりか、東急のセルリアンタワーがある桜ケ丘町あたりに似ているといったらいいでしょうか。
 ところが、なんと間の悪いことに明洞聖堂の周囲はちょうど工事中で、参道両サイドがフェンスに囲われていて、拝観できないのではないかと危ぶんでいましたら、礼拝に訪れた方がいて、その方のお伴のように装ってフェンス伝いの階段を上ると、いきなり写真で見てきたあの煉瓦積みの大聖堂が覆いかぶさるように正面に立ち現れていました。

 おお、ミラノの大聖堂も大きかったけど、ミョンドンの大聖堂も大きいなあ。で、お目当ての石像はどこにあるのか、敷地図のようなものがあればそれで足りるのですが、あいにく見当たりません。守衛さんのような方がいたので、勇をふるい、インディアン英語のような拙い韓国語で「キリストの石像はどこですか?=クリスト エ ソクザン オディエヨ(그리스도의 석상 어디에요?」と聞いてみましたら、案の定、ボクの発音がうまくなかったようで、キョトンとされてしまいました。再び尋ねても同じ表情を返され、仕方なしにインテルの長友がよくやるように頭を下げてから聖堂の周りを一回り。

 なんと、聖堂の脇にある司祭館のような建物の植え込みに、あの有名な石像がありました。ボクが今までに見たキリスト受難の石像の中で、この東洋の彫刻家が彫り出したキリストほど、圧倒的な悲しみを静かに抱え込んだ石像は知りません。添付した写真に説明板が写っていますので、それを日本語訳します。

작품명(作品名) 사형선고받으심(死刑宣告を受けた心) 1994
작가(作家) 장동호(チャンドンホ)
재료(素材) Marble of Carrara
규격(寸法) 92×95×213cm

f0099060_16204796.jpg

↑一番のお気に入り石像。

 胸元にある3本の錆びたクギはなんの黙示録なのでしょうか。頭蓋に刺さった荊のクギを3本だけ抜いたものなのか。残された荊はどうするんだろう。そんなこんなの意味を考えながら、右肩上がりの成長曲線に浮かれ気味のソウル市民に、やんわり、釘でも挿しておきたい気分もあり、ミョンドン駅方面へ下りていきました。
 たとえインサドンが浅草仲見世になってしまったとしても、八つ当たりに似たこんな考え方って、やはり穏やかではありませんね。反省反省。
# by 2006awasaya | 2013-03-25 16:25 | 行ってきました報告

【真剣!野良仕事】[198=味噌仕込みを終えて]

2013.2.12(火)
今年も味噌仕込み完了
f0099060_12194638.jpg

↑今年もお陰様で無事、味噌仕込みが完了できました。作業を終えたばかりで頭にはシャワーキャップ、マスク、手術用の薄手のゴム手袋をつけたままですが、無事に作業を終えることができ、ほっとしている至福の表情だとご理解ください。仕込んだ量は10kgです。厳重に滅菌密封し、仕込んだ年月日と気温、天気具合を明記。例年になくあたたかな日でしたので、はて、どんなお味噌に仕上がってくれるやら。来年の今時分まで「慌てず騒がず、じっと待て!」。

 基本的にはその年に仕込んだ味噌はその年の暮れに開封し、翌年の暮れまでおいしくいただいてきました。ある年の味噌はおいしさには変わりはなかったものの、熟成が進み過ぎていて味噌の色が黒褐色に近い時もあり、また別な年には、素材の大豆をミンチ状にせず、豆の形のまま仕込んで、ふくよかなお豆状態でいただいたこともあり、その出来上がり具合はその都度、指導してくれた金谷さんに報告してきました。なぜって、金谷さんが毎年、厳寒の時期に麹を作ってきてくれたおかげで、こうしたおいしいお味噌を味わえるのです。その麹を作るに当たってのデータは克明に記録され、集積されていますが、出来具合の味とか色味についての評価は各人の好みで数値化できにくい領域で、そうした評価もまた、製麹及び味噌仕込みには欠かせない経験値でしょうね。

 このブログ、真剣!野良仕事の176回には([情操多層味噌開封す])、その情操多層味噌を仕込んだ折りの様子は142回に([情操多層の味噌])として書きましたし、出来上がりの味噌の色については、118回に([蝦茶か駱駝か、色味の違い])として報告。また、ボクが初めて味噌仕込みを体験した様も31回([味噌づくり後編])と30回に([味噌づくり前編])としてアップしましたので、覗いて見てください。毎年毎年、同じような作業をしているだけですが、その年の夏場の気温とか、仕込んだ樽の保管場所でさまざまに風味を変えてくる味噌。
 金谷さんが今年も参加されたメンバーを前に作業手順の説明をひとわたりしてくれた後、言わずもがなといった表情で「みなさま、今日はよろしくお願いします。ところで今日の作業は味噌づくりではありませんので、誤解のありませんように。われわれはただ樽に仕込んでいるだけで、味噌を作っているのではないのですから」と。ボク一瞬、『味噌づくりではありません』の意味を掴みかねていたのですが、ややしばらくしてその真意を了解。人が何から何まで作っているように見えますが、厳密に言えば人は手を添えるか、手を貸しているに過ぎず、そのあたりの構成なり構造を厳密に言葉に置き換える能力に欠けてしまっている自分を見た一瞬でした。
 なるほど、「味噌仕込み」とは言い得て妙。「味噌づくりにあらず」、然り。
 隣りにいた風戸さんが「子孫を残すシーンで『子づくり』か『仕込み』か、うーん、なかなか難しい使い分けの場面もあるなあ」とチャチャを入れてくれて、ボクの緊張をほぐしてくれました。いろいろにお気遣いいただき、ありがとうございました。
# by 2006awasaya | 2013-02-12 12:26 | 真剣!野良仕事